27.スポブラだしセーフ!


 駅に着き、夕飯の買い出しがあるからと和真と別れ、スーパーで頼まれていたものを購入して帰宅する。玄関には鍵が掛かっており、美桜も英梨花もまだのようだった。

 買ってきた材料を冷蔵庫に納めながら、ポツリと呟く。


「……英梨花、何やってんだろうな」


 今日美桜が遅いのは寄り道しているからだ。それはいい。

 しかし入学式以来、連日英梨花の帰りは遅い。この辺りの治安が悪いわけではないが、それでも日が暮れ夕食時に差し障っての帰宅は、やはり心配になる。

 ましてやあの美貌、よからぬことに巻き込まれていないか不安に思うのは、家族・・なら無理からぬことだろう。

 やがてしまい終えた翔太は、「ふぅ」と息を吐きながらソファーに腰掛け、考える。

 翔太自身、確かに英梨花に遠慮しているというか、一歩引いている自覚があった。

 そりゃ数年ぶりに再会し、見た目も見違えていて、しかも本当の兄妹じゃないと告げられればどう接していいかわからなくなるというもの。互いに繊細な年頃なら、なおさら。

 とはいうものの、考えれば考えるほど思考の袋小路に嵌ってしまって。


「あーもぅ!」


 両手足をバタンと投げ出し、倒れ込む。

 するとその時、玄関がガチャリと開き「ぎゃー、最悪ーっ!」という叫び声が聞こえてきた。そしてドサリ鞄を投げ捨て、開いてるドアからはドタバタと廊下を駆ける美桜の姿。床にはポタポタと水の跡。どうやら夕立にでも見舞われたらしい。窓の外に目を向ければ、ザザーッと音を奏でる大降りの雨。

 美桜のやつご愁傷様、なんて考えていると洗面所から少々やさぐれた美桜の声が響く。


「しょーちゃーん、あたしの部屋からジャージ持ってきて、いつもの部屋着! あーもー、びしゃびしゃ! 最近予報当てにならないんだから、この令和ちゃんめ!」


 翔太は「はいはい」と答え、かつては納戸として使っていた部屋へと向かう。


「…………」


 戸を開けた瞬間、ふわりと柑橘類を彷彿とさせる、爽やかだが甘い香りが鼻腔をくすぐる。美桜の、自分の家とは違う女の子・・・の良い香りに少しばかり胸が跳ねてしまう。

 部屋を見渡せば淡い色合いのベッドのシーツに、少々コスメ類でごちゃごちゃした机、部屋の隅にある小さな棚には私物は少なく、無造作に入れられた真新しい高校の教材ばかり。床には脱ぎ捨てられた可愛らしい衣服にゲーム機、それから翔太の部屋から持ってきた何冊かの漫画が転がっている。

 まさにガサツで大雑把な性格がよく表れた美桜らしい部屋、彼女のプライベート空間。

 それが葛城翔太の家に存在していることと、本人の許可をもらっているとはいえ主のいない異性の部屋に足を踏み入れることに、ドキリとしてしまう。

 ここに長居すると色々よからぬことを考えてしまいそうなので、足元に転がっている見慣れたジャージを摘まみ上げ、即座に回れ右をして洗面所へ。

「美桜ー、持ってき――」

「お、あんがとー」

「――……っ⁉」


 手渡そうとして何の気なしに扉を開けた瞬間、固まってしまった。

 そこに居たのは丁度ブラウスを脱ぎ、下着姿を晒している美桜。スカートを穿いているのがせめてものマシといえようか。


「……しょーちゃん?」

「っ! この、バカッ!」

「わぷっ⁉」


 美桜のきょとんとした声で我に返った翔太は、慌ててバタンと扉を一度閉め、手に持っていた美桜の部屋着に気付き、手だけ洗面所に入れて投げつける。

 背中を扉に預けつつ、バクバクと早鐘を打つ心臓に右手を当て、「もぉ~」とぼやく美桜に声を張り上げた。


「着替えてるなら言え、見ちまっただろうが!」

「ん~、スポブラだしセーフ!」

「セーフじゃねぇ、さすがに気まずいわ!」

「あっはっは、家じゃちょくちょく風呂上りこれだったもんで。ほら、しょーちゃんって家族・・みたいなもんだし。こないだみたいな勝負のやつじゃなきゃいっかなーって」

「いいとか悪いとかじゃなく、恥じらいをもってくれ」

「そんな! こないだしょーちゃんのしょーちゃんを見た仲なのに!」

「おい!」

「あ、もしかしてこれ、いわゆるラッキースケベイベントなので、相応の反応が必要だってダメだしされてるやつですかね⁉」

「やかましい!」

「ふひひ……くしゅっ! う、身体が冷えちゃったかも。このままシャワーにしよ」

「……ったく」


 美桜は下着姿を見られたというのにさほど気にした風もなく、ケラケラと笑いながらマイペースにお風呂に入ってシャワーを浴び出す。

 その音を聞きながら「はぁ~」と、大きなため息を1つ。

 過剰に反応している自覚はあった。つい先月までなら、こんなこともなかっただろう。それもこれも、美桜がすっかり可愛らしく変わったせいだ。

 自分だけドギマギしていることに何だか不公平というか、釈然としないものを感じ、つい拗ねたように胸の内を零す。


「今の美桜は可愛いんだからさ、ちょっとはその自覚を持ってくれよ」

「い゛っ⁉ ~~~~っ、ぐ、ぐおぉぉぉ~……」


 するとゴツン、カラコロという鈍い音と甲高い音が響いたかと思うと、美桜の苦悶の声が上がる。


「ど、どうした美桜⁉」

「しゃ、しゃわ、シャワーのノズルが思いっきり足の小指に……っ」

「なんだ、人騒がせな」

「しょーちゃんがいきなり変なことを言うからでしょ⁉」

「なんだよ、褒めてるのに。はいはい、もうそういうことは言いません~」

「それは、その……ぐぎぎ……」

「…………ぷっ」

「…………あはっ」


 そんな軽口を叩き合っていると、どちらからとも笑い声が上がる。

 なんだかんだ、そういうところはこれまでと同じだった。

 だから翔太は何の気兼ねもなく、前々から思っていたことを美桜に切り出せた。


「そういや最近英梨花の帰りが遅いけど、何してるか知ってるか?」

「いんやー、聞いても秘密の一点張りなんだよね」

「別に何しててもいいんだけど、さすがに連日こんだけ遅いと心配だ。せめて行き先でも教えて欲しいよな」

「そうだねぇ。えりちゃん美人さんなんだし、ストーカーとか痴漢とか気になるし」

「なぁ、そこでなんだけどさ、ルールとか決めないか?」

「ルール?」

「さっきみたいのが起こらないのも含めて、一緒に暮らしていくための取り決め」

「んー、確かに必要かも」


 話し出すとスラスラと言葉が出てくる。思えば美桜とは小学校に上がる前からの付き合いだ。一番身近で見て、見られながらして育ってきた。

 音を殺して歩く練習をしたり、変な形の石をランドセルにたくさん入れてノートや教科書をボロボロしたりといった、互いに親に言われたくない秘密を握り合っている。

 言うなれば兄妹以上に姉弟な、厄介で心安い幼馴染(存在)。そんな美桜でもやはり異性で、家族とは違う女の子だということを、この一週間ほどで思い知った。

 先程のことにしてもそうだ。色々と問題点が浮かび上がっている。だから一緒に暮らすなら、様々なことを円滑にするための決まり事を設けた方がいいだろう。

 美桜でさえそうなのだ。英梨花にも同じことが言える。

 英梨花に対しては未だ慣れないことも多く、それでもやはりもっと色々知りたいし、仲良くなりたい。今、英梨花が何を――


「うん?」


 そこまで考えた時、スマホが鳴った。画面を見れば英梨花からだ。

 すぐさまタップし、通話に出る。


『……』

「英梨花?」

『…………っ』


 どうしたわけか声を掛けるも返事はなく、ただザァザァと振る雨音が聞こえるのみ。

 もしや誤作動か何かで勝手に繋がったのかと思った瞬間、ピカッと窓が光った。遅れて外とスマホ越しに聞こえる轟音。

 結構近くに落ちたかも、と思えば、スマホから震えるような英梨花の小さな声が聞こえてきた。


『にぃに、どこ……?』

「――っ! 美桜、ちょっと英梨花を迎えに行ってくる!」

「しょーちゃん⁉」

 幼い頃と同じ物言いですがるようなの涙声を耳にすれば、反射的に身体が動き、驚く美桜の声を置き去りにして傘も差さず外へと飛び出すのだった。


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