第13話 迷滞の章 *最後の内乱
*最後の内乱
明けて永禄十一年(一五六八年)、越後国・揚北村上に構える本庄城本丸の一室。城主は揚北の雄、本庄弥二郎繁長である。繁長は甲斐国からの密書を手に、一大決心を固めていた。それは輝虎に対する反逆である。
繁長の輝虎に対する不満は、今に始まったものではない。以前から、他の揚北衆に比べて、自分だけが冷遇されているという意識を、強く抱いていた。輝虎の旗挙げから付き従っている安田長秀はともかくとして、いつも色部勝長や中条藤資ばかりが、優遇されていると思い込んでいる。特に、色部は本庄の支族でしかない、という凝り固まった矜持もある。
永禄四年の川中島においても、武功は認められず、自分だけ感状を貰えていない。関東遠征や春日山城への出仕にも、度々応じているが、輝虎からの冷遇は相変わらずだった。
もちろん、輝虎には冷遇している意識はないし、その判断は公平だった。他の国衆に比べれば、貢献度合いや、挙げた戦果が見劣りするので、それは如何ともしようがない。繁長を実績以上に高く評価すれば、逆に他の国衆からの不満や反発を招くはずだった。しかし、この当時、自分に甘く自己評価の高い繁長には、それが理解出来ないでいる。
信玄からの書状は一度や二度ではない。誰にも悟られずにやり取りを行っていた。これまで一度も発覚していないのには理由がある。本庄城は揚北の中でも北に位置し、伊達領と接している。信玄はそれに目をつけた。同盟している葦名から伊達を通して密かに、繁長との接触を重ねてきていた。
それから十日後の甲斐国・躑躅ケ崎館では、武田信玄が本庄繁長からの返書に、満足げな表情で目を通していた。傍らには海津城から呼び戻したばかりの高坂弾正虎綱が控えている。
「吉報じゃ。越後揚北の本庄弥二郎が、まんまと餌に食いついてきおった」
「それは真実でございますか。本庄繁長が日頃から、輝虎に不満を持っているとは聞いておりましたが、極めて慎重な質(たち)の人物との噂でございます。そのような御仁を、御館様は如何なる手法で、口説き落されたのでございますか」
「これまでの北条高広や大熊朝秀の時とは違って、今は誼を通じている葦名と伊達がおる。それに越中では神保長職が、儂との断絶を通告してきたが、その代わりに椎名康胤が擦り寄ってきた。既に本願寺には手を回し、加賀の一向宗徒が椎名に加勢するように話をつけておる。つまり、出羽に会津、越中と、お主の北信濃を加えた四方からの同時攻撃を、本庄繁長に約束したのじゃ。我が意のままに、本庄繁長が国内で反逆の狼煙を上げたら、越後はどうなることか。面白いとは思わぬか」
「なるほど。輝虎の慌てふためく顔が目に浮かびますな。その同時攻撃は、いつ頃になるとお考えで」
「もうすぐ越中で、火の手が上がることになっておる。繁長の書状によれば、輝虎が次の戦で春日山城を空ける時の出仕を、言い渡されているらしい。輝虎が越中に出陣し、簡単には引き返せない頃合いをみて、共に出仕している
「それならば、御館様の念願でもある越後の海が手に入るかもしれませぬ」
「そう簡単には事が運ぶことはあるまい。未だ、葦名盛氏と伊達輝宗の本気度も分からぬ。輝虎怖さに尻込みするかもしれぬ。それに、あれだけ輝虎が戦に出回っているにも関わらず、家臣団の結束は、以前にも増して固くなっておる。今更ではあるが、ようやく輝虎も家臣のために、自領を増やすということに、目が向き始めたようじゃ。それを密かに家臣団は歓迎しているのであろう。越後の国内に、他の同調者がいなければ、成就は難しかろうな。恐らく、これが最後の機会となろう」
「御館様もお人が悪い。またも、本庄繁長を捨て駒となさるおつもりですね」
「人が悪いのは、今に始まったことではあるまい。儂が事を成すためには、決して手段を選ばないのは、お主が一番分かっておろう。繁長に反乱を起こさせて、輝虎を暫くの間、越後国内に釘付けにすることが、一番の目的じゃ。その間に儂は悠々と南に向かうことが出来る。そう多く望んでは罰が当たるというものよ」
信玄は、珍しく返答しない虎綱の心情を、推し量るように続けた。
「今、義信のことを考えておったな」
嫡男であった武田義信は、駿河侵攻を企てる信玄に反対したことから、謀反の
「我が心中も全てお見通しですね。御館様には敵いませぬ」
「儂とて人の子、人の親じゃ。あれは儂とて苦渋の決断であった。結局、儂はこの手で親を追放し、息子まで殺してしまった。あの世では地獄が待っていよう。それでも構わぬ。全て心を鬼にしてやったことだ。後悔はしておらぬ。儂は何が何でも駿河国を手に入れる」
「御館様の心中もお察し出来ず、申し訳ございません。されば、その家臣たるそれがしも、本日只今より鬼と化します。直ちに信濃に戻り、戦支度に取り掛かります」
「うむ、よくぞ申した。越後で火の手が上がるのは三月になろう。それまで万事怠りなきよう準備いたせ。但し、繰り返すが一番の目的は輝虎の国内釘付けじゃ。状況次第では、越後国を伺う程度のことで終わるかもしれぬ。それでも仕方あるまい。深入りして痛い目に遭うことだけは、決して避けねばならぬ。永禄四年の八幡原の時のような失敗は、もう懲り懲りじゃ。くれぐれも頼んだぞ」
「御意。しかし、御館様。一つだけ気になっていることがございます」
「何だ、それは。遠慮なく申してみよ」
「小田原殿のことです」
「駿河を攻めた場合、北条が儂と手を切るということか」
「はい」
「それもよくよく考えてのことじゃ。駿河を手に入れたら、もう北条とは縁が切れても構わぬ。三河の徳川と手を組むことも進めておる」
「しかし、もしも小田原が越後と手を組むようなことになれば、決して安泰とは言えないのではありませぬか」
「確かにお主の言う通りじゃ。ただ、輝虎と氏康殿とはあまりに考え方が違い過ぎる。そうは簡単には行かぬ。行ったとしても、その結束がどれだけのものかは怪しいものよ。その時はお手並み拝見といこうではないか」
「御館様がそこまで先読みしてのお考えであれば、何も言うことはございませぬ。それではこれにて御免仕る」
高坂虎綱は急ぎ北信濃に戻っていった。信玄は自らが手にかけた、義信の首桶を思い出していた。近頃、ありし日々の義信が夢枕に立つ。何故かは考えぬようにしていた。信玄はその残像を頭から振り払うように、手元に届いている書状に手をかけた。
更にそれから二週間後、輝虎は春日山城に直江大和守景綱を呼び寄せていた。前日、神保長職からの急使が書状を携え、春日山に異変を報せに来ている。
ついこの前まで味方と思っていた椎名康胤が、一向宗と手を結んだらしい。間違いなく、黒幕は信玄だ。書状は、神保領に侵入してきたので、援軍を乞うという内容だった。
「北信濃では海津城の高坂虎綱が、しきりに怪しい動きを繰り返しているらしい。越中の動きと併せて、大和守はこれをどう捉える」
「御実城様は、越中の騒動に、何か信玄の意図が隠れている、と読んでおられるのですね」
「そうとしか思えぬ」
「たとえ、御実城様が越中に出兵していたとしても、飯山城を普請されたばかり。兵を増強したうえで出陣すれば、多少の侵攻にも十分に耐え得るはずです」
「それ以外に何か思い当たることはないか」
「あるとすれば内通」
「やはりそうか。しかし、そのような者に心当たりはない。幻の者は国内にも目を光らせているが、今のところ、何も掴んではいない」
「であれば、今はあれこれ考えても仕方ございませぬ。此度、留守居役として出仕頂くのは、どなたでしょうか」
「本庄弥二郎繁長と高城城主の長尾藤景じゃ」
「留守居役は問題ないでしょう。では、万が一に備えて、それがしと柿崎和泉守殿は、いつでも出陣出来るよう軍勢を整えておきます」
「頼んだぞ」
「御実城様は先ず越中のことだけをお考え下され。留守中は我らがお守りいたします故に」
「うむ。しかし、信玄の奴、西上野の次は、駿河国を攻めるつもりらしいぞ。昨年には駿河攻めに反対の嫡男義信を、幽閉だけでは飽き足らず、自害に追い込んだという。まさに鬼畜の仕業であろう。そのような鬼とも化け物とも知れぬ奴を、我らは相手にしているのだ。此度も何か突拍子もないことを、考えている気がしてならぬ」
「確かに仰せの通りですな」
「足利義秋様は、そのような奴と和睦して上洛して欲しいなどと、矢の催促だから、実に困ったものよ」
事実、輝虎は前日に義秋から書状を受け取ったばかりだった。何度断っても、懲りずに上洛を迫ってくる。それだけ追い詰められているのだろう。
「まさか、上洛をお考えではないでしょうね」
「心配するな。かような時期に、上洛出来るわけがなかろう。関東と信濃が落ち着き、越中と能登が鎮静化して後に、初めて考えることじゃ。まして、義秋様は、亡き公方様の弟君ではあるが、今のところ、それ以上の御方ではない。それに、儂が将軍家継承問題に口を挟むことなど、畏れ多いことじゃ」
「そのお言葉をお伺いし安堵いたしました。では、一日も早く越中の椎名殿を成敗し、ご帰還なされるのを、お待ちするといたしましょう」
結局、景綱に訊いても、何も分らなかった。それならば何かあった時に考えればよい、輝虎はそう割り切ることにした。
本庄繁長謀反の報せが輝虎にもたらされたのは、越中国・放生津城の陣中である。永禄十一年(一五六八)年三月のことであった。
春日山城で共に出仕していた高城城主の長尾藤景・景治兄弟を酒宴に誘い出し、二人が酔い潰れたところを、易々と謀殺に及んだらしい。その後速やかに、揚北の村上に取って返し、挙兵したのが三月十三日のことだという。人質として預かっていた千代丸(後の顕長)も連れ戻っていた。春日山から村上までの逃走があまりに早く、留守を預かる吉江佐渡守らも気がついた時には、後の祭りだった。如何に以前から、用意周到に計画を練っていたかを、裏付ける動きだった。
この第一報に、輝虎は衝撃を受けていた。出陣前からどこかに、きな臭さを感じてはいたが、まさかそれが、出仕している本庄繁長とは思いもしなかった。出陣前の様子からも、未だに信じられない、嘘であって欲しい、というのが本音だった。
しかし、後から届いた直江景綱からの書状で、その僅かな望みは絶たれてしまう。それら全てが事実であることを、認めざるを得なかった。同時に輝虎は自分に驚いていた。此度は不思議と怒りの感情が湧いてこない。ただ、謀反が露呈しなかったのは、伊達や葦名が絡んでいるためであることを知り、そこまで頭が回らなかった自分が情けなかった。
確かに揚北衆にとっては、輝虎の本拠である府内よりも、出羽や会津はずっと近くにあり、常に意識する存在なのだ。それをいつの間にか意識の外に置き、西や南にばかり目が行っていた自分が腹立たしかった。
しかし、今更悔いても始まらない。既に反逆の狼煙は上がっている。今となっては、如何に収めるかが先決であった。
輝虎は急使を走らせ、直江大和守景綱と柿崎和泉守景家を先発隊として、村上に向かわせた。自らは越後国内が収束し次第、あらためて加勢に応じることを神保長職に約し、越中国・放生津城から引き返すことにした。これが三月二十五日のことである。
春日山城に戻った輝虎が真っ先に手をつけるべきことは、各方面の国境を固めることである。恐らく、武田信玄が仕込んだ調略や侵攻の手は、越後を取り巻く全方向に及んでいるに違いなかった。
先ず、火種となった本庄繁長と出羽口の伊達輝宗に対しては、直江・柿崎の他に、大葉沢城の鮎川盛長と、色部顕長・長実兄弟を当たらせて包囲網を築いた。会津口に対しては、安田長秀と山吉豊守、それに本庄実乃が当たることになった。
信玄と同盟関係にある北条の動きも牽制する必要がある。上野国の沼田城代である松本景繁には、再度周辺の探索を含めて、万全な警戒態勢を敷くように命じた。
また、信濃は飯山城に軍を集中させ、海津城の高坂虎綱を牽制することにした。飯山城に配置されたのは、安田能元、吉江忠景、山本寺定長といった錚々たる面々である。
最後に残った越中口は、河田長親と神保長職の連携で、万が一、椎名康胤や一向宗徒の反乱が起きた場合は、東と西から挟撃が図れるようにした。
こうして、着々と本庄繁長包囲網をひとつずつ構築する中で、輝虎の母、青岩院が急死した。永禄十一年五月七日のことである。享年五十七歳だった。
輝虎は春日山城主となって以降、戦に明け暮れる日々ではあったが、遠征時を除けば時折、母の庵を訪ねては、茶を嗜み、親子二人の時間を穏やかに過ごしてきた。死後に知らされたことだが、近頃は心の臓が弱くなっていたらしい。輝虎に心配かけまいと、周りの者は母から口止めされていたのだと言う。輝虎は母の遺志に従い、しめやかに葬儀を執り行い、亡骸を春日山城下の宮野尾に埋葬した。
悲しみを堪えて輝虎がやるべきことは、もちろん本庄繁長の鎮圧である。繁長包囲網構築の次は、本庄城を孤立させることが必要だった。輝虎は唯一、繁長に味方を表明している出羽国・庄内の尾浦城主・大宝寺義増を、最初に降参させることにした。
わざわざ、遠く庄内まで派兵する必要はないと踏んだ輝虎は、幻の者に命じて、大軍が来襲するという噂を、庄内に流布させた。その噂は案の定、瞬く間に大宝寺義増の耳元にまで達していった。大宝寺義増は、まさか本庄城より先んじて攻められるとは思ってもいない。大いに慌てふためいた大道寺義増は、急ぎ春日山城の輝虎に使者を送り、和睦を申し入れてきた。むろん、輝虎はこれを即刻受け入れている。
これでようやく、自らが出陣する態勢が全て整ったと考えた輝虎は、満を持して本庄繁長が立て籠もる村上に向けて出陣した。これが十月二十日のことである。
四日をかけて揚北に入った輝虎は荒川を越え、色部勝長の居城である平林城に入り、本庄攻めの本陣に定めた。
息子の顕長と長実の話では、勝長の容体は日に日にやせ衰えるばかりで、芳しくないらしい。薬師の話では年を越せるかどうか、との見立てだった。
すぐにでも軍議を開きたい輝虎だったが、その前に勝長の病床を見舞うことにした。
「弥三郎殿、お分かりか。輝虎じゃ」
確かに身体はやせ細り、かつての剛健さの面影は失せている。顔色もどす黒く、病の篤さが伺い知れた。
「おぉ、わざわざ御実城様にまでご出馬頂くことになろうとは。此度は同族の弥二郎(繁長)が面目次第もござらぬ」
どうやら、勝長はつい先ほどまで眠っていたらしい。物音で目を覚ますと、そこには輝虎がいたので、驚いた格好だった。慌てて居住まいを正し、起き上がろうとするが、輝虎がそれを手で制止した。
「そのままお休み下され。年寄りに無理をさせるわけにはいかぬ。どうじゃ、気分は」
「まだまだ若い者には負けぬと言いたいところだが、どうやら、この老いぼれにも、お迎えが近づいているようでござる」
「鬼の弥三郎と言われたお主が、左様な気弱なことを言って何となさるおつもりか。戦場がお主を待っておる、もうひと働きして貰おうと思い、こうして見舞いに来たのですぞ。今は、ゆっくり養生し、早く元気になって下されよ」
輝虎は、骨と皮ばかりになった勝長の手を、しっかり握りしめて言った。
「有難き御言葉」
何か続けて言おうとしたらしいが、それ以上言葉が出てこない。目だけが潤んでいる。
「また来る、休んでくだされ」
手を放し、輝虎は立ち上がろうとする。
「お待ちくだされ、御実城様」
「どうなされた、何か言いたいことがあれば何なりと」
頷く輝虎に対して、勝長は力を振り絞って口を開いた。
「此度の繁長の謀反鎮圧には、同族の我が色部家が先頭に立ち、けじめをつけるべきと心得ております。こうして御実城様に参陣頂いたからには、どうか我が息子二人に先鋒をお任せくだされ。顕長・長実共々、必ずや御実城様の期待に応えるはずです」
「わかった、約束する」
「それから」
「何じゃ」
「もしも、弥二郎が降伏を申し入れてきた場合は、どうか一命だけはお助け頂きたい。この老いぼれが、申し上げるべき筋合いではないことは、重々承知のうえでござる。弥二郎は若さ故に気が逸っているだけのこと。武勇に優れていることは、近くで見ている我らが、よく知っております。いつか必ず、御実城様と御家のお役に立つ日が参ります。我が遺言と思し召し、どうかこのことを、御実城様の心の片隅に、止め置きくだされ。どうか、どうか」
これまで忠節を励んでくれた勝長の最後の願いに、応えてあげたいところだ。しかし、こればかりは軽々しく約束出来ることではない。輝虎の一存で決められないこともある。
「弥三郎殿、こればかりは今、約束出来ぬ。長尾藤景・景治兄弟を殺害した咎もある。但し、今のお主の気持ちは、我が心に必ず留め置くことを約束する。今は一日も早く鎮圧を図ることが先決。いかなる沙汰を下すかは、あくまでも後のこと。どうか了見くだされ」
それでも、輝虎の誠意ある返事に少しは安心したのか、勝長は眼を閉じて何度も頷くと、そのまま再び眠りについていた。
輝虎は勝長の病床を後にし、平林城本丸に入った。既に招集した諸将全員が揃っている。その顔触れは、直江景綱、柿崎景家、鮎川盛長、色部顕長・長実兄弟である。
輝虎が出陣する以前から、状況は刻々と好転してきている。謀反発覚から、輝虎が矢継ぎ早に打った楔は、確実に効いてきていた。
先ず、本庄繁長にとって加勢が期待された会津の小田切軍は、当主の葦名盛氏自身が怖じ気づいたせいで、合力出来なくなっていた。
また、出羽国・米沢城の伊達輝宗はもともと、この謀反への加担に対して消極的姿勢であり、隣国の葦名が動かぬ限りは、一切加勢しないことも分かってきた。
信濃口でも、飯山城周辺の鉄壁な布陣のために、北上してきた高坂虎綱が率いる武田勢は、川中島以南の各出城に釘付けとなり、全く動きが取れない状態が続いている。
越中口は河田長親が固めており、一向宗徒と椎名康胤の動きは完全に封じ込められていた。もしも、越後国境を侵そうとした場合は、神保勢が背後から襲うことになっている。
これらを本庄繁長がどこまで把握しているのかは分からない。今のところ、頑なに抵抗する姿勢を崩してはいない。
輝虎は越後を取り巻く動向を、軍議席上で説明したうえで続けた。
「かくして、本庄城は孤立無援。どこからも援軍を受けることはない。我らが攻囲を続けている以上は、弥二郎に勝ち目はない。先ずは一度降伏を迫る使者を送り込もうと思うが如何か」
もちろん、異議を挟む者はいない。一様に首を縦に振り、賛同の意を表していた。本音では誰もが、これ以上国内で争い、血を流すことを臨んではいない。
本庄城は小高い丘の上に立つ平山城であり、総攻撃で落とせない城ではないが、双方に相当の犠牲を出す覚悟が必要であった。
「御実城様、それがしにその役目をお命じください」
声を上げたのは勝長の嫡男・色部修理亮顕長である。この時、弱冠二十歳の若者は、父に代わって、初陣の弟長実とともに軍議に臨んでいる。
「我が色部家と本庄家は、同族の間柄で城も近く、幼い頃は弥二郎殿を兄のように思い育ったものでございます。それがしの説諭であれば、頑なな心も和らぎ、あるいは開城に応ずるかもしれませぬ」
確かに此度の使者として、顕長以上の適任はいない。そのうえ、交渉の可否に関わらず、単身で乗り込んだ同族の者を誅するほど、繁長が愚かだとは思えない。かくして、色部顕長は単身、本庄城に使者として送り込まれることになった。
本庄城本丸に通された顕長は、甲冑姿の繁長に迎えられた。一方の顕長は敢えて丸腰である。輝虎直筆の書状以外、何も持ち合わせていない。
「久しいな、弥三郎。噂では親父殿の病が篤いと聞くが如何なのじゃ」
「高齢故に、薬師の見立てでは、年を越せるかどうか、とのことです。それより、弥次郎兄者、御実城様からの書状をご覧ください。もう兄者に味方する者は誰もいません。今ならば、帰参も許されましょう。我が父も今となっては、兄者のことだけが心残りの様子。どうか翻意ください」
差し出された輝虎の書状を披見した繁長は、顔を上げて顕長をじっと見つめて言った。
「この中には帰参を許すなどということは、一言も書いてはおらぬ。そのような口約束は、俄かには信じられぬ」
「それは如何に御実城様でも、他の国衆の手前もございます故に、今の段階で簡単に約束は出来ないはずです。しかし、御実城様だけでなく、参陣された他の皆さまも本音のところでは、これ以上、越後国内で血を流すことなど、誰も望まれてはおりませぬ。それは御実城様をはじめとする皆さまの表情や、それがしに託された思いからも、十分に読み取れました」
「たとえ、弥三郎の話とは申せ、それを今すぐに信じることは出来ぬ。あの御方は激昂すると何をしでかすか、分らぬ方だと言うではないか」
「若い頃は左様なこともあったように、父から聞いたこともございます。しかしながら、激昂なさる時は、決まって余程理不尽なことが起きた時であり、その理由も聞けば、誰もが納得出来るような場合に限っております。ましてや、元来から物の分別を弁えておられるうえに、今や四十路を迎えんとし、円熟味を増している御方です。決して短慮に走るとは思えませぬ。父も心底から信頼し忠誠を誓っております。それがしも此度、御実城様の姿を初めて近くで目にし、また直接お話しすることで、誠実さがよく分るのです」
「ふん、確かにお主の親父殿は、あの御方に気に入られておるようじゃ。それに比べて儂のことなど、意に介する素振りすら見せてはくれぬ。これなら、儂の力を認めてくれておる、武田方につく方が得というもの」
「それは違います。御実城様は、弥次郎兄者のことも、ちゃんとお分かりです。そうでなければ、今春の越中出陣の折に、留守居役として出仕を命ずるはずなど、ないではありませぬか。他の古参の国衆に比べれば、兄者は家督を継ぎ、御実城様に仕えて日が浅い。それを斟酌して今は目立った接触がないだけのこと。兄者が気持ちを入れ替えて奉公に励めば、必ず報われる日が参りましょう」
「それでも、武田信玄殿は揚北と出羽を切り取り次第、儂に任せるとまで言ってきている。そこまで儂の器量を認めてくれる御方ではあるまい」
「兄者は騙されております。そんな口約束は誰でも出来ます。兄者は信玄に利用されているだけなのです。御実城様の話では、信玄は近々南の駿河国を攻め、切り取るつもりとのこと。そのためには、北の脅威である御実城様を、越後国内に封じ込める必要があるのです。信玄が兄者の言う通り、越後攻めに本気であれば、永禄四年の時のように、自ら大軍を率いて北上して来るはず。しかし、その気配すらなく、軍勢は多少、善光寺平方面に展開しているようですが、今も飯山城のお味方と睨み合いをしたままで、全く動く気配はありません。兄者は、かつて一緒に聞いたことのある、北条高広殿や大熊朝秀殿と、同じ過ちを犯しておいでなのです。それに葦名や伊達も動くことはありません。最初から信玄が言うほど、越後攻めに乗り気ではなかったのです。兄者ほどの御方が何故、それが分らないのですか」
「ええい、黙れ、黙れ。騙されておるのはお主のほうじゃ。後で泣いて
「今は何を言っても、聞いては頂けぬご様子ですね。では兄者、これは提案ですが、この弥三郎が言った通り、信玄が駿河攻めを行った時は、我が言葉を信用し降伏に応じて頂けますか」
落ちつき払った顕長とは対照的に、繁長の動揺は明らかだ。
「それが真実であるならば、その時は考えないでもない」
「承知しました。ただ、御実城様は本当に味方同士の争いは、避けたいと心底お思いです。我らは、兄者が降伏しない限りは、このまま城の攻囲を続けますが、一切攻撃を仕掛けるつもりはありません。兄者も城からは、一切攻撃を仕掛けないで頂きたい。もし、攻撃をして、これ以上の死傷者が出た場合、兄者の赦免は難しくなります故に」
「左様なことを申して、儂を騙し討ちにするつもりではないであろうな」
「そのような卑怯なことは、御実城様が一番嫌いなことではございませんか。ご存知ないのですか。それに、もしも、国内で騙し討ちなど起こしてしまえば、御実城様自身が信用を失ってしまうのです。それくらい、少し考えれば誰でも分かることですよね」
「わかった。とにかく、今日のところは帰れ」
色部顕長は、かくして本庄城を後にして平林城に戻り、早速、輝虎に次第を報告した。
「如何であった。繁長は刀を収めるつもりになっておるか」
「直ちに、というわけには参りませぬ。武田信玄に騙されているということが、未だ半信半疑の様子です。ただ、かなり動揺しているのは間違いありません。信玄が駿河に侵攻すれば、確実に降伏の方向に気持ちが傾くと思われます」
「そうか、大儀であった。繁長は中条藤資殿にも加担するよう書状を出していたらしい。もちろん断り、近々この城攻めにも参陣すると言ってきた。あとは時が解決してくれよう。親父殿が心配しているはずじゃ。早速、報せて参るがよい」
「有難うございます。その前にひとつ御実城様にお願いがございます」
「うむ、申すがよい」
「最後の降伏を促す使者には、もう一度、それがしをお遣わし頂きたく存じます」
「もとより、そのつもりじゃ。それに、信玄が駿河侵攻と同時に、儂からも伊達や葦名に対し、しかるべき使者をたてようと思っておる。強情な繁長のことじゃ。お主だけでなく、伊達や葦名から言われれば、降伏の名分も立つというものであろう」
「さすがは御実城様でございます。それをお伺いし安堵いたしました。それでは、お許し頂いた通り、父に報せて参ります」
「よし、行け」
顕長が陣幕の外に去った。外では心配そうに帰りを待っていた弟の長実が、兄に駆け寄っていく気配がした。色部勝長も良い後継者を持ったものだ。輝虎はつくづく感心していた。
永禄十一年(一五六八年)十二月十三日、武田信玄は駿河国に侵攻し、瞬く間に一国の大半を制圧した。既に今川家家臣団の大方を取り込むことに成功しており、ほとんど無傷でほぼ駿河一国を手中に収めた格好だ。今川家当主の氏真は、命からがら遠江国の掛川城に逃れ、今は徳川家康と交戦中らしい。
この駿河侵攻に激怒したのが、同盟相手である相模国北条氏康・氏政父子である。
今川氏真には、氏康の娘が嫁いでいる。かくして、十数年間続いた甲駿相の三国同盟は、名実ともに全て瓦解した。氏康は上野国に向けていた兵を直ちに引き上げ、以降、輝虎との和睦に向けて、大きく舵を切ることになる。
永禄十二年(一五六九年)一月、揚北・平林城の陣中で新年を迎えた輝虎だったが、十日未明、色部勝長が静かにその生涯を閉じた。七十六歳という、当時で言えば大往生だった。輝虎は陣中とは申せ、勝長のこれまでの貢献を賞し、大々的に葬儀を執り行った。
葬儀を終えた輝虎は、直ちに後藤左京亮勝元を使者に命じて、会津と米沢に遣わした。本庄繁長との和睦の仲介を依頼するためである。事実上の繁長の全面降伏を促すものではあるが、あくまでも対面を重んずる繁長が応じ易いよう、形だけでも和睦という線で進めることにした。
後藤勝元が会津と米沢から帰還したのは同年二月である。葦名と伊達の両家からは、繁長の赦免を条件とした、仲裁案が提示された。これは輝虎が事前に描いていた筋書き通りである。この内容は既に、両家から本庄繁長にも、直接提示されているはずだった。
あとは最後の仕上げとして、色部顕長を和睦の使者として本庄城に送り込むだけである。輝虎は赦免するに当たり、いくつかの条件を顕長に提示するよう言い渡している。
本庄城では戦支度を解いた繁長が、丁重に色部顕長を出迎えた。
「弥三郎殿、済まぬ。お主の言う通りであった。信玄の口車に乗った儂が愚かであった」
「弥次郎兄者、十分にお分かりであろう。それがしから、言うことはもう何もござらぬ。ただ、伊達や葦名からの仲裁は、御実城様の意向で実現したことじゃ。それだけは言わせて貰う」
「それは真実か」
「今更、ここで嘘を言っても始まらぬ。実のところは、それだけ御実城様は、兄者のことを評価もして、心配もしていたということを知って欲しいが故に、今明かしたまでのこと」
「儂は本当に大馬鹿者じゃ。本当に何という不始末をしでかしてしまったのか」
繁長は完敗だった。あらためて自身の未熟さを思い知ることになった。
「では、ここからは御実城様からのお達しとして聞いて頂く」
繫長は居住まいを正し、諸手を床につけて神妙な面持ちで、顕長の口から発する輝虎の言葉を待った。
「先ず、此度の謀反の咎を赦免する代わりに、ひと月の城内蟄居謹慎を命ずる」
「承知」
「次に、御実城様に対して忠誠を誓う起請文を差し出すこと」
「もとより、自ら差し出す所存」
「質として、嫡男の千代丸を再び春日山城に差し戻すこと。これは子煩悩な兄者として、お辛いと思うが如何」
「自らが蒔いた種、致し方なし」
「最後に、御実城様からの指令は絶対であり、決して背かぬこと。以上」
「委細、承知仕った」
繁長が顔を上げるのを待って、顕長は続けた。
「千代丸は再び手元から離れることになるが、春日山の質として預けられている子供達の暮らし向きを、兄者はご存知であろう」
「確かに、皆、質としではなく、まるで御実城様の子供のような扱いを受けておる」
「それがしは未だ登城したことがないから知らぬが、皆が口を揃えて同じことを言うのだから間違いない。安心して預ければ、きっと立派な武者になって帰って来よう」
「お主はすっかり、御実城様の虜になってしまったようだな。もとを糺せば、儂のお陰とも言える。少しは感謝してくれても良いのだぞ」
「兄者、それは戯れが過ぎます」
顕長の言葉とは裏腹に、顔は口元が緩んでいた。
こうして、一年続いた本庄繁長の乱は幕を閉じた。永禄十二年(一五六九年)三月のことである。
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