第12話 お怒り

 しかしその日の夜、私が雪名さんへ謝罪メッセージを送る前に、白井さんから電話がきた。

「ごめんね夜遅くに。なんか雪名今すっごい凹んでてね」

「へ?」

 雪名さんが、凹んでいる?全く想像もできない事を言われ、私は素っ頓狂な声が出てしまった。

「なんか雪名、牧村ちゃんに失礼な事言ったんでしょ?」

「え?えー……っと?失礼というか……」

 まあ、失礼っちゃ失礼な事か。でもどっちかっていうと私が不敬だって怒られるのかと思ってたので、この電話は予想外のものだった。

「雪名に謝らせるから、牧村ちゃん暇な時に会ってあげてほしいんだけど」

「あ、謝らせるなんて、そんな……」

「ううん。ちゃんと謝らせる。だいたい、雪名の方もこのままだと仕事に影響出ちゃう」

 雪名さんの仕事に影響が出てしまうなら一大事だ。

「じゃあ、明日にでも」

「うん、ごめんね」

 白井さんが申し訳無さそうに電話を切った。


 あの雪名さんが、凹んでいる……。

 正直、私は失礼ながらも、凹んでいる雪名さんをちょっと見てみたいとゾクゾクしていた。


 次の日、私は雪名さんと待ち合わせをしている個室のカフェへ向かった。

「牧村ちゃん、こっちよ」

 店の前で白井さんが手招きしてくれていた。

「ごめんねわざわざ来てもらっちゃって。本当はこっちから行かなきゃだめなのに」

「いえいえ。雪名さん忙しいですし」

「牧村ちゃんだって暇じゃないでしょ。今日雪名の奢りだから、好きなケーキ頼んじゃって。ここのケーキ、有名シェフ作ってるんだから」

 そんな事を話しながら、白井さんと一緒に店内に入る。


「雪名、中で待ってるわ」

 そう言われて、個室の引き戸をゆっくり開けた。

 中には凹んだ雪名さんがいる、はずだった。


「来たわね、好葉」


 ――殺される!?


 そこにいたのは、殺意に満ちた目で、威圧的にこちらを見下ろすように座っていた雪名さんだった。


 私は思わず、開けた引き戸を思いっきり閉めた。


「白井さん?雪名さん……凹んでたんじゃ……」

「凹んでるわよ」

「て?アレは激昂している顔では……?」

「え?どう見ても凹んでるじゃない」

「どう見ても殺意に満ちた顔なんですけど」

 そう言いながらも、再度そっと戸を開ける。

 やっぱり雪名さんは人を殺しそうな顔をしている。完全に個室内に吹雪が吹き荒れている。


「好葉、何でさっき閉めたのよ」

「だって、命の危険を感じて……」

「はあ?」

 雪名さんは私を見下ろしながらも、向かいに座るように促した。

 私は大人しく座る。

 やっぱりどう見ても凹んでるようには見えないんだけど……。

「ケーキ」

「は、はいっ?」

「早くケーキ注文しなさいよ」

「あ、はいっ」

 私は慌ててメニューを開いた。3回くらいラーメンが食べられそうな値段のケーキに目眩がしてしまい、「雪名さんのオススメをお願いします」というだけで精一杯だった。


「昨日は悪かったわ」

 ケーキを注文するやいなや、雪名さんはボソリと言った。

「冷静に考えたら、私だって、オカズにするために撮りたいからドラマのセリフを言ってくれなんて言われたら、相手の頭をかち割りたくなるほどムカツクわ。……それと同じ事を、私は好葉に言ったのよね……」

 雪名さんは怖い顔のままだ。しかしどことなくいつもの自信満々な瞳はなく、やはり凹んでいると言っていたのは本当なんだとわかった。

「本当に、失礼だったわ。好葉が怒るのも無理ない」

「い、いえ……その、私も怒ってた訳じゃなくて」

 私は慌てて言った。

「その、普通にただ断っただけのつもりだったんです。その、ただ普通に……普通の事を言っただけのつもりだったので……」

「ええ。そうよね。好葉にとってはダンスはお仕事だもの。普通のことだわ。好葉が正しい」

 雪名さんは真剣な顔で私を見つめてくる。


 雪名さんがあの時言った言葉は、たしかに少しイラッとした。だけど、雪名さんにとって私は踏むだけの人だから仕方無いと思っていた。

 でも……

「雪名さんは、一応、私を一人のアイドルとして見てくれてたんですね」

「は?当たり前じゃないの」

 雪名さんは訝しげに答えた。


 ケーキセットが運ばれてきた。

 季節のフルーツが山盛りになっている、かなり高級そうなケーキだ。

「か、可愛い……芸術的……写真撮ってもいいですか?」

「別にどうぞ」

 雪名さんはそう言いながら、自分はさっさとフォークでケーキを突き刺した。

「キラキラ女子なら、こういう写真真っ先に撮りそうですよね」

 何気なく私が言うと、雪名さんはピクリと動きを止め、険しい表情になった。

「あ、地雷踏んだ」

 さっきまで黙って横に座っていた白井さんが面白そうに言った。

「雪名ね、役作りちょっと難航しててね。顔合わせの時に、監督に『キラキラ女子、出来なそうな子だな』って言われちゃったり、ダンスの練習もうまくいってないし」

「白井さん、余計なこと言わないで」

 雪名さんはギロっと白井さんを睨むが、白井さんには一切効いていない。

「それでストレス溜まっちゃって、牧村ちゃんの足を動画で欲しがったりしちゃったんだよね。ま、今回はストレスのせいだけにするのは良くないけど」

「ストレス……?雪名さん、何で私に踏んでくれって頼まなかったんですか?」

 別に私は踏むことは積極的では無いけど。

 雪名さんはバツが悪そうに、しかし横柄な態度で答えた。

「このペースじゃ、毎日好葉を呼び出して踏んでもらうことになるって思ってね。さすがの私もそれは良心の呵責があったのよ。動画があれば、毎日呼び出さなくても何とかなるかと思って……」

「あはは、一応気遣いだったんですね」

 私は思わず笑ってしまった。

「確かに毎日は困りますけど。まあでもストレス溜まったたらたまにはお相手しますので」

「言ったわね。撤回させないわよ」

 雪名さんはそう言うと、すぐにスマホで何かを操作した。

「よし、今レンタルスタジオ押さえたから。これ食べたらさっそく行きましょう」

「は?」

「相手してくれるんでしょ?」

 雪名さんはそうニヤリと笑う。

 あれ?さっきまで凹んでたのでは?立ち直り早すぎじゃないですか?

 私は口をパクパクさせながら白井さんを見る。

 白井さんは「雪名、ちゃんと謝れて良かったわね」と微笑んでいるだけだ。白井さんは結局、雪名さんに激甘なのだ。

 私は引きつった笑いを浮かべながら、ケーキを頬張るしか無かった。






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