家族ルール

29.言葉や形にしないとダメなんだよね


◇◆◇


 雨上がりの夕暮れの家路を、兄に手を引かれながら少し後ろを着いて歩く。

 かつても一緒に暮らしていた頃も、よくあることだった。

 びしょ濡れになって少し冷えている身体とは裏腹に、英梨花の心はじんわり暖かい。

 目の前には、記憶の中のものよりすっかり大きくなった背中。

 かつてこの髪の色で謂れのない言葉をぶつけられた時も、兄はいつもその背中で守ってくれた。とても頼りになって、気を許せて、唯一確かな寄る辺だったもの。兄さえ居てくれればそれでよかった。


 ――自分が本当の妹ではないと知るまでは。


 異物だと誹られる自分が、家族の中でも異物だった。

 それを知った時、ガラガラと足元が崩れるような感覚は忘れられそうにない。

 途端に、兄がどこか遠くに行ってしまうような気がして。

 真実、自分が原因で離れ離れになってしまった。異物である、自分のせいで。

 こちらに戻ってくるときも、嬉しいという気持ちと共に不安と恐怖があった。

 だからなるべく、昔と同じようであることを心掛けたけれど――だけどそんなもの、結局は杞憂だったのだ。今、そのことを実感している。この胸の灯る感覚はあの頃と何も変わりやしない。

 いつだってこの兄は自分を見つけ、助けてくれる。血のつながりが希薄でも、やはり翔太は兄でエリカは妹なのだ。


◇◆◇


 2人してびしょ濡れで家に帰り、散々美桜の世話になったその日の夕食後のリビング。

 翔太たちは話し合って、いくつかの取り決めをした。

 思い返せばなし崩しに始まったこの3人の生活は、家のことなど適当で同居しているというより、宿泊施設みたくたまたま同じ施設を利用していたというような様相と言えよう。

 ここは、旅館でもホテルでも何でもない。同じ家で生活していくとなれば、様々なことを自分たちで協力してやらなければならない。

 だから、家事に関することや生活していく上でのルールなど、様々なことを決めた。

 主に翔太が掃除、英梨花が下着のこともあって洗濯を担当することに落ち着いた感じだ。ゴミ出しは3人で当番制に。それらを確認するかのように、美桜が言う。


「――他は遅くなる時の連絡、ご飯の有無にトイレやお風呂に関するあれやそれ……いやぁ、こうして確認してみると、有耶無耶になってたことって結構あるねー」

「そのへんあやふやだったから、あんな事故が起こったりしたからな」

「あーあ、これでラッキースケベイベントが起こりにくくなっちゃったね。残念!」

「起こさないための取り決めだよ、ったく!」

「うししっ」


 先日のいくつかの出来事を思い返し、赤面する翔太。その顔を見て笑う美桜。

 まったく、笑いごとではないというのにとねめつけていると、ふいに美桜が少し申し訳なさそうな表情を作る。


「でもいいの? あたし、食事以外の担当ほぼないじゃん。いや、楽でいいんだけどさ」

「いいんだよ。美桜には普段のメシ作ってもらってんだから。他の家のことまで任せたら、それこそおかん・・・だろ。俺たちがやるってのが筋ってもんだ」

「ん、みーちゃんまかせて」

「……そっか」


 今まで母との2人暮らしの中で、家事が多岐に渡り手間や時間が取られることを、よく知っている。いくら美桜が世話焼きとはいえ、過度に甘えるのはダメだろう。

 それに明確な役割が出来ることで、英梨花もこの家で居場所があるということを実感しているのか、やる気を滾らせている。

 こうしたすり合わせが、共に暮らしていく上で必要なのだろう。リビングには、かつての様な穏やかな空気が流れていた。

 翔太はもっと早く決めておけばよかったな、なんて思っていると、ふいに美桜が「あ!」と何か思いついたかのような声を上げた。


「これってアレだ、カップルの同棲する時のルール決めに似てるね!」

「ど、同棲っ……おま、何を……っ」「っ!?」


 いきなりの言葉に動揺する翔太、肩を跳ねさせ目を泳がせる英梨花。

 美桜はその反応をどこか悪戯っぽい笑みを浮かべ、人差し指をくるくる回しながら眺めた後それを顎に当て「ん~」と唸り、どこか思案顔で呟く。


「でもこういう約束事ってさ、こういう風に言葉や形にしないとダメだってことなんだよね。家族になるためにさ」

「……あぁ、そうか。そうかもだな」


 家族になるための約束事。その言葉が、やけに胸にストンと落ちるものがあった。

 将来一緒になることを、家族になることを前提としている恋人たちでさえそうなのだ。ただの幼馴染や長年遠く離れていた妹なら、なおさらこれは必要なことなのだろう。

 特に英梨花は、かつてと色々違っている上に言葉も少なく、まだまだ知らないことが多いから、ことさらに。だから、もっとの英梨花を知りたくて。

 それは美桜も同じだったのだろう。ふいに優し気な笑みを浮かべ、英梨花の手を取る。


「だからさ、えりちゃんもしたいこととか思っていることとか、ちゃんと言ってよ」

「えっと……?」


 突然の話の水を向けられ困惑の表情を浮かべる英梨花。

 美桜は確信の込められた眼差しで、諭すように言う。


「あたしやしょーちゃんにどこか遠慮したりしてるところあるっしょ。あまり迷惑かけないようにって、気を張ってるっていうかさ」

「……ぁ」


 確かに美桜の言う通りだった。

 思い返せば一緒に暮らしてからずっと、英梨花がこの家で気を抜いている姿を見たことない。それだけ落ち着かなかったのだろう。

 だから翔太も美桜に言葉を続ける。


「そうだな、もっと気軽に色んなことを言って欲しい。その、家族なんだからさ」

「だからほら、もっと甘えてもいいんだよ。案外頼られるのって嬉しいもんだし。うちの兄貴だって『アイス食べたい、コンビニで買ってきて。真帆先輩が好きだって言ってた新フレーバーの』って言ったら喜んで買ってきてくれたし」

「おい、それは」

「うししっ」


 自分の好きな人をダシに使われる美桜の兄を不憫に思い、ツッコむ翔太。いい笑顔を見せる美桜。

 そんな風にじゃれ合っていると、ふいに袖を引かれた。


「そう、なの?」

「っ、あぁ、美桜の言う通りだ。英梨花が困ってたり悩んでたりしたら、力になりたいと思う。その、兄ってのはそういうもんだからさ」

「そう……」


 恐る恐るといった様子で上目遣いで瞳を揺らしながら訊ねてくる英梨花に、ドギマギする翔太。兄でなくても、こんなに綺麗で可愛い子におねだりされたら、誰だって言うことを聞いてしまうだろうという言葉は呑み込む。

 そして美桜が、調子のいい声を上げた。


「よし、じゃあ早速えりちゃんがして欲しいことを言ってみよう!」

「え? ぁ、その……」

「ほら、遠慮しないで。1つや2つ、何かあるでしょ? 欲しいプラモがだとか、天井までガチャ回したいとか、駅近くの和菓子屋の超特大抹茶パフェ挑戦してみたいとか」

「美桜、お前の願望が駄々洩れてるぞ」

「てへっ」

「え、えっとその……」


 もじもじとしながら翔太と美桜の顔を見やる英梨花。

 何かして欲しいことがあるのだけれど、何か言いにくい様子。

 急かすことなく見守っていると、やがて英梨花は少し気恥ずかしそうに頬を染め、口を開いた。


「……一緒に寝たい」

「寝っ」

「おっ、いいねぇ。じゃ、客間の和室使おうぜ! ほら、縁側の。昔よくあそこで一緒にお昼寝したし。しょーちゃん、布団運ぶの手伝ってよ」

「お、おぅ」

「ん、私も」

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