第108話 引き抜き
「もう分かったわ。アズサが親切じゃなくて、奈美穂を弟子みたいに扱ってるってこと」
雪名さんまでちょっとドン引きしている。
「弟子とかじゃ……」
「弟子じゃないわよ」
奈美穂とアズサさんが同時に言ったが、雪名さんは無視をした。
「えっと。すみません、じゃああの脅迫の件は雪名さん的には何なんだと思ってるんですか?」
私は話を戻す。
雪名さんは肩をすくめて答えた。
「別に知らないけど。例えば今脅迫されている吹き替えの仕事、私が、というか候補に上がってる人がみんな嫌だと思ってる人かもしれないし。この仕事を狙ってる別の人かもしれないし。全然今の仕事とは関係なく適当に何人かに脅迫状送って尻尾が出ればラッキーって思って週刊誌の人かもしれないし?」
「つまり、わからない、と」
「でもうちの社長は、川越だと思ってるけどね」
「ずっと疑問だったけど、何であんたのとこの社長は私を疑ってんのよ」
アズサさんは呆れたように言った。
「私が事務所クビになったのはもう何年も前なのに」
「さあね?」
雪名さんはニッコリと笑った。
「まあいいじゃないの。ご飯食べましょう」
そう言って、雪名さんはワインの追加注文をした。
「ところで川越、またうちの事務所に来ない?」
「はあ?」
突然の提案に、アズサさんはポカンとした。
「何言ってるの。私の事疑ってる社長ととこなんて行く気は無いけど。てか、私は今の事務所でここまでのし上がって来たのよ」
「そう?本当に今の事務所で満足なの?」
雪名さんは意地悪そうな顔で言う。
アズサさんは、「話にならない」と呆れ声を出すと、財布からお札を取り出した。
「私帰るわ。あんたと話をしたくない。脅迫状の件だって、あんたと話してても何も解決しなそうだし」
そう言って、アズサさんは席を立った。
「悪いわね、私は帰るわ」
「あ、あの、私も帰ります!」
奈美穂が慌てて立ち上がった。
「奈美穂はゆっくり食べていきなさい。今来たばっかなんだから」
「いえ!一緒に帰ります。お供させてください!」
奈美穂は必死で言った。
奈美穂がこの会食への参加を拒みながらも結局今日ここに来たのは、アズサさんとゆっくりと話をしたかったのだろう。
まさか脅迫だの何だのの話になってるとは思いもしなかったはずだ。
「お、お邪魔なら……大人しくついていくだけにするので」
「かえって怖いわよ」
アズサさんは呆れながら笑う。
「じゃ、悪いけど、私は弟子と飲み直すから。あんた達は変態同士ゆっくりしていればいいんじゃない?」
「変態じゃないですぅ!」
私は変態じゃない!
でも、アズサさんはそんな私の訴えを無視して、奈美穂を伴って去っていってしまった。
「はあ、疲れたわ」
雪名さんは、アズサさんが行ってしまったのを確認して、大きなため息をついた。
「嫌ね、こんな役目。社長もバカなことするわ」
「なんの話ですか?」
突然人が変わったかのようにグッタリとした雪名さんに、私は慌てた。
「え?全然意味がわからない。社長が何関係あるんですか?」
「引き抜きよ」
雪名さんは面倒くさそうにワインをあおる。
「引き抜き?え?意味がわからない」
「静かにしてよ。ちゃんと説明してあげるからちょっと足でも踏んでて」
そんな軽いノリで踏むことを強要しないでほしい。
でも、雪名さんはグッタリしているのが可哀想に思えてしまって、私は仕方なく足を踏む。
「ああ……生き返る……」
うっとりとした顔をしながら雪名さんはワインを飲みながら踏付けを堪能している。
「あの、雪名さん、ご説明を……」
私は雪名さんをグリグリしながら恐る恐る言うと、雪名さんは面倒くさそうに言った。
「本当かどうかは知らないけどね。白井さんの報告によると、今うちの事務所は、舞台関係事業を拡大しようとしてるらしくて。それで舞台とかミュージカル出来る子の育成に力を入れてるらしいの」
雪名さんは私にもワインを注ぎながらそう説明しだした。
「奈美穂にミュージカルのオーディションを受けるよう提案したのも事務所の意向らしいわ。他にも若手の女優達にも色々舞台のオーディション受けさせたみたいだけど、奈美穂が一番いい役取れたみたいね。まあ、うちの事務所の俳優女優達はドラマ映画志望の子が多いし、やる気も無かったんでしょ」
「へえー全然知らなかったです」
じゃあ奈美穂、なんやかんやで事務所の期待背負ってるのでは?と、私は他人事ながら嬉しくなってきた。
「でも社長としてはもっと成果上げたかったみたいね。それで今舞台業界で有名になりつつあって、かつ後輩の面倒見がいいアズサを引き入れたがってるみたいでね」
社長がアズサさんを……ってことは、まさか……。
「え?もしかして、脅迫状ってうちの社長が?」
「証拠はないけどね」
雪名さんは大きなため息をつく。
「馬鹿みたいよね。正攻法で断られたもんだから、私を利用してんのよ。ヘッタクソな演技で『この脅迫状は多分川越アズサだろうから、一度話をつけてこい』なんて言っちゃってね」
雪名さんはなんだか寂しそうだった。
「大事なお友達なのに、そんな騙すみたいな真似の片棒担ぐなんて……心中お察しします」
「……何をお察ししてるの?お友達とか思ってないけど」
雪名さんのツンデレ発動かと思ったけど、その表情は本気で思ってなさそうだった。何よ、寂しそうな顔してたくせに。
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