第110話 禊

 食事を終えて、タクシーを呼ぶ。

 タクシーを待っている間に、私は今の話を整理してみた。



 つまり、社長は、雪名さんに脅迫状を出す事で、雪名さんの癖を知っているアズサさんへ疑いの目を向けさせて。そして雪名さんがアズサさんを責めるように仕向けた訳だ。


 もちろん雪名さんはその社長の意図がわかっててアズサさんに接触した。


 更に、アズサさんにも同じ内容の脅迫状を出した。

 内容から、枕営業のことだと思ったアズサさんだけど、枕営業の噂の絶えないアズサさんの事務所は何もしてくれない、更に雪名さんから責められることによって、自分の置かれた立場が嫌になったところで、事務所移籍をうちの社長直々に誘えば、きっと気持ちが揺れて来てくれる、という作戦……か。



「めんどくさ!」

 私は思わず叫んだ。

「ま、社長もバカなのよ」

 雪名さんは笑う。

「それに、なんかさっきの様子だと、作戦失敗っぽくないですか?」

「ま、私が社長が疑ってるだの何だの言っちゃったしね。アズサはこっちの事務所きてもいいとは思ってるけど、あんまり社長の思い通りにはなりたくないなって思って」

 社長、人選ミスじゃん。

「一応ほら、社長には前にヤクザ騒動の時に結構動いてもらったからその禊は果たすけど、まあ上手くいくかどうかなんて私は知ったこっちゃないわ」

 雪名さんは楽しそうに言う。



 そうこうしているうちにタクシーがやってきたようだ。


「川越は本当に、奈美穂が気に入ってるみたいね。私が奈美穂に枕営業の噂教えたと思って激怒してたし。実際はそんな事言ってないのにね」

 わざと勘違いさせるようにしたくせに、雪名さんはけろりと言った。


「あの、雪名さん、奈美穂には枕営業のこと……」


「言わないわよ」


 当たり前、というように雪名さんは笑う。


「さて、禊も果たしたし。スッキリしたわ。あとはどうでもいい。一緒にタクシー乗っていく?」


「いえ、私は少し帰りに用があるので」


「あら。そう」


 雪名さんはあっさりとそう言うと、タクシーに乗って行ってしまった。


 禊だの何だの、疲れただの言ってたけど、今日はとても良くご機嫌そうだった。一緒にタクシーに乗って車内で踏めと言われなかったのがその証拠だ。


「やっぱり、雪名さんアズサさんのこと友達だと思ってるんじゃないのかなぁ」

 私はボソリとつぶやきながら、暗い空を見上げるのだった。



 ※※※


 それから数日。とくに脅迫状の件で動きは無かったようだ。


 奈美穂の方もあの日以来、アズサさんとは上手くいっているようで、色々教えてもらっているようだ。

 相変わらずストレスには弱いみたいだけど、それなりに慣れたようで、共演者たちともうまくいっているようて、SNSでも仲良さそうな写真がアップされることが多い。


 うん、やっぱりワガママだけど、ちょっと寂しい。



 そんなこんなで数日後、私と爽香はミュージカルのゲネプロに招待されていた。


「うちの事務所の社長も来るんですよ。緊張やばいー」

 奈美穂がいうので、私は少しドキリとした。


「社長?やだ、私出演じゃないのに緊張しちゃう!」

 爽香が能天気に笑ってた。


 私は少し落ち着かなかった。


 あの雪名さんの言っていたアズサさん引き抜きの件は本当なのだろうか。そして社長は今、どこまで本気なんだろうか。

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