奇蹟の花、偽りの神

木下望太郎

Ⅰ  花


 ――彼女こそは奇蹟きせきの人、疑いようもなき聖女でございました。

 ただ、神に愛されてはおりませんでした。そもそも神など、いるのかどうか。――




 彼女はすらりとした眉をきつく寄せ、わたくしたちをにらんでおりました。

古びた墓石の並ぶ小さな墓地で、剣のように突き立てたスコップに片手を載せて。


「ね。ちょっとご挨拶あいさつが過ぎるんじゃない、ぼくたち? 初めて会った人にいきなり、『貴方が聖女ですか』『お前が魔女か』、だなんて」


 ゆったりとした白い衣、土でひどく汚れたそれを帯で留めた腰に片手を当て、膨らみを持った胸を張り、背を反らせ。

 彼女はわたくしたち二人の口真似まねをしてみせた後、続けて言いました。赤茶けた髪を揺らし、不機嫌げに歪めた顔を突き出して。


「残念でした、どっちでもございません。こんなとこまでご足労いただいて恐縮ですがねー、お偉ぁい司祭さまがた? とっととどいていただけません、いくつか直さなきゃいけない墓がございますの」


 その言葉は無論、ただの皮肉でございました。修道服の上に、薄汚れた巡礼マントを羽織った若者二人。どうあがいてもわたくしたちは身分のとおり、見習い学僧としか見られようはございません。


 私の隣で、彼――私の親友、尊敬する友――が、声を上げました。礼を欠いたことに、巡礼マントのフードを取りもせずに。

「はぐらかすな、質問に答えろよ。お前は神の奇蹟を受けた聖女か? 悪魔の力を授けられた魔女か?」


 そこまで言って彼は笑い、鼻で息をつきました。吐き捨てるように。

「まぁ、どっちも有り得まいな。どうせ噂だけか、さもなくば仕掛けがあるのだろう。『何もないところから花を出す女』などと――」


 彼女はひどく眉根を寄せ、わたくしたちの方に、ずい、と顔を寄せ。

 口を突き出しました、花弁のような紅い唇を。宙に口づけするかのように。


 わたくしは思わず身を引きました。彼女の勢いを怖れてではなく。突然、香ったので。

 それまでには感じなかったもの、鼻孔に粘りつくかのような甘い匂い。花の香りが。


 彼女は花弁のような唇を割って、舌を突き出し。

 その上には載っていました、緑の葉をそなえた花が。いいえ、生えていました。小さな十字の形をした慎ましやかな花弁、それが丸く寄り集まったものが。甘やかな香りを散らす花が、舌に。


 彼女はそれをちぎり取り、彼へと放り。

 彼がそれを取り落としかけ、慌ててつかみ直すのを見て、鼻で笑います。そして言いました、その花の名を。茎の断面を残したままの舌で。


沈丁花じんちょうげ


 彼女は背を向けると、長い髪をかき上げました。緩く波打つ赤茶けた髪を。

 その下、白いうなじには。生えていました、小さな枝が。五股に分かれた葉をそなえた茶色い枝。そこには薄赤い皮に包まれた、柔らかな果実がいくつか下がっていました。


 根元から折り取り――彼女の肌には血がにじみました――、私にそれを放ります。


無花果いちじく


 彼女は衣のえりに手をかけ、胸元まで引き下げます。

 そこにはのぞいていました、ナイフのような鋭角を持った、細長い葉が。それが見る間に伸び、さやのような緑のつぼみをつけた茎も真っ直ぐに伸び。やがてほどけるようにつぼみが開き、彼女の頬に添って、高貴な青紫の花弁を垂らしました。


菖蒲あやめ


 言って彼女はさらに見せます、右の手首を。その皮膚が、肉がこごって生える枝を。見る間にも伸びゆくそれに連なる緑の葉、房のように集って咲く犬槐いぬえんじゅ

 髪に混じって茎を伸ばし、ひとつまみほどの慎ましい花を連ねた禊萩みそはぎの群れ。

 えりの隙間、背骨から枝分かれしたように伸び、丸い実をいくつも揺らす山桃やまもも

 足首から伸びてふくらはぎを伝い、忘れられたような小さい黄色の花をつける青葛あおかずら。その硬いつるに生えたとげが彼女の脚を刺し、衣に小さな血の染みをつけました。


 それら植物の名を告げ、彼女は唾を吐きました。血と、沈丁花じんちょうげの枝の欠片と一緒に。


 彼は、我が友は、目を口を大きく開けておりました。沈丁花じんちょうげを手にしたまま。


 わたくしも同じ顔をしておりました。ただ、急かすような鼓動が体の中で打ち響き、早まった呼吸は胸の内へと運んでいました。

 手にした無花果いちじくの香り、彼女が示す花の香りを。衣を、髪を持ち上げる彼女の、わずかな汗のにおいを。鼻孔に絡みつくかのような、その奥まで絡め取られるかのような、匂いを。


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