第19話


 アサギリは検査を受けたけれども、これという異常は特に見当たらなかった。ビタミン剤を出され、それを菓子みたいに医局の待合室で飲んだ。彼女のその姿をレーゲンは気難しそうに眺めている。だが気難しげで偏屈で不機嫌そうであるのはいつものことである。だが金色の眼差しの理由を訊かずにはいられない。そう艶福家えんぷくかでもない彼女にとっては、多少同性からの憧憬の念を抱かれることはあれど、異性からはまるきり視線を浴びたことがない。

「どうしたの。飲みたい?結構酸っぱいけれど……」

「いいや」

 彼は濃紺を思わせる黒髪を左右に揺らした。しかし何も用はないと言いながら、意固地げな表情は憐みを帯びる。

「実はかなり落ち込んでいるんじゃないか」

「え?」

 まったく思いもよらない言葉が帰ってきた。

「そういう目で見ていなかった者から、懸想けそうしていたと告げられるのは、意外ときつい」

 片眉を引き攣らせ、金色瞳も歪む。

「懸想?」

「そういう意味で好かれる……ということだな。だから……イセノサキさんのことだ」

 アサギリは口を半開きにして、自分のことのように思い悩んでいる様子の少年を見る。

「なんで?」

「なんでとは」

「どうしてそんな話を急にしたのかなって」

 途端にアサギリへ向けて置かれていた満月みたいなのが、ひょいと横にずらされた。

「俺も前に、部下にそういう告白をされたことがある」

 見目だけで言うならば、この少年は麗しい。挙措もしなやかだ。いいや、見目のみを好くのもまた恋愛の形のひとつであろう。

「でも、そういう対象じゃなかったんだ?」

「何か勘違いがあるな。相手は男だぞ。かよわくて、女子供とそう見分けのつかない貧弱な部下だった。そういうのは虐められる。変な扱われ方もする。女っ気のない男所帯ではおかしな気を起こすやつもいて……俺は良かれと思って庇っていたが、相手からすれば俺もおかしな気を起こした輩の1人に見えたんだろう」

 レーゲンはふとアサギリと目を合わせ、ふらふらと色濃い満月を転がした。男はこう在るべきで、女はこう在るべきというようなことを頻繁に口にしていた彼の価値観からいえば、同性間の恋愛というものが唾棄すべきものであることは容易に連想された。

「俺の話はいいんだ。ミナカミ先生も、それでショックを受けているんじゃないかと思った。それだけだ」

「驚いちゃって……そんなこと、一度も思ったことないから。ショックとは違うよ。イセノサキさんだし。でも気を遣ってくれたんだ。ありがとう、ランドロックトくん」

 まだ小難しそうな顔をしているレーゲンに、通りかがりの医局員が声をかけた。注射の話をしているらしいのが、聞こえてきた語句や身振り手振りでうかがえる。日程を調整しているらしかった。相変わらず気難しい、偏屈げな顔で聞いている。

 話が終わり、医局員はアサギリにも愛想を見せて去っていく。

「何かの予防接種?」

「パイロットの応募者は、注射を打つらしい」

「あの気違いドリンクかな」

「そのあとに副反応があったりなかったりするらしい。その告知だな」

 アサギリにも何の注射なのか見当がつかなかった。常に出動できるよう、流行病のワクチンを打たせるのだろうか。

「ま、寝込んだら看病しに行ったげる」

「別に要らない」

「遠慮しないで」

「いいって。要らん。あんたはこれからどうする?」

「部屋に戻るよ」

 そこで別れるものと思われたが、レーゲンはついてきた。

「送る」

「いいって。まだ筋トレあるんじゃないの」

「また倒れられても困る」

 レーゲンは半歩斜め後ろをのそのそついてきた。霹靂神はたたがみ統治ノ地の被扶養者の古めかしい仕草である。それを、「男が女が」とこだわる文化圏の彼が実行するとは思わなかった。

 立ち止まってみると、彼も足を止める。

「どうした?」

「ランドロックトくん、隣来たら」

「ここにいたほうが支えやすい」

 鰾膠にべもない。

「支えるって?」

「あんたが倒れたとき」

「別に平気なのに」

「健康状態にある者は傷病者の監督をする必要がある」

 彼との付き合いはそう長いものではない。しかしそう言ったからには頑固であることを数は少ないけれど濃密な例としてアサギリは知っていた。

「そう。じゃあ、よろしくね」

 無愛想な野良猫を撫で回した挙句についてきてしまうほど懐かせたような心地だった。レーゲンは斜め後ろにはべっていた。

「ランドロックトくんの困ったときは呼んでよね」

「借りは作りたくない」

「借りとか貸しとかじゃないんだよな~」

 けれども偏屈なランドロックト少年には通じない。

 寄宿舎の玄関で別れ、部屋に帰る。同居人のマージャリナは義眼をぎょろつかせて家主を迎えた。相変わらずの全裸であるが、見慣れてしまった。セレモニーの最中さなかにあった姉弟の喧嘩を越えた暴力はアサギリに対してある種の変化を与えたが、名目上性奴隷として傍に置いている彼に対して、その感覚を変えることはなかった。

「そっちの携帯電話、鳴ってたよ」

 マージャリナはベッドサイドチェストの上にある携帯電話を指す。

「ああ、そう……誰だろう?」

 それは個人用の端末だった。業務用のは常に首から掛けられている。連絡がつかない場合、基地内でアナウンスが流れるのである。

 アサギリは連絡してきた者の通知を開いた。ホストクラブ「キャッスル・ストーンハート」からだった。営業メールかと思われた。キャストの三途ワタラセが"体調不良"によって長期療養に入った知らせであった。だがこれだけではない。キャッスル・ストーンハートのマネージャーのアドレスからアサギリ個人に対しても1通メッセージが入っていた。三途ワタラセ、本名ハジメ・バンドウはヤーキマンデウ記念病院に搬送されたそうである。意識はあり、容態は安定しているらしい。彼はモーリエ・アムールグランドホテルでディナーパーティーの最中、「反サザンアマテラス基地連絡会」または「サザンアマテラス基地の兵器開発を許さない会」或いは「巨大兵器の環境破壊から市民を守る会」の総称「反基地連合」略して反基連の輩に刺されてしまった。アサギリの見解では、おそらくハジメ・バンドウはトキミネ・バンドウを庇っての負傷であった。

「マージャ、ちょっとまた出掛けるね」

 マージャリナの彼の意思に沿わず、勝手にあちこちに転がる義眼だけがアサギリを見ない。彼女は異性の存在も気にせず着替えた。病院に行くのに適した服装が分からず、白い長丈のフレアスカートに、薄葱色のフーディーで派手でもなく地味でもなくまとめた。そして黒のキャップを被る。

「気を付けてね。昨日の今日でしょ。タクシーを使ったら……」

「ううん!平気。ありがとう」

 相手にされない性奴隷の青年は、すっと俯いてしまったがアサギリは気付かずに飛び出していった。


 しかし彼女は間が悪い星の巡り合わせに生きている。業務用携帯電話は彼女に自由を許さなかった。召集がかかったのだ。だがアサギリは構わなかった。しかし屋内に響き渡るサイレンが振り切らせはしなかった。

 駐車場に向かう足は、管理司令室へと翻される。

『飛行機の足取りがつかなくなった』

 カミヅケミヤマは怒っているわけではないのだろうが、通話ボタンを押して第一に吹き込まれたのは怒声であった。

「今センター室向かってます!」

 彼女は基地内ジャケットを羽織っていなかったが、取りに行く余裕もない。

『いいや、ただちに搭乗準備につけ。アクギを発進させる』

「え!」

『飛行機はこちらで追跡する。直近の通信で、エンジントラブルに見舞われているとのことだ。アクギで受け止めろ』

 アサギリは格納庫か管理司令室か惑う足をついに止めてしまった。

「正気ですか?飛行機って?倍はありませんでしたっけ?タウゼント指揮官に代わってください!」

『評議会で基地にはいない。不在の間、管理司令室は私に一任されている』

「分かりました。格納庫に向かいます。が、オペレーターはカミヅケミヤマさんじゃ嫌です」

 アサギリは通話を切った。カミヅケミヤマという新任の副基地長が恐ろしくなってしまった。死にに行けと言われている気分である。あの新副基地長はエンブリオ・アクギの大きさを見誤ってはいないか。彼は飛行機を見たことがないのだろうか。

 上手くいかなければ、飛行機共々爆散である。

 飛行機が見つからなければ……

 彼女は保身も罪悪感との狭間で戦わなければならなくなった。しかし格納庫はもう目と鼻の先にあった。

 誰しも役目があるのだ。エンペラーマールの代表の、おそらく息子か、それでも縁者らしきハジメ・バンドウはその身を挺してトキミネ・バンドウ氏を守ったし、テンセイ・イセノサキもパイロットやその他市民を守らねばならなかった。ノワキ・シオザワフカザワも常軌を逸してしまいながらも父との時間のためにエンブリオ・アスマに乗っているではないか。彼等彼女等だけではない。弟もそうである。生まれに縛られ、性質に沿わない婚約をしている。

 更衣室に入り、アサギリはパイロットスーツに着替えた。普段は服の上から着れたが、今日は出掛ける途中の召集であった。ボトムスもトップスも嵩張るのである。彼女は下着になってパイロットスーツを身に纏った。

 ドックには整備士たちがいた。そこにはフブキ・マヤバシもいる。

「お疲れ様でございます……」

 彼は作業用つなぎ服の上部を翻し、油に汚れた白いタンクトップを晒していた。

「お疲れ……行ってくるね」

 ヘルメットを被った。死ぬかも知れない。上手くいく気がしないのだった。まったく、飛行機を受け止めるというビジョンが浮かばない。アサギリはフブキの手首を掴んだ。口の開いた革手袋が比較対象として彼の腕を細く見せた。

「ミナカミさん?」

 仕事中であろう。だが構っていられなかった。キャットウォークまで引っ張っていく。彼はそこの担当ではない。

「今日は薬剤多めで平気。じゃあね、マヤバシくん」

 赤いフレームに留められたレンズの奥の目が、いくらか訝しげであった。しかしアサギリは見ないことにした。渡された紙コップの中身を飲み干して、コックピットに乗り込む。

「ミナカミさん」

 装甲が閉まるのを、彼は阻んだ。

「いってらっしゃいませ」

「うん」

 そして改めて、装甲が閉まった。コックピットの明かりが消え、ダウンライトに切り替わる。宙にディスプレイがふぁん……ふぁん……と表示された。管理司令室と繋がるまでは待機であった。臨時の際は、発進してから待つのだった。急激に機体を温めずに済むのは、操縦にも好い意味で影響した。しかしまだ飛行機の追跡ができていないらしい。アサギリはエンブリオ・アクギにのみ内蔵されているキャンディーマシンのボタンを連打した。シートの肘掛けまで、蛍光黄色の飴玉が3つ連続で転がってきた。この可愛らしい興奮剤を彼女は口に放り込んだ。

『ミナカミ』

 管理司令室と繋がった。カミヅケミヤマが映っている。

「カミヅケミヤマさんじゃ嫌だって言いました」

「他に適任がいない」

 アサギリは鼻梁に皺を寄せんばかりであった。

「人手不足なんですね」

 彼女は言い捨て、整備士の誘導に集中した。発進中に概要と状況の報告を受けた。地図がディスプレイのひとつに現れ、標的は赤いポイントになっている。飛行機墜落の想定時間まであった。焦りが生まれる。いいや、間に合わなければ命を賭ける必要はない。

『数日前の交歓会のテロについて、反基地の感情が高まっていることだろう。ここで基地の名誉を挽回する必要があるのだ。ミナカミ、分かるな』

 アサギリは自動操縦に切り替え、肩を落とし、項垂れていた。だが新しい副基地長の声を聞くなり、引き付けを起こしたように身を波打たせ、そして頭をもたげる。

「もともと名誉なんかないクセに!」

『返す言葉もない』

「人の悲劇を見ちゃ、職場のキャンペーンですか!恥を知れ!」

 一気に興奮剤を3つ噛み砕いたのは初めてであった。彼女はシートベルトで胸を圧迫されるのも厭わず、前のめりになると足元から拳銃銃を引き抜いた。すでに後先など考えられない。その思考は奪われている。

 彼女はタバコを取るみたいに箱から弾も摘んで、弾倉に1つ入れた。そしてスライドを滑らせ、安全装置を外した。ここまでまばたき2回分ほどであったろうか。ろくに照準も合わせず、引鉄を引く。ヘルメット越しの爆音と火薬臭さ。管理司令室との通信画面に穴が空き、黒く塗り潰された。この処罰は査問委員会を通すまでもないことだった。

「ピンチでしかチャンスを得られないやつは、何やってもダメなんだよ」

 アサギリは叫んだ。しかし、対策は練られている。新たな空中映写のディスプレイが開かれた。

『ミナカミ』

「死んでほしけりゃ死んでやる!基地も一緒にな!」

 すでに彼女はアサギリ・ミナカミではなかった。

『繊細な作業だ』

 カミヅケミヤマの目が側められた。

『前任者から君の癖は聞いている』

「前任者……」

 まったく正気の沙汰ではない。彼女はその言葉を聞いた途端に、吃逆でも起こしたような嗚咽を漏らす。

『薬液の量を増やせ』

 それはアサギリ本人に言っているのではなかった。新しい副基地長は画面外に命じている。基地から衛星へ、衛星から、エンブリオ・アスマに指令が飛ぶ。ヘルメットの外で薬液が噴霧されている。白煙が立ち昇るようだった。やがて消える。

「新副基地。あなたはわたしを、殺したいんですね」

 憤懣ふんまんを滾らせていたのはどこへやら、彼女は冷静になっていた。

 やがて現在地が赤いポイントに接近した。わずかに俯き加減の白トンボみたいなのが徐々に下降しているのが見えた。

「目標を確認しました」

 アサギリはマップを拡大する。

「近くに山林がありますね」

 その双眸は虚ろであった。爆発的に燃えたあとの燃殻と化していた。音吐おんとにも抑揚がない。

『墜落予測地点は市街地だ。ミナカミ、最悪の場合、山林に落とせ』

「せめて2機は出すべきでした」

『カラカゼは動かせる者がいない。試運転もまだまだだ』

 サザンアマテラス基地所属のエースパイロット、ノワキ・シオザワフカザワはおそらく現場に帰った。

「無茶ですよ。シミュレーションしたんですよね」

 管理司令室にはエンブリオシミュレーターがある。この機体が飛行機を受け止めることは可能なのか、その確率も出るわけだ。

『その答えを伝えることは、非常にリスクだ』

「できるからやらせたってわけじゃ無さそうですもんね。飛行機と心中して、悲劇のパイロットになれってわけですね」

『いずれにせよ市街地に落ちる。山林に落とせ。それだけでも功績である』

 彼女は半分、目蓋を伏せた。

「分かりました。死んだらお母さんに伝えてください。市民7万給付は継続してください、って」

 それはアサギリが、母から突き付けられ要求を呑むときの条件であった。

『分かった』

「じゃあ行ってきます。さようなら」

 口煩い通信は集中力を削ぐ。機体を急加速させ、墜落する運命にある飛行機へ近付いていった。その間も、視界が曇るほどの多量の薬液が噴霧されていた。ヘルメットを通して吸い込んだ。

 距離が縮んでいくだけ、飛行機を受け止めるなどという所業の難しさを実感する。エンブリオ・アクギより重く、大きいことがありありと見て取れる。斜め下方に茂る緑色の塊に放り込むのが精々であろう。それでも市街地に落ちるのは免れる。

 彼女の目が見開かれた。血走っている。霹靂神はたたがみ統治ノ地も歴史も、こうである。無理な作戦を無謀で無意味と分かっていながら決行した。できるか否かではない。やることに意味がある。基地とは意外と理想主義の夢想主義なところなのだ。いいや、可能性に賭けたのだろう。確実性のない作戦は、どのような理不尽をその場凌ぎで切り抜けようと、会議と裁判に於いて譴責けんせきを受けるけれど。

 あらゆる通信を切っていた。ところがひとつ、ディスプレイが宙に映された。通信者は管理司令室の人間ではなかった。セロファンテープで補強した眼鏡に虚ろな目は、メイヒル・アザレアであった。

ひねり輪のように生きるんですね……』

 メイヒル・アザレアはぼそぼそと喋った。

「アザレアさん……あなたの憧れていたパイロットの末路よ。よく見ていてね」

 彼女はこの同僚に弱かった。後ろめたさと怒りと優越感が綯い交ぜになると、どういう態度をとっていいのか分からなかった。

『君は反対するべきだった……それをまた、こんなものに乗って……』

「後悔してるけど、人には人の役目があるから仕方がないじゃない。自衛警護隊だって、みんな死に絶えたら、今度はまた誰かを募るでしょう!」

 感情的になると、操縦桿を握った手から力が抜ける。

『反対するべきだ……反対してもまた繰り返すのだろう…………』

 彼は難解な数式の並んだスケッチブックを見せた。しかしアサギリには読み解けない。

『天井部にコードがあります。読み上げてください』

 アサギリはシートベルトを外して、言われるまま、コックピットの天井部を開けた。ライトごと蓋を開ける。そこには黒いフィルム製のシールが貼ってあった。コードを読み上げる。

「でも、それが……?」

 メイヒル・アザレアは何か操作していた。

『ターゲットを山林へ移行する任務ですね』

「そうですが……」

 通信の音声に、先程カミヅケミヤマと交わした会話が混ざっていた。通信記録を把握されている。メイヒル・アザレアはすでにアサギリの話を聞いていなかった。風圧がああだの、気圧がどうだの油圧がこうだのと口遊くちずさむようだった。

 捉えた標的が急降下しているように見えた。

「アザレアさん。ごめんね。もう行くから。海に行く前に……」

 墜落予測地点を示したシミュレーターは徐々に違う結果を生み出そうとしていた。

 メイヒル・アザレアの萎びた眼鏡のレンズが光っている。その奥にある虚ろな目玉に燃えるような怒りが見えた。

 そして彼は咆哮するような口振りで手順を告げた。アサギリも電撃に打たれたように、言われたとおりにした。行き当たりばったりでしか、彼女にはこの任務をこなすすべがなかった。

 汗に蒸れ、彼女はヘルメットを煩わしく感じた。

 巨大な飛行機が、視界のほとんどを占めていた。細か過ぎるメイヒル・アザレアの指示には通信の時差が起こり、途中からは運と勘に任せなければならなかった。そして共に落ちていくように山林へ誘導する。飛行機のパイロットと意思疎通ができたわけではない。

 エンブリオ・アクギが接触したことで、飛行機の右翼は折れていた。部品も飛んだことだろう。そしてそれが地上で暮らす市民にぶつからない確証もないのである。これもまた、この接触は、この角度から、この握力で接触は"正し"かったのか、またそのような例があったのかと査問委員会で追及されることだろう。

 アサギリは山火事を想定していた。そして墜落よりも火災による死者数が増えるものと思われた。彼女は足元にあるペダルを踏み、ディスプレイを増やした。通信機器に関しては足周りにも配置されていた。彼女はオペレーターに怒声を浴びせたが、憤激していたわけではなかった。自衛警護隊の出動を要請した。山火事の対応を見たことがあったのだ。幸い、近くに湖がある。この山林は広さはあるが、そう高くはない。すぐ傍には民家がある。

 エンブリオ・アクギは飛行機を抱いて山へと横たわった。鮮やかなオレンジ色の機体はサイレンを鳴らしていたが、アサギリは外からの音を遮断していた。コックピットは横たわったままで、彼女はシートの向きに身を委ねていた。ヘルメットの奥にある肌は軽度の火傷みたいに爛れていた。片目は充血して、目蓋の内側が腫れている。暗い室内にはダウンライトが点いていたが、一切の通信が途絶えていた。この機体が発しているサイレンが耳鳴りのようである。

 作戦は成功した。しかし大量に投与した薬液はパイロットの肉体を蝕んでいた。彼女はヘルメットを外すや否や、胃酸を吐き出した。一切の通信を拒んだ。真横にある飛行機のことにも、乗員のことにもまったく関心を示さなかった。発熱状態の無気力と二日酔いに似た不快感は休息を求めている。

 拒否できない通信画面が浮かんだ。

『ミナカミさん。ありがとう』

 カミヅケミヤマのしっかりした声だ。アサギリはまだ休んでいたかった。

『ミナカミ先生』

 彼女は悪態を吐いてから起き上がった。まだ帰り道がある。しかし飛行機がどうにもならないことには、エンブリオ・アクギは動かせなかったが、身体は怪我をしているわけではない。重苦しげな所作でシートベルトを外した。

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