第3話

 ふらふらと寄宿舎に帰る。早朝だ。まだ日も出ていないが明るかった。金髪の性奴隷が先に寝ている布団に潜り込む。彼に関しては慣れによって他人の匂いと体温だとしても気にならなくなっていた。それは、マージャリナを人間として見ていないのかも知れなかった。確かに生き物としては見ているが、彼を人間として見たことはなかった気がした。

「アサギ……」

「起こしたの」

 服を買っても買っても、彼は全裸で布団にいる。セックスドールという役目を果たすつもりらしい。しかし彼がいかにアサギリへ男体を晒しても彼女は彼を抱くとも抱かれるとも、そういう気にはならなかった。

 例によって全裸の青年が身体を起こす。掛布団が肌を落ちていく。眼鏡に似た機械に嵌め込まれた義眼がバネか何かを軋ませ、左見右見とみこうみしている。

「イセノサキ様が、先程……」

 あの堅い気性の上司と顔を合わせたらしい。イセノサキもマージャリナの存在は知っているはずだ。霹靂神はたたがみ統治ノ地引いてはサザンアマテラス基地が尻尾を振り、足を嘗め、冷笑派が言うところの"陰部さえしゃぶる"関係のヴェネーシア水源郷から贈られたセックスドールである。言及されたことはないが、内心ではどう思っているのか知れない。

「先程?何時だと思ってるんだろう」

 時計を見る。草木が眠ると言われる時間帯から1時間と少し経った頃合いだ。仕事中毒者ではなかろうか。

「入院してる人が目覚めた、って」

 つまり見舞いに行けということだろう。顔も名も知らない、撃ちもした相手だ。特に顔を見せる必要はないだろう。否、見舞わなかったならば見舞わなかったで長たらしい説教があるのかも知れない。彼の正義、信条、価値観に付き合わされるのが目に見えている。医務室には半ば誘拐してきた乞食の少年がいる。そのついでにいくのがよい。とりあえず今は寝るのである。




 シャワーを浴び、マージャリナの手で包帯が巻かれていく。爛れの治り切らない顔にも軟膏が塗られていく。目薬を差し、私服の上にジャンパーを羽織る。二日酔いで頭が痛いが歩けないほどではない。

「マージャリナも、一緒に、行く……?」

「大丈夫。ひとりで」

 昨日の恐慌状態が嘘のように颯爽と自室を出て行ったが、寄宿舎のエントランスで立ち止まることになる。フブキ・マヤバシが制服の裾を直していた。

「あ、あ、マヤバシくん。おはよう」

 吃ってしまう。一瞬、彼はまた気拙げな表情を見せる。しかしすぐに繕われる。

「おはようございます。昨日はお疲れ様でございました」

 夢ではなかったらしい。彼からまともな言葉を受けた覚えがあるのは、幻覚ではなかった。

「あ、う、うん。えっと、昨日は、ありがとう……あの、嬉しかった、です」

 嬉しかったの一言では纏まらない。昨日のことに限らず、フブキ・マヤバシのケアがあったからこそやっていけている。

「いいえ。あんなでも、力になれていたというのなら幸いです。傷、お大事になさってください」

 まだ何か言い足りない。もう一歩踏み込みたい。だが彼が、もうこの場を去りたいといったふうな空気感を醸し出している。ここで選択肢を奪い取るも同然に誘いはかけられない。

「それでは」

 自分の過失で傷付けた人を前に、彼は重圧を覚えているのだろう。頬が痛痒くなる。爛れていることを思い出す。妙に霞む片方の視界に気付く。彼の咎を見せてしまった。前のように砕けた態度で、親しみ持って話し合えることはないのだろう。それどころか、彼の傷に爪を立て、塩を塗り込んでしまったらしい。否、大切な正パイロットであるゆえの、職務上の優しさだったのかも知れない。整備士といえどもこの基地で働き、帰還したパイロットと関わるのは彼等である。管理司令センター室からパイロットの接待も兼補けんぽするよう圧があったのではあるまいか。

 エントランスからとぼとぼと外に出たアサギリの足は医務室には向かなかった。多目的棟に入った小規模なコンビニエンスストアでアイスを買う。本屋も入っている。そう広くはない2階建てで、屋上が開放されていた。おそらく基地内にある建物の中で最も小さくひなびているが、海が見渡せるのである。

 日の光が点綴てんてい する紺碧を眺めていた。レモンの味が氷が入ったアイスを齧る。

「誘えたのか」

 げ、と声を出しかける。顧眄こべんする。だがそこにいたのは制服姿の苦手な上司ではなかった。私服にジャンパーを羽織っている。髪も後ろに撫で付けていない。意外にも垂らすと長い前髪をしている。

「あれ、イセノサキさん……」

「謹慎中だ」

「何故です。何したんですか」

「要救助者を撃った」

 彼も遠く海を見ていた。凝縮した粘こいものを掻き混ぜていくような手応えで記憶を辿る。忘れてしまっているわけではない。ただ部分的に現実だったのか妄想だったのかの判断がつかなくなっている。

「でも……あれって、わたしを………」

 監察ロボットをハッキングして、確かに異邦人の脇腹を撃っていた。

「パイロットに取り返しのつかない事が起これば上何人かの首が飛ぶ。それならばあの要救助者を撃ったほうが処分は軽い。お前が日頃口にしているとおり、嫌な仕事だ」

「まったくですよ」

「お前の仕事ほどではないが」

 固めていない毛先が潮風に遊ぶ。

「わたしはお役御免なりかけていて、まだ楽なほうです。他のパイロットたちは、今でも戦地で見たくもないもの見せられているんですから。せっかく、この土地に生まれて、この土地で育ったのに」

 アイスを齧る。少し歯が痛むのは、昨日強く歯を噛み締めたからなのかも知れない。マウスピースを入れているパイロットもいるらしい。

「どうするんですか、イセノサキさん。数日間……仕事していないと、息出来なさそうですけれど、大丈夫なんですか」

さとに帰ろうと思う」

 アサギリは思わず、アイスの棒を齧って仕事が趣味の上司を見てしまった。海を望みながら普段と違う風貌では、また変わった響きを持ってしまう。

「お辞めになるんです?」

「違う。数日間、たまには郷に顔を出すという意味だ」

「ああ、なるほど。イセノサキさんにもあるんですね、そういうの」

「…………あるさ」

 あまり想像がつかない。彼のプライベートは謎だ。堅苦しそうでつまらなさそうなのが目に見えている。イセノサキは20代は越えているだろう。若そうだが落ち着きもある。そうなると30代前半だろうか。実は妻子がいるのかも知れない。

「まぁ、働き詰めでしたし。ゆっくり休んでください。……助けてくださって、ありがとうございました」

 イセノサキの眉間から皺が消える。平生へいぜいは照りつけるほど固められていた髪は風に遊ばれすぎている。もしかすると猫毛のようだ。

「ただでさえお前には健康まで懸けて乗ってもらった。礼などやめてくれ。立つ瀬がない」

 彼は潮風に髪を靡かせ戻っていった。これから故郷へ出発するのかも知れない。アサギリも母と弟に会いたくなってしまった。

 謹慎処分にされた上司と別れ、気分は進まぬまま医務室へ向かった。だが中には入らない。廊下から窓ガラス越しに見えるベッドを覗く。パーテーションに隠れ首から下が見えた。機械に繋がれている少年が緩やかに腹を上下させている。肋骨が陰影を作っている。腹などはまるで湯葉を張ったみたいに薄い。あれがアサギリの攫ってきた乞食である。妹だか姉だか、ただ共に居ただけなのかも分からない女児のほうはすでに骨と皮だけになって死んでいた。

 国家介入である。アサギリは異国の乞食を誘拐した。酔っていなければ拾わなかった。だが後先も考えないほど酔っていた。2人生きていれば連れ帰らなかったが、もう片方は飢えたから凍えて死んでいた。

 基地看護師がチューブに繋がれている患者を誘拐してきた張本人を見つけ、健康状態を報告にくる。至って良好だそうだ。

「昨日除染処置された、髪の長い男って来てますか」

 ついでに顔を見にきた。イセノサキがわざわざ寄宿舎に寄って報告してきたということはつまり顔を合わせろということなのだろう。先程はその件について触れはしなかったけれど。ワーカーホリックな上司から仕事を奪い取るに至った人物のもとへ案内される。

 医務室奥の個室だ。訳の分からない男の割にはなかなかの待遇である。基地看護師と共に中に入った。男は点滴に繋がれてベッドに寝ていたようだが意識はあった。ドアが開くと身体を起こす。元気そうだ。ポニーテールが解かれ、長い髪は黒々としていて艶もある。互いに目が合っているが、どちらからも言葉を発する様子はない。アサギリは切り付けられ撃たれてる。この男からすれば、アサギリは自分を撃った側の人間である。見慣れない金色の瞳と視線がち合う。しかし敵意や警戒は感じられなかった。

 アサギリは喋るのがそこまで得意ではなく、また好きでもなかった。薬液で簡単に情緒を掻き乱され、口数が多くなるだけである。またそれを事後に繕うために多く喋ってしまう。気の利いた台詞は出てこない。ゆえにフブキ・マヤバシとの関係にも戸惑っている。話せば話すだけ、むしろ彼を責めてさえいそうな現状に。

「―手の傷はどうなってる?痕にはなりそうか」

 彼は最初異国語を喋りかけて、それから思い出したようにアサギリと通じる言語に切り替えた。

「気にしないでください。ああいう場面でしたから」

 それでも異国の男はアサギリの手を見つめていた。

「痕が残るようなら娶る」

「はい?」

「傷が消えないのなら妻としてもらう」

「何故」

 異国の地にたった1人でいながら冗談も言えるらしい。

「女に傷を負わせたからな」

 アサギリは首を傾げた。猫を思わせる金色の目は真っ直ぐである。冗談であれば冗談として成り立つ面白みはなく、本気であれば妙な人物と出会ってしまった。

「男にはいいの?」

「戦争は男が始めた。女こどもを巻き込んで。だから男はいい。その贖罪をすべきだろ。でも、女こどもは哀れだ」

 非常に厄介な価値観を持った人間を連れ帰ってきてしまったのかも知れない。彼の言っている内容も然ることながら、それをほぼほぼ初対面に等しい者へ口にできるというところが、アサギリには俄かに信じがたい。彼が異国なのであろうか。はたまた彼の郷里でも彼は異質なのであろうか。

「…………そう、ですか。傷はいいです。この国ではそういうルールはありませんから」

 彼の目はアサギリの瞳から彼女の手に移る。そのため隠してしまった。

「ルールの問題じゃない」

「とにかく、いいです。名前も知らない貴方にいきなり求婚されるの、なんだか不愉快です」

 語気はそう強くなかった。相手の男は訳が分かっていなそうである。言葉は通じているはずだが、その奥にあるものは違うようだ。彼の国は語気や語調が重視されるのかも知れない。

「まず名前か。レーゲンだ。レーゲン・ランドロックト」

「アサギリです。アサギリ・ミナカミ。レーゲンさんとお呼びしていいんですか」

「どうぞ。ミス・ミナカミ」

既婚者ミセスかも知れないのに?」

 彼の断定的な物言いが引っ掛かる。そういう相手が確かにいないのは事実であり、またアサギリも関心がなかったが、周りの同年代は恋人がいる。結婚している者もいる。子を育てている者もいる。それがこのレーゲンと名乗った男は初対面からそれはないと決めてかかっている。

 レーゲンは目を丸くしてアサギリを見上げた。

「それは、」

「未婚ですから、それで合っています」

 既婚者を口説いたかも知れないことに、彼は拙さを覚えたらしかった。

「……そうか。いや、軽率だった。すまない」

「ご冗談を言える程度に元気ならよかった。では」

 基地の支給品を身に纏うレーゲンは昨日と比べるとやや幼く見えた。そして人通りのとにかく多い繁華街でもそう見ないほど長い髪は、やはりこの地では異様な感じを与えた。

 訳の分からない男に首を傾げてアサギリは自室へと帰った。務めも果たされない性奴隷がアサギリを出迎える。同じ匂いが染み付いてしまった。さすがに全裸でドアに近付くのは躊躇われたのか、身体にシーツを巻いている。均整のとれた肉体といい、芯の強そうな金縷きんるといい、艶かしく身に纏ったシーツといい、彫刻のような趣きがある。だがその布を押し上げる腰のものにアサギリは気付いてしまった。目を逸らす。去勢も済まされセックスドールという建前で傍におきながら、彼は自分自身の指しか知らない。

 ベッドのほうまで来てしまった。マージャリナも寄り添う。とぎを許される瞬間を見計らっているのだ。哀れな男である。手も出さない所有者にセックスドールという名目で飼い殺されている。かといって彼は、このサザンアマテラス基地が尾を振り回し、靴を嘗め磨き、冷笑派曰く"陰部をしゃぶり洗う"の、アサギリがそのまま聞いたことをそのままいうと「ちんぽをおしゃぶりし申し上げる」関係のヴェネーシア水源郷から"たまわった"ものである。勝手に野に放てるはずがない。

「少し寝る。自由にしていたら」

 しかし彼はアサギリの横に寝そべるのだ。シーツを蹴る音がどこかもどかしい。いやな生々しさがある。

「用事を思い出した。少し空ける」

 男体の悩みどころについて、不都合なタイミングで戻ってきてしまったのかも知れない。アサギリはベッドから弾かれたように起き上がる。同年代ほどの美男子を好きにしていいと贈られたところで持て余す。ホストクラブ通いへ異性を求めにいったことは嘘ではない。しかし渇望していたわけではない。

 ジャンパーを羽織り、本部に向かった。準パイロットになってからは身体の空いた日が多かったため、人員不足の傾向にあるセンター室を手伝ってもいた。気紛れ出勤の気紛れ退勤である。脛に傷のあるどころか脛がぱっくり割れて塞がっていないような準パイロットが手慰みに仕事をしようが放棄しようが給料は変わらない。際限なくヴェネーシア水源郷から金を搾り取り、また確定死亡するまで解雇はない。

 優秀な人材がひとり謹慎処分にされた職場は荒々しい。怒号が飛び交う。エンブリオを飛ばした後処理に追われている。環境面や経済面に関する情報開示、マスコミュニケーション対応、出資者への説明、記者会見の資料作成等々。特に今回は人体に大きな害を及ぼすほど汚染された場所に飛び、また戻ってきたのだから世間の関心も風当たりも強い。エンブリオ本体や装備品、その備品の開発費、維持費、修繕費はヴェネーシア水源郷がその殆どを出しているとはいえ、基地運営については血税の一部も費やされている。

「ミナカミさん」

 センターに入った途端に気難しそうな顔の指揮官がやってきた、

「出てきて大丈夫なの。休んでいたら。今日はかなり忙しいけれど」

「モニター監視くらいならできますよ」

「そう。昨日はお疲れ様。無理はしないで」

 アサギリは彼女から目を伏せてしまった。それが社交辞令なのは分かっている。斜に構えるまでもなく理解していることだ。しかしそこにあるのが、パイロットとしてであったのか、一個人に向けてであったのかは多少気になった。

 管理司令室の隅で慌ただしく繁忙期みたいな様子から取り残されたように、数台並べられたモニターの中のいくつにも分割された映像を眺めていた。監察ロボットが撮影している。普段ならば他の職員が並行している業務である。別のモニターには寄宿舎とプライベートルーム、基地内保育園を除いた監視カメラの映像も並んでいる。アサギリがここにいるため分からないけれども、この基地所属のパイロット6人は映るたびに接触した人間のデータまで取られている。イセノサキはここから彼女がフブキ・マヤバシと接触があったことを見ていたのだろう。むしろ、この基地にある監視カメラなど、防犯的役割よりもパイロットの行動を把握するためのものなのだろう。別個の運営方法で基地警備部隊がすでにいるのである。銃砲刀剣類の所持が許可された彼等のほうが防犯については役に立つ。基地職員にあるのは徒手武術や護身術くらいで、器物を使用すれば今このセンター室で起こっているような事後処理に奔走することになるだろう。

 アサギリがここにいる以上、基地の監視モニターを見ている意味はなかった。5人のパイロットが派遣された戦地の様子に切り替える。キャンプ場のようだった。焚火が見える。緊急事態は特にないようだ。管轄も今はヴェネーシア水源郷にある基地であるからサザンアマテラス基地がやれるのはパイロットの情報を渡せることくらいだろう。

 所在なく十数個に分割されていた映像を見ていた。異常はない。監察ロボットのほうからも何か感知した報せはなかった。

「ミナカミさん」

 指揮官から呼ばれた。古代異国の円形劇場のようなセンター室は指揮官が中央部に座している。アサギリは最下段の端にいたため見上げるかたちになる。

「医務室に行ってくださいな。用件はそちらで」

 アサギリを見下ろしている彼女の手には内線の受話器が握られている。入院中の幼い物乞いの身に何かあったのかも知れない。

 医務室に走った。乞食の少年は誘拐した段階で意識がなかった。意識が戻ったとしても苛烈な暴行により重い障害が残ると聞かされていた。言葉を交わしたことがない。情も湧かない。ただ泥酔状態にありながらも漠然と目にした哀れな現実と哀れな有様にそのまま連れ帰ってきてしまった。

 駆け込むと、まず目に入ったのは乞食の少年のベッド脇に立つ、点滴を2種類ぶら下げたレーゲンだった。雑に髪を結わえている。基地の支給品と頭髪が相変わらず滑稽な組み合わせになっている。

「君が彼を連れてきたんだそうだな」

 意外にも人当たりの好い態度で彼が訊ねた。アサギリは彼を無視して基地看護師に説明を求めた。要するに、このレーゲンという胡散臭い男が若くして物乞いになった挙句酷い乱暴に遭い、果てには誘拐された少年について覚えがあるというのだ。

「小さな女の子といなかったか。彼女は……」

 特に髭も生えていない顎を何度か摩りながら彼が問う。

「死にました」

 すると青金色の瞳が大きなアサギリを映した。

「そうか」

 その声音は明らかに驚きを隠している。アサギリはベッドの上の痩せこけた少年を見下ろすレーゲンを凝らす。

「早い話が、敗戦国の姫だ。種違いの兄がいると聞いていたから彼だろうな。戦没したと聞いていたが……」

 気遣わしげな手付きで彼は少年の頭を転がす。すぐにでもへし折れそうだった。耳の後ろ、首筋にタトゥーが入る。霹靂神統治ノ地の文化から派生した善良で穏和な風潮からいうと、これほどの年齢の子供に刺青を入れるというのは、路上に放り出すのとはまた別にひとつの虐待である。もしこの少年が異国から拾ってきたものでなければ、頭のおかしな親が頭のおかしい計画で子を作り、頭のおかしなことをしでかしてゆえに頭がおかしい捨て方をしたものだと思うところであった。しかし文化の違う国の子供である。

 刺青はテキストになっているようだった。レーゲンはそれを辿った。短く切られた爪に縦縞が入っているのが妙に生活感を滲ませる。

「ここに国が書いてある。そこの王子ということだ」

 胡散臭い男の胡散臭い話である。

「一国の王子と姫が物乞いになるんですか」

 霹靂神統治ノ地はそうはならなかった。それはヴェネーシア水源郷に尻尾を振り乱し、御御足おみあしを舐めねぶり、その筋の過激派曰く"臀部に接吻をさせていただいている"ためか。

「なる」

「本当に?」

 胡散臭い男の、信憑性の薄い話だ。

「影武者なら、そのほうが哀れな話だよ。部外者がこんなことに使われて」

 彼はまた刺青をなぞった。痩せこけているが年齢は13や14の辺りだろう。だがかなり軽かった。この疑わしい男と同様に腹部シェルターに放り込み、内部のメーターから計測された体重は10代前半の男子のものとは思えなかった。そして彼女は彼を誘拐してきたことも忘れ、発見したのは整備士だというのだから憐憫を禁じ得ない。

「どうする?送り返すか。この国はもう無いが、宗主国に送り届けられるかも知れない。そこもまた、別の戦をしているはずだから、そう上手くことが運ぶかな」

 レーゲンの目が血走っている。そこにさらに不信感を抱く。

「送り返したらどうなるの」

「良ければ恩赦じゃないか。悪ければ、」

 彼は自分の頭部に銃を模した指を当てる。銃殺刑だ。

「貴方、大丈夫?」

 何がおかしいということではなかった。だがレーゲンの目が異様である。一風変わった瞳の色の話ではない。怒りに満ち満ちているように感じられる。

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