Ⅱ  学僧二人

「本物だ……本物だぞあれは!」


 足早に歩きながら、声を震わせて彼は言いました。沈丁花じんちょうげと、彼女が生やしていた他の花を握りしめて。


 同じく無花果いちじくといくつかの花を抱え、後をついて歩きながら。わたくしは眉を寄せました。


「本物といっても……どちらのです?」


 神の奇蹟を受けた聖女か、悪魔の力を授けられた魔女か――正直、そんなことを考える羽目になるとは思っておりませんでした。私も、おそらく彼も。



 申し上げるまでもないことでございますが、やはり時折いるのです。神から奇蹟の力を授かったと称し、奇妙なわざを見せて小銭を稼ごうとするやからが。

 無論彼らが神の御力など、与えられているわけはございません。しかし、ならば悪魔より力を授けられたかと申しますと。それも違うのでございます。


 何もない机に伏せた手から、聖なる護符を出してみせる男。彼のそでには細工がございました。

 相手の選んだカードの数字を、百発百中で当てる女。彼女のカードには巧妙な目印がつけられておりました。

 生きた魚を口から出す男は、飲み込んで吐くことが達者なだけでしたし、手を触れずに木皿を動かす男には、鉄を仕込んだ木皿と、演台の下に磁石を持った相方がありました。


 要するに、種も仕掛けもあるわざばかり。


 奇蹟か否か、それを起こす者が聖者か否か。それを査定される審定官しんていかんの皆様も、近年ではいかなる仕掛けがあるかを見破るのが仕事のほとんど。神の力か悪魔のわざかなどと、心配したためしはないと聞き及んでおります。



 ……余計なことを申しました。さて、彼はわたくしの言葉に対し、こう言ったのでございます。


「どちらかだと? 知るか、そんなことはどうでもいい! 大事なのは、だ――」


 ずい、とこちらに身を寄せ、わたくしの目を見据えます。瞳のさらに奥まで見通そうとするかのように、真っ直ぐに。


「神の力、悪魔のわざ! 少なくとも、そのどちらかは実在するというわけだ! これが喜ばずにいられるか、ええ?」


 花を持った手を握りしめ、友は天を仰ぎました。その拍子に、かぶっていたフードがずり落ち。剃髪ていはつした頭があらわになりました。一髪いっぱつも残していない素肌の頭が。



 ――彼は奇妙な男でした、そして真の信仰者でした。

 学僧としての入学の日、彼は学びの前に、どっか、と座し、こう言ったのです。

『神の使徒たる我らに不淫ふいんの戒有り。ならば我、女人にょにんに色目使うこと生涯有らじ。しからばこの飾り不要にて、我が主に捧げたてまつらん』

 そうして、その場で剃刀かみそりを持ち。自らの髪を全て、り捨てたのでございました。


 無論、神の教えに剃髪ていはつの戒などございません。

それでも、わたくしは。剃刀かみそりの勢い余って頭から血を流す彼の前にひざまずき、こうべを垂れたものでございます――。



 射抜くような目つきのまま、口の端を吊り上げて彼は笑います。

「あの力が、よしんば悪魔のそれだとしてもだ。悪魔が実在し神が不在、そのようなことはあるまいよ。神の存在証明、オレたちは目にしたというわけだ」


 私は小さく笑い、かぶりを振りました。彼と違い、未練がましくも伸ばした髪を揺らして。

「貴方ともあろう方が、理論的とは申せませんね。仮に悪魔の実在が証明されたとして、それが直ちに神の存在を証明することにはつながりません。……そも、神の存在について疑ってよいとは思われません。神を試すことなかれ、主はそう仰ったはずです」


 彼は歩みを止め、小さく口を開けましたが。すぐに微笑みました。

「そうだな、全くそのとおりだ。お前のように賢い奴が、友で良かった」

 同じく足を止めていた、わたくしの方へと歩み寄り。手荒く、背中を叩いてきました。


 その勢いにむせた後、ともかく巡礼宿へと歩きながら。わたくしは言いました。

「ともあれ、何らかの不可思議であることに疑いはありません。仮に何か仕掛けがあったところで――」

 手にした植物に目を落とします。彼女の脚に伸び、とげを刺した青葛あおかずら。彼女の胸元から伸び上がり、花を咲かせた菖蒲あやめ

「植物が目に見える速度で伸び、花を咲かすなどとは有り得ないことです。さらに言えば、開花の時期も違う植物。これだけ見事に咲いたものが同時に在るというのも、尋常のことではありません」


 彼もうなずきます。そして、自らが手にしたいくつかの植物に目を向けました。

「これらのもの、手に入れられて良かったが。見る限りただの植物だな……手折たおってみてもただの枝、ただの茎だ」


 花代と称して、彼女に小銭をせびり取られはしましたが。確かに、手に入れられて良かった。わたくしはそう思いました、彼とはおそらく違った意味で。


 犬槐いぬえんじゅの枝の端、わずかについた、彼女の肌の切れ端をなで。

 抱き締めずにはおれませんでした、彼女の胸から伸びた菖蒲あやめを、他の植物と共に。青葛あおかずらとげが、我が身を刺すのも構わず。


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