秀吉の狂気、からのいつもの飯ネタ(汗)
いや、ウチの父も秀吉は好きなんですが秀吉の良さは羽柴まで、と言ってますね。
立身出世のためなら手段を選ばず、といえばそれまでなのでしょうが、むしろ関白になって以降は完全に晩節を汚していく感が凄い。
利休の一件などは諸説あったりもしますが、秀次連座は後世まで残る「そこまでしなくても」案件でしたね。
広之「普段は湯漬けですよ」
茶々「本当かしら?このように美味なるものを作っては食し、ご自分だけこの世の美食を極めているのでは?」
広之「…いささか食に励みすぎたようで、すっかり某の信用は失墜したご様子…なれば今後は美味の探求は控え、慎ましやかに粗食のみで過ごすと致しましょう…御台様がたにもそうお伝え下され」
茶々「ソレには及びません!(ガタッ)」
作者からの返信
――応援コメント有難うございます。
信孝と長秀は広之の本を見ていろいろ間違いも多いけど書状含め結構行状が後世に伝わることを理解しています。
秀吉の晩節と家康の天下取りについて品格や徳も重要だな、と。
なので義昭の将軍返上のため努力する振りをして最終的には墓穴掘るような回りくどい方法。
茶々にすれば普段の日常食でさえこんなに美味だとしたら驚きでしょうね。
あの時代、大名でも普段は玄米飯、味噌汁、漬物が基本で、プラス焼魚や野菜の煮物程度だろうとは思います。
食べ物についてはいまのところ肉は鯨と鴨(鴨南蛮の記述だけですが)以外出さず、魚も鮮度や衛生の問題で生食禁止にしてますけど結構なんとかなりますね。
豊臣秀吉の秀次事件は、ほんと酷いですよね。
これに関しては弁護を拒否しますよ。
まったく擁護できません。
あまりにも残虐過ぎる。
こんな事したから民心を失ったんですよと
言いたい。
(だからこそ秀次の中身に現代人が転生したなんて小説の大ファンになったりするのですが。)
駒姫なんか、ほんと可哀想です。
秀頼の為に邪魔になりそうな物は全部取り除こうとか思っていたのだろうか、、、
味方になってくれそうな秀次を殺して
徳川家康を残してってのが皮肉過ぎますよね。
作者からの返信
――応援コメント有難うございます。
駒姫が亡くなった14日後には母親も亡くなっており、恐らく自害でしょ。
後に義光は2人のため立派な菩提寺を建立。山形城から駒姫の居室を移築。
ちなみに三条河原での処刑には石田三成も立ち会っています。
その三成も後年六条河原で斬首され、首は三条河原に晒されますが。
天下人の権力とはいえやりすぎですね。
秀吉の残虐さはまあ、散々武士や公家にいじめられてきただろうからその復讐とでも考えないと。
実際当時の偉い人達は調子に乗りすぎで下の立場の人間を虐げてましたからね。
ある程度は自業自得というかざまあというか…。
現代も権力者や有名人がやりたい放題してますし、それをもっと酷くした感じだったでしょうからねえ。
作者からの返信
――応援コメント有難うございます
国人や守護代の家系に生まれ、小さい頃から素養を身につけわけじゃないですからね。当作品でも豊臣というのは氏であり、源平と同じだと再三指摘してますが、関白叙任含めて、信長、足利将軍家、鎌倉北条でさえしなかった事を行なってます。譜代の家臣が居ないからこそ、そうさせたのか早急に足場固めようとしたのかも知れません。
しかし、それならば秀頼が生まれた後の秀次への仕打ちは地方領主が地元で行なうならだしも都で他の大名や公家を巻き込んで行なうにはあまりにも反作用が大きかったと思います。