Ⅳ  責める者のために


 それから、我々は彼女の情報を集めて回りました。

 いわく、悪魔憑きだと。いわく、その両親が早く亡くなったのも彼女のせいだ、奴は死神だ、と。

 いわく、彼女の花は死肉を喰らって咲かせているのだ、だから墓守などしているのだ、と。



 日の暮れた町の片隅で彼は息をつきました。

「どうも悪魔寄りの情報しかないが。やはり奴は……」


 私は首を横に振ります、密かに力を込めて。

「いえ。いずれの話も、自分で確かに見た、というものはありませんでした。さらには、誰から聞いたのかもはっきりしないものばかり。情報としては確度の低い、ただの噂に過ぎません」

 うつむいて続けました。

「ただ……彼女は人々から忌み嫌われている、それだけは事実のようです」


 彼はうなずきます。

「理解を越えたものは崇めるか、忌み嫌うか……人はそのどちらかだ。なるほど、自然な反応ではあるのだろう。いやしかし、お前の冷静な意見があって良かった。さすがは主席学僧様だ」

 そうして、手荒くわたくしの背を叩きました。


 わたくしはむせて、しばらく息を整えねばなりませんでした。そうした後、顔を上げて辺りを眺めました。

 日の落ちた西の空はくすぶるように薄赤く、しかしそれを飲み込むような濃いあい色が、東から迫っていました。そのさらに先は夜の色、全て塗り潰すような黒。


 そんな空の下には、背の低い家々や商店が地べたをいつくばるようにのきを連ね。それに合わせて背を曲げるように、ぽつぽつと人が行き交う。その足下に上がる土ぼこり

 かすれた町、びたような町。この町で彼女はまれうとまれ、けれどその身に花を宿す。



 そのようなことを想っていたときでございます。不意に、その彼女の声が聞こえました。


「だ・か・ら! 聞きなさいってば!」


 彼と顔を見合わせ、声のした方へと走ります。

 建物の陰から顔を出し、のぞき込むと。

 彼女がおりました。何かかごと包みを手に、その背から花や実のついた木々を伸ばして。


 彼女がきつくにらむ、その視線の先には。何人かの子供がいました。薄汚れた――いえ、はっきりと汚れ破れた、ぼろきれのような衣服を身につけた子供らが。


 彼女は腰を片手に当て、胸を張っていましたが。腰を折り、子供らの目線へ身をかがめました。背中の木の葉を揺らしながら。

「だから聞いて、持っていきなさい! ほら」


 言って、突き出してみせたのは。果物の入ったかごでした。無花果いちじく山桃やまもも酸塊すぐり。彼女の背に揺れる木に、実ったものと同じ果実。


 子供らは長いこと、籠の中身と彼女の姿を見比べておりましたが。やがて彼女の手を叩き、籠を払い落としました。

 そうして逃げ出そうとした、そこを。一人が、彼女の手につかまれました。


 彼女は言葉を浴びせます。

「待ちなさい、聞けってば! 何で逃げるの、持っていきなさいって!」


 子供は強く手を引いていましたが、やがて観念したように力を緩めました。

同じく逃げていた他の子供らも、足を止めて遠巻きに二人を見ていました。


 子供は彼女に手をつかまれたまま、目をそらして言います。

「何でも、クソもよ……食えるかよ、悪魔の、魔女のなんて」


 彼女が頬を震わせ、歯を剥きます。その額からは肌を割ってみりみりと、角のように植物が伸びました。とげそなえた青葛あおかずらの、硬いつるが。


 そうして彼女は無言で、落ちた無花果いちじくを拾い上げ。かぶりつき、咀嚼そしゃくし、飲み込みました。皮も剥かずに。


「無事だよ。食って大丈夫だよ、これは」

 そうして、さらに身をかがめ。子供の目を見据えました。

「食えよ。食わなきゃ死ぬんだからね」

 彼女が握った子供の手は、枝のように細く、細く。その顔も、頭蓋骨に皮を貼りつけたかのように痩せていました。


 手を放すと彼女は歩き、一つ一つ果実を拾い上げてゆきます。

「確かにねえ、あたしは魔女かも。こんな普通じゃないんだからね。でも」


 集めた果実を籠に入れ、子供の方へと歩きます。めきり、ばさばさ、と音を立て、その背に木の枝葉を伸ばしながら。

「だったらあたしは呪うからね、悪魔の力で。これ食わなきゃあんたら死ぬ、って」


 もはや一対の翼のように広がった、木の枝葉を揺らしながら。

 震える子供に、果物の籠を握らせました。

「皆で食え、分けて食いなよ、そしたら呪いは解いてやるから。不満なら……さ、これも」


 別に抱えていた包みを取り、籠に載せます。その中からのぞいたのはパン。わたくしたちが昼間に差し上げたもの。

 名残り惜しげにその端をちぎり取り、自分の口に放り込んで。よく噛み、飲み込んだ後で、彼女は子供らに背を向けました。


 籠を受け取った子供は、その中身と彼女の背を見比べていましたが。

 不意にしゃがみ込み、手を地面にやると。拾った石を、彼女に投げつけました。


「死ね、悪魔! 地獄に帰れ!」


 唾を吐き捨て、籠を抱えて走り去り。他の子供たちもそれに続きました。


 石が当たったのか、彼女は肩を押さえて、子供らが去った方を見ていました。

「クソガキが……」

 そうして唾を吐き捨て、歩き出します。背中で木々を揺らしながら。


 ですが。不意に足を止め、両手の指を組み。こうべを垂れてつぶやきました。

「神様。……どうかあのわるたれのクソガキどもが、あげたものをちゃんと食べますように。性悪しょうわるなりにしっかりと、生きていけますように」


「な……」

 わたくしの横で彼は、大きく口を開けていました。わたくしも同じような表情をしていたでしょうが、それ以上に。



 彼女はなおも深くこうべを垂れ、抱き締めるように手を胸に押しつけました。

「クソみたいに意地の悪いあの子たちがいつか、いえ、できるだけ早く。お腹いっぱい食べることができますように。病気などしませんように、いるならあの子たちの親も。もういないならそいつらはせめて、天国で良い目を見てますように」



 ざわ、と音が聞こえました、私の耳には。

 彼女の木々が揺れたのではありません。隣から聞こえました、彼の方から。

 それは幻だったのかもしれません。空気が揺れる音。体毛の一本一本が逆立ち、血の巡りがさか巻き。胸を破るような鼓動の響きが、洩れ出たかのような音。


 彼は口を開けていました。見開かれた目はどこにも焦点が合っておらず。なのに確かに、彼女に向けられていました。


 彼は震えるような、かすれるような声を洩らしました。

「責める者のために、祈るのか……自らを打つ者のために、あの女は……!」


 ああ、わたくしが聞いたあの音。全てをざわめかせるあの音。

 人が恋に落ちたときには、あのような音がするのかもしれません。命がけの恋に、落ちたときには。



「この町の人たちも皆、病気などしませんように。どうか神様、お恵みを等しく――」


 なおも人のために祈る彼女の前に、足音も高く彼は歩み出ました。

「女。清き者よ……お前こそは、この世で一番に救われるべき者だ」


 彼女は驚いたのか、身を震わせてそちらを見ます。背中の木々も震わせて。

「……聞いてたの」

 ため息をつき、顔をしかめます。

「いや、あんたが聞いたところでね。神様がそう言って下さるならともかくね」


「なるほど、神しかお前を救えぬというのか」

 彼は大きく歩み寄りました。あの射抜くような目で、一心に彼女を見つめながら。


「ならば誓おう。オレが神だ。オレが救う」

 そして、羽織っていた巡礼マントを広げ。包みこんだのです、彼女を。その背に翼のように広がる、木々ごと全て。



 わたくしは、わたくしは。見ていることしかできませんでした、青黒い空の下。月が白く照らし出す二人の姿を、物陰から。


 口を半ば開け、大きな目を瞬かせ、それでも彼を見つめる彼女と。

 変わらぬ眼差しを、真っ直ぐに向ける彼とを。


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