第2話

 エンブリオ6体はすべて目に痛いほどのオレンジ色をしている。自然界にあまり多く存在しない色である。敵意の無さの表明でもあった。それでも協力関係にあるヴェネーシア水源郷の敵対国から見れば、この大仰な人型装甲は興味を惹けど、面白くはないだろう。

 6体の違いは部分を繋ぐ色味でありシンボルカラーであった。アサギリの乗るのはエンブリオ・アクギであり、暗赤色が目印だった。

 コックピットに入り、起動した途端に明かりが点いた。底部から轟く小さなモーター音が耳鳴りと一体化していく。疼痛が頭の中で波を打つ。両肩を押さえつけるような異様な倦怠感と凝りに襲われていく。薬液の有無は最初にここに現れる。

 幾つもブラウザを開いたPCみたいにサイバーなグリーンを帯びた空中ディスプレイが乱立されていく。それを指先でスライドさせ整理した。オペレーターとの通信ウィンドウは車の運転でいうとバックミラーの位置に相当していた。

 通信用の窓に映ったのはテンセイ・イセノサキである。別の通信者に繋がるボタンを押した。

「オペ担ナビ担代わってください。イセノサキさんでは怖いので」

 イセノサキという男は本職とは別にオペレーター、ナビゲーターとを兼補けんぽする優秀な人材であるが、アサギリからすると馬が合わない。萎縮する。ただでさえ神経を擦り減らす操縦である。

 身体中、些細な不和を覚えながらエンブリオはサザンアマテラス基地を発進する。




 各機のシンボルカラーに対応したシートベルトが前傾姿勢のアサギリを支えている。

 酒とは別に酔っている。頭痛にはなりきらない骨に響くような疼きがヘルメットを通して頭全体を震わせているようである。何か苛立ったように心臓が高鳴り、関節が軋む。怒りとやるせなさが唐突に現れ、そこに理由や原因が見出せない。

 通信ウィンドウからも助言や激励めいたことを発するのは自重しているようである。所詮は他人事になってしまうのだ。アサギリにとっては独りになって傍観されているほうがむしろよい。

 上体をシートベルトに預け、項垂れているアサギリは通信モニターに映るナビゲーターが代わったことに気付かない。黒髪をオールバックにした銀フレームの眼鏡の男が画面を占める。

"目標地点までもう少しだ。アメを舐めろ"

 アサギリの戦慄く指が脇にあるボタンを押す。ボーリングのボールリターンのミニチュアみたいなのが飴玉をひとつ転がした。薬液を経口用に固めたものである。健康的によい物ではないらしい。何しろ彼女は身体に拒否反応が出る。だが摘んで口に放った。何となく力がみなぎるような心地になる。

「あ、イセノサキさん」

"そろそろ降下しろ"

「はい」

 気の抜けた返事をした。直後、映像が乱れた。

"帰り道は分かるな"

「はい。じゃあ」

 モニターを切る必要はなかった。急降下するだけで通信は勝手に切断されてしまった。

 口腔の飴玉みたいな化学薬品の塊を噛み潰した。彼女の眼は血走っている。やはり理由も心当たりもない怒りが彼女の中に燃えたぎった。頬は肌理きめが逆立って爛れる。理由のない憤懣ふんまんでコックピットの内部を殴った。鈍い痛みが拳に走るが、どこか他人事である。麻酔を打たれたときに似ている。

 荒々しい操縦で居住不可都市に着陸した。白煙に覆われているアスファルトは罅だらけで、雑草が伸びている。パイロットスーツはすでに防護服に包まれていた。ヘルメットを外し、防護服についたフードを被る。持ってきた銃を暫く見ていたが、置いていくことにした。それからナイフをバッグに突っ込む。拒絶反応によって爛れた顔半分が痛み、ろくに照準も合わせられない。酷い酒を何杯も飲んだような気持ち悪さを堪えコックピットを降りた。気持ち悪さに胃袋を叩かれる。嘔吐えづいたが吐くことはなかった。彼女自身は気付いていないけれども、はたからみると爛れは目にまで及び、充血し、潰れかけて見えた。

 深い呼吸をしながら街を彷徨う。途中、監察ロボットと会う。ヒトを感知するとキャタピラを回して人懐こくやってくる。白い体表に、丸みを帯びた長方形に近いロボットだ。

「ぼくおそうじくん」

 ロボットが喋る。どういう経緯かここに辿り着いた者をおびき出したり、進化を遂げて環境に適応した動物たちを避ける効果を期待して作られたらしい。非常に愛想のよい音声が入っている。モニターには表情が描かれ、いつでも笑っている。愛玩ロボットになれそうでいて、置かれたのは亡都である。

「ごめんね」

 アサギリはロボットを撫でた。

「ゆるせね~ヨ!」

 ロボットはヒトを感知すると過剰な反応を見せるようにプログラムされていた。キャタピラがウィンうぃんと鳴り、踊るように廻る。アサギリの膝に届きそうなほど伸びた雑草が轢かれた。

「ばいばい」

 監察ロボットの液晶には目を瞑った顔がうしだされた。ロボット本体にアームは付いているけれども、手を前に組むビジュアルも入っている。聞き取った言葉に反応して見送っているのである。

 アサギリは荒れ果てた街を歩く。ジオラマや、パニック映画の舞台セットを思わせた。本当にここに人がいるのだろうか。

 戦争のない国で、戦地の支援に派遣されることもなくなった彼女は平和に甘んじていたのかも知れない。特に警戒もなくらただ迷い人を探すことを優先していた。具合の悪さ、そして口から摂った興奮剤の塊みたいなものもさらに慎重さを失わせていた。足音も殺さない。これでは相手に居場所を気取けどられるのは容易なことだった。

 アサギリは真後ろから奇襲に遭う。気付いた時には腕を掴まれていた。ここで興奮剤が彼女の痛覚に対する忌避よりも攻撃衝動に加勢する。自ら腕の無事を捨て、襲撃者に食ってかかる。彼女の動きが想定外だったらしい襲撃者は呆気に取られて押し倒されてしまった。しかし相手は武器を持っていた。俊敏な身のこなしでしかかろうとするアサギリを躱す。その際、一閃の接触があった。見知らぬヘルメットが転がっていく。

 決して脆くはない防護服とパイロットスーツの繊維が解れ、襲撃者の持っていた白刃は彼女の皮膚までも裂いていたのだ。傷創から滲み出る赤い液体が研ぎ澄まされきってむしろ危うくなっているアサギリを刺激した。サバイバルナイフを振りかぶる。対して、襲撃者は先程までのはしこさはどこへやら、呆気に取られてアサギリを見ていた。長い黒髪の男である。高く後ろで結わえていても肩甲骨は越すであろう長さである。霹靂神はたたがみ統治ノ地ではあまり見かけない風貌である。なかなかそのような頭髪の男性を世間が受け入れない。職や賃金を選ぶ非正規雇用か或いは自ら経営者になれば居るのかも知れないが、雇われの身としてはなかなか採用されるのに難しい。アサギリは直感的に、体格や骨格で男性と判じたが、もしかすると女性なのかも知れない。それならば、彼女の文化的価値観の中で、この頭髪であることに納得がいく。

 ポニーテールの男と思しき奇襲者とアサギリは互いに物珍しげに相手を凝らしていた。アサギリは艶やかなポニーテールを、ポニーテールの男と思しき人物は彼女の長く入った傷を。

『何者だ?』

 先に口を開いたのはポニールテールの人物だった。だがアサギリは上手く聞き取れない。

『貴様は何者だ?何故ここにいる。所属を言え』

 今度は長かったが、やはりアサギリにはひとつとして意味が聞き取れない。

 あ、あ~、に、にひゃと、れぎ、ぴ……」

 霹靂神統治ノ地の言語は世界から見ると少数言語である。アサギリからぶっきらぼうな公用語に合わせる。彼女は霹靂神祝詞はたたがみのりと語とヴェネーシア語しか話せない。アサギリが今言いかけたのも知った単語を繋いだだけである。とんでもない意味を成しているのか、いないのかも分からない。

『異人か?』

 彼は困惑した。アサギリも困惑している。言語の壁は意識していなかった。

「ヴェネーシアか?」

 知った単語が聞き取れる。

「ヴェネーシア!ヴェネーシア!わたし、霹靂神統治ノ地からやって来ました」

 気難しい顔は相手の文化も同じらしい。

「霹靂神統治ノ地か」

「そうです。貴方を保護しに来ました」

 アサギリは安堵する。いくらか興奮が冷めていくかと思われた。

「不要だ」

「何故ですか。ここにいるのは危険です。防護服もなしに」

 そしてアサギリも防護服もパイロットスーツも破られ、素肌を曝してしまっている。長時間はここに居られない。

「戦地に戻る」

「戦地?」

「その傷は済まなかった。ウァルホール軍事局に一報をくれ。医療費は払う」

 彼はアサギリのほうから目を離さず、にじりながら後退る。一方的な話にアサギリもよく訳が分からなかった。軍事局に一報入れるというのはなかなかに手間だ。

「軍人なんですか、貴方」

 相手は答えない。一旦冷めたと思われた興奮が、このアサギリの戸惑いを爆炎にしてしまう。爛れた頬と潰れかけたような目が赫赫かくかくと染まり、彼女は憤激した。やはり具体的な理由はないのである。些細な感情が、誇大化される。整備士は、こういうパイロットと、帰還直後に顔を合わせねばならなかった。オペレーターも罵詈雑言を投げつけられるのだ。

 ナイフを握り直したアサギリに、彼は銃を突きつけた。

「女は撃ちたくない」

 例によって激情の中にあるアサギリに銃口は威圧にならなかった。荒廃したアスファルトに血が落ちて、色を濃くする。

「止まれ」

 アサギリの眼は血走っている。殺すか死ぬかである。コックピットの中に戻れば、忽如として死ななければならない義務感に襲われるのだ。

「止まれ。止まらないのなら撃つ」

 彼女は止まらない。肩が爆ぜた。銃弾が肉を掠めた。興奮剤は痛みも与えない。

「許せ」

 ポニーテールの男は冷静だった。言語が通じなかったときのほうが焦っていたくらいである。銃口がアサギリの頭を狙った。

 だが、引金の引かれる直前に、彼は吹き飛んだ。建物の陰からひょっこりと監察ロボットが現れる。

"ミナカミ。おい、ミナカミ"

 肩と腕を赤く染め、ぼんやりと突っ立っているアサギリに監察ロボットが近付いてくる。声は電子音を帯びたイセノサキのものである。

"ミナカミ、おい。応答しろ"

 何度目かの呼びかけで、急激に冷えた様子のアサギリが監察ロボットを振り返った。表情が映るはずの液晶にはイセノサキとセンター室が映っている。

"目標を回収して、速やかに帰ってこい"

 彼女は片手で頭を抱えた。肉を微量掠め取られ、皮膚を裂かれた痛みは今のところない。言いようのない不安が押し寄せる。落差についていけない。

 寄宿舎で保護されている人物が2人いる。1人はアサギリが無断でエンブリを発進させただけでなく、飲酒運転でどこかの土地に飛んだ時勝手に連れ帰って来た死にかけの乞食の少年である。もう1人が彼女の脈絡のない、突然の不安に陥れた人物である。彼はそもそもパイロットではないにもかかわらず、エンブリオを操縦した結果、完全に壊れてしまった。今も寄宿舎の壁に飲まず食わず寝ずに一言も発することなく計算式を無尽に書き連ねている。前はそうではなかった。計算式の執着に対する不安ではない。突然誰かに成り代わったような大きな変貌が恐ろしいのだ。自分ああなるのでは、いっそああなった方が楽ではないか、解放である、いいや、ああはなりたくない。

 まったくこの場に於いて関係ないことを考え、また精神に影響した。監察ロボットが傍にいることも、目的の彷徨人が近くにのびていることも忘れてしまった。大きな傷は痛まずとも爛れた頬が痛痒くなる。

"ミナカミ!"

「イセノサキさん……」

"速やかに撤退しろ"

「イセノサキさん、どうしよう。わたしもメイヒルさんみたいになったら……」

 気の触れた職員はアサギリのオペレーターであった。

"ミナカミ。今は帰ってくることだけ考えろ"

 イセノサキの話など聞いてはいなかった。任務放棄の為体で彼女は啜り泣きを始める。

"おれが迎えに行こうか、ミナカミさん"

 監察ロボットが気に入らない上司以外の声を電子音に置換して発した。情緒不安を極めたアサギリが濡れた目を開く。フブキ・マヤバシが映っている。

「迎え……」

"今、エンブリオが帰ってきたから。整備が終わってないけど、ヘルナを借りて"

 しかしフブキ・マヤバシはパイロットではない。パイロットの能力がない者が搭乗するとどうなるか、今思い描いたばかりである。それが自分に好くしてくれたフブキ・マヤバシだったら……

「帰ります………帰れます、」

 怯えはじめた彼女は、すでに目的が何であるか、何故ここに来たのかも忘れてしまった。

"ミナカミ!目標を回収しろ!"

 イセノサキの声が届く。アサギリは倒れているポニーテールの男に近寄った。監察ロボットも傍に沿う。死体袋めいた特殊加工の袋を開く。

 アサギリの手が掴まれる。目標は意識があったのである。彼は身体を起こした。猫みたいな金色の瞳は監察ロボットに向く。

「女を前線に立たせてどういうつもりなんだ?それでも男か?」

 なかなか流暢なヴェネーシア語である。

"こちら、霹靂神統治ノ地、サザンアマテラス基地センター室。今から貴方を回収します"

 イセノサキもヴェネーシア語を現地民どころか語学教室の講師並みには操れたはずだ。

「不要だ」

 彼は脇腹を撃たれている。出血が認められた。表情を誤魔化せても、汗ばむ肌は隠しきれていない。

"汚染濃度が高いです。そのまま帰る先も汚染する気ですか"

「汚染?」

"20年前に、指定化学薬品の漏洩事故があったのです"

「敗戦国の成れの果てじゃないのか」

 霹靂神統治ノ地もなかなか有名な敗戦国である。大国ヴェネーシア水源郷と関わりがあるとなると特に知名度も上がるだろう。サザンアマテラス基地の職員たちは愛国者の集まりというわけではなかったが、この無知らしき異邦人のぴしゃりとした物言いには悪意を見出さずにはいられない。

"ミナカミ。彼を回収し、速やかに撤退しろ"

 とりあえず落ち着きを取り戻したアサギリはパックから注射器を取り出した。何か言いかけた男の首にぷす、と刺した。途端に彼は脱力した。汗ばんだ肌に髪が張り付いている。傷口の処置をし、半透明の死体袋みたいなケースで覆うと監察ロボットの体を割り開く。内蔵された車輪を出すことで手押し車になる機能がある。意識を失った男を乗せてエンブリオ・アクギまで運ぶ。

 一旦、コックピットに入ってから豆粒ほどの人間を拾わなければならなかった。死体袋みたいなケースを摘み、腹部シェルターに放り込む。

 離陸するまで、彼女は残された監察ロボットを見ていた。仕事を終え、また死の街に戻っていく。





 サザンアマテラス基地に戻ってくるまでの操縦は安定していた。卒倒するように降り、そのまま対策された部屋へ搬送された。除染処置の最中に麻酔が打たれ、彼女はそのまま眠ってしまった。ポニーテールの異邦人を拾って帰ってきたことも忘れていた。

 気に入りのホストクラブ、キャッスル・ストーンハートの中でも特に気に入りの三途さんずワタラセをはべらせて酒を飲む夢を見た。予定ではそうなっているはずだった。無尽蔵の給料でダイヤモンドカクテルタワーを作っているはずだった。だが酒を飲むところで途切れる。ホストクラブにはいなかった。殺風景な自室である。月光が差し込んでいる。ダブルベッドだ。隣に裸の男が寝ている。金髪が薄明かりに煌めいている。腕と手に窮屈な感じがある。包帯が巻かれていた。手にはネットも掛かっている。何度か重い目瞬きをする。エンブリオを操縦したらしい。いまいち実感が湧かないのだ。寝苦しい時にみた夢のようでもあれば、深酒の間の出来事のように、自分の身に起きたことだという現実味がなかった。他人事のようだった。妙な人物に出会って、その者を拾ったことも忘れてしまう。過去に無断発進と飲酒操縦をして死にかけの物乞いを誘拐してきたことがある。今隣で寝ているのも、アサギリが連れてきたわけではないが、似たようなものである。

「アサギ……」

 同衾が当然になりすぎているため意識すらしていなかった金髪の男が目を覚ました。片目に義眼を入れた機械がつき、忙しなく四方八方を見ている。アサギリが彼を知る前からそうだった。眼球を潰されたらしい。

「起こしたの。ごめん」

 ベッドに座っているアサギリに彼は布団を持ち上げ、肩に掛けた。四六時中、機械のフレームが仮面を思わせる義眼は左見右見とみこうみしている。

 彼はマージャリナという。本名ではない。本名は本人も言いたがらない。異邦人だ。アサギリの性処理の相手として贈られたのだから、彼に対して複雑な接し方をしなければならなかった。去勢手術も済まされている。

「傷、痛いん?」

「麻酔打ってあるし。出掛けるから。留守番よろしく」

 マージャリナの上半身辺りの肌ならば触ったことがあるが、性処理の相手として触れたことはない。穏健なサザンアマテラス基地も、このように人を人扱いしないこともあるようだ。否、マージャリナを贈ってきたのはヴェネーシア水源郷だ。同盟とは名ばかりの、宗主国の贈り物だ。属国の一組織は恐悦至極に存ずるほかあるまい。

 まだホストクラブは開いている時間だ。開いているどころか、これからであろう。基地ジャンパーを引っ掛けて寄宿舎を出ていく。

「ミナカミ」

 叱責の時によく聞く声だ。イセノサキだ。すでに夜である。市井の働き手たちは退勤し、そろそろ寝床に入っていてもよい時間帯であるというのにまだ仕事着であった。

「こんばんは」

「すまなかった」

「すまなかった、というと……?」

 日頃から愛想がないことだろうか。顔を合わせれば叱咤、問責ばかりであることか。

「アクギに乗せたことだ」

 寝苦しい夢ではなかった。深酒の間にした妄想でもなかった。

「あれ、でも、イセノサキさん、反対してくれましたよね」

「だが乗せることになった」

「いいですよ、別に」

 それよりも、出掛ける先を根掘り葉掘り訊かれはしないかとそればかりである。

「ミスター・マヤバシのことだが」

 ぎく、と彼女は胸を叩かれる感じがあった。これ以上この上司に喋らせるのが怖くなった。関わるなと言われたら、それもそれで楽である。フブキ・マヤバシへ自分から行くのは、その気遣いぶりに疲弊する。同時にそこにある蟠りを消してしまいたくもある。

 もし緊急の呼び出しがなかったら、果たして彼を夕食に誘えていただろうか。踏み出さずにいただろうか。

「夕食にでも誘おうと思ったんですけどね。前に失敗してるから。それで焦っただけです。あれは」

 彼女は早口になった。イセノサキの目は訝っているに違いない。

「お酒はほどほどにしますから。お疲れ様でございました」

 堅い男に、成績の悪いものを見せたその日にまたホストクラブに行くなどと知れたら、また大喝だいかつされる。

 寄宿舎近くも走っているタクシーを拾った。キャッスル・ストーンハートのある歓楽街を指定する。何も知らない、醜態も晒さずに済む人々に囲われているのがいい。反ア連 もとい「反サザンアマテラス基地連絡会」と「許さない会」ことアマテラス基地の兵器開発を許さない会、巨大兵器の環境破壊から守る会の募金箱に無限に湧く金の一部を捩じ込んだ。彼等には大いに働き、志を遂げてもらわねばならない。

 治安の悪い繁華街の一画にある目的のホストクラブに入っていく。あとは酒を飲み、早朝に寄宿舎へ潜り込めばいいのである。何をどうやっても解雇はされない。給料は無限に湧く。

 気に入りのホストがやってきた。明るい茶髪に側面を密かに刈り上げている。耳を虐待したように金属が刺さっていた。顔立ちの美醜でいうと、そう美男子というほうではない。底抜けに明るい雰囲気がよかった。アサギリには弟がいるけれど年の頃も同じだろう。性格的に実弟よりもこのホストのほうが弟という感じがあった。それゆえに、彼が身体を差し出そうとしてきたときアサギリはびっくりしてしまった。

「おかえりなさいませぇ」

 三途ワタラセの喋り方は舌足らずだ。それがまた可愛らしい。

「今日も来てくれたんだ。うれちぃ」

 手を差し伸べられる仕草が苦手だった。アサギリは三途ワタラセの手を上下から挟む。客を擬似的な恋人として扱うようだが、彼女が求めたのはそうではない。酒とソファーと喧騒である。そこに美少年とはまた違う可愛らしい男子が居るのが良いのである。

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