第59話 ピンヒール
バスルームから出て、さっきまで着ていた服を着ようとしたが、どこにも無くなっていた。その代わりに真新しい下着と、雪名さんのものであろう少し大き目の部屋着が置かれていた。
着替えて居間に行くと、テーブルにワインの用意と、ソファーの横に真紅のピンヒールが置かれていた。
「これ多分、お泊りさせるための罠だ……」
これは酔っ払わないように気を引き締めていかないと、私は気合いを入れた。
「あら、緊張しないで、自由に飲んでてよかったのよ。ほら座りなさい」
雪名さんが、バスルームから優雅に出てきた。
ソファーに座ると、グラスにワインを注ぎ入れて私に渡してくれる。そして自分もワインを飲みだした。
「さっきは飲んだ気しなかったからね」
「あはは。そうみたいですね。あ、着替えありがとうございます。あの、私の服は……」
「洗濯機に入れちゃったわ。乾くのは朝かしら」
当然のように雪名さんは言い放った。
「あら、もしかして帰るつもりだった?」
「まあ」
「いいじゃない。明日はお仕事昼からなんでしょ。ゆっくり踏んで、疲れたらそのままここで寝ちゃえばいいじゃない」
「疲れるまで踏む……?」
案外重労働のようだ。
ちびちびとワインを口にする私を後目に、雪名さんはそっと宝物のようにピンヒールを手に取った。そして私の足元に置いた。
「どうぞシンデレラ」
「では、失礼します」
私は意を決してピンヒールを履く。
目的はどうあれ、やっぱり可愛い、素敵な靴だ。
私以上にうっとりしている雪名さんは、テーブルの上に、何やら器具を置いて、そこにスマホを取り付けだした。
「雪名さん?それは一体……」
「カメラ」
「何故カメラ?」
「好葉が私を踏んでいるところを撮りたいの」
「私に拒否権は?」
「あると思ってるの?」
雪名さんは当たり前のように言って、カメラ位置を調整している。
「本当は顔を踏んでもらいたいんだけど、どうしても好葉はしてくれないし。背中踏んでもらうのが一番なんだけど、そうすると、ピンヒールが見えないのが悔しいのよね。だから、撮ればいいんだわ、と思って」
ヤバい、本格的に変態っぽい。
ドン引きしている私をよそに、雪名さんはソファーに座る私の前に跪いた。
「ああ、ワイン飲みながらでも大丈夫よ」
そう言って、私の足を持ち上げて、頬擦りするように顔に近づけた。
「勿論、踏みたくなったらいつでも顔を踏んでくれてもいいんだからね」
「それは、あの、大丈夫です」
私はきっぱりと言いながら、土下座スタイルになる雪名さんの背中に、そっと足を乗せた。
ヒール部分に力をいれると怪我する可能性がある。女王様に怪我をさせることなどあってはならない。
私は、ソファーに身体を預けながら、なるべくつま先の方に力を入れて踏んでみる。グリグリさせるのが雪名さんのお気に入りの踏み方なので、そうしてみる。
「ああ……いいわ。とってもいいわよ」
「はい、ありがとうございます」
「もう少し強くしてもいいわ。立ち上がって踏みなさい」
「た、立つ……」
私は躊躇した。
今はソファーに身体を預けているから力加減ができるけど、立ち上がったら不安定な片足立ちになってしまうので危ない。
「えっと……立つのは……」
「私のいう事聞けない?」
「い、いえ」
恐る恐る私は立ち上がった。やっぱり慣れないピンヒールは不安定で、冷や汗が噴出してくる。
でも絶対に雪名さんに怪我はさせない。
私は必死でバランスを取りながら雪名さんをつま先でぐりぐりする。自然にさっきより少し強くなったようで、雪名さんからは色っぽい吐息が漏れた。
「大丈夫、ですか?休みます?」
私は心配になってたずねた。すると、ほんのり頬を赤くした雪名さんがこちらを振り向いた。
「少しだけ、すこしでいいから、ヒールの方に力、入れてもらえる?」
「ヒール……」
「お願い……欲しくてたまらない」
珍しく下手に出た雪名さんの潤んだ目での「お願い」に、私は思わずゾクゾクしてしまった。
「す、少しだけですよ。痛かったら言ってくださいね」
私は慎重にかかとに力を入れる。
人の身体に、ピンヒールが沈み込む感触があって、私はゾクッとして、思わずバランスを崩してしまった。
そして勢いよく後ろに転んでソファーに転がった。
「あ、ぶな」
雪名さんをヒールで踏みつけるような転び方しなくて良かった。私はホッと胸を撫で下ろした。
「大丈夫?」
雪名さんはゆっくりと起き上がる。
「足は捻ってない?」
「は、はい。大丈夫です」
心配そうに私の足を撫でて、テーブルのスマホの撮影を止めると、雪名さんもソファーに座った。
「痛くなかったですか?」
「よかったわ」
雪名さんはうっとりと言った。
「後で動画も鑑賞するわ。視覚的な刺激も欲しいもの」
「でも、やっぱり緊張しますよ。一歩間違えたら本当に刺さりますよ。私が悪い子だったら、雪名さんを一突きにしてますよ」
私は一応抗議してみる。それでも雪名さんは優雅にワインを飲みながらでも言った。
「好葉は、私に怪我させたりしないわ。そうでしょ?」
さも当然、というようにニヤリと笑うと雪名さんに、私は「まあ。はい」と頷くしかなかった。
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