第13話 教育と新居
「今日はありがとう」行為が終わると神谷は背中を向け、まるで他人行儀に言い放った。
朝になり神谷は急いで登山服に着替え「遅刻する。舞ちゃんまたね。連絡するから」と言い抱擁もキスも振り向きもせずに早々と下山していく。
「もしかしたら遊ばれたのかもしれない」という感覚が頭に張り付き神谷の抜けて行った身体に穴が開いたように感じる。
しかし唯一、手には神谷の抜け殻であるスマートフォンがある。これがある限り繋がってはいられるとスマートフォンを両手で握りしめた。
連絡先は一件、神谷のみだ。これでいつでも連絡が取れる。そう言ってくれた。舞から連絡していいものか迷うが教えられた操作方法で、試しにメッセージを送ってみる。
「先日から大変お世話になっております。遅刻せずに会社につきましたか?」
返事は夕方になっても来ず、夜も更けた頃に着信音が鳴り響いた。飛びつくように応答する。
「困るよ。朝にメッセージなんて。僕が結婚してるのも知ってるだろ?今後は控えてほしい。全く、物わかりの悪い…僕が連絡した時だけ返事すればいいから」と明らかに怒っている。
「ごめんなさい。私そういうの良くわからなくて…」舞は見えない相手に対して頭を何度も下げた。
その後、数秒間会話は無く一方的に電話は切れ、舞の心は乱れに乱れた。
もう消えてしまいたい、だが消えることはできない。涼や三井に逢いたい。生まれ変わりと言えど、やはり他人は他人だ。生まれ変わり、それすら疑ってしまう。
一度でも身体を許してしまった自分が許せない。
だが裏腹に神谷にまた逢いたい。頭と気持ちがバラバラになっているような感覚だ。
それからは自ら連絡をせずに神谷からの連絡をひたすら待った。
怒っているのか、もしくはそれを表現したいのか、忙しいのかはわからないが連絡は一か月ほど来ず、急に上機嫌で着信がきた。
「舞ちゃん、家用意したから。明日の朝山から下りてきて」少し鼻歌を歌っているようだ。「明日、ですか?」舞はつい物怖じしてしまう。
「荷物も置いてきていいから。服だけ持っておいで。下りたら連絡して。すぐ迎え行くから」と告げ、またも電話は切れた。
急ぎ、必要最低限な荷物をバッグに詰めこむ。といっても大きな物などは無いし新たに購入したものなども無く、当たり前だが山小屋に来た時と同様に一つのバッグに全てが収まった。
緊張と動揺で眠れないまま朝を迎え、バッグを背負い下山する。
一応忠告された通りに注意し、ワンコールだけ電話を鳴らすとすぐに折り返しの着信がかかってきた。
「良い子だね。ちゃんと今度からもそうしてね。もう近くにいるから迎えに行くね」優しい神谷の声とやっと逢えるという喜びに、初めて父から褒められた時のような安心感がする。
舞の想像通りと言えば想像通りの漆黒に、鏡の様に光るBMWで神谷は舞を迎えにきた。
神谷は乱雑にバッグを後部座席に放り投げ、隠れるように静かに伊豆から都心まで二時間弱走り「ここが舞の所」と古びたマンションを笑顔で紹介した。家賃は都心部にしては安く十万円と書かれた、今にも落ちそうな看板が打ち付けられている。
そこはかつて涼と暮らしたマンションに似ており、思い切り息を吸うと涼の匂いがしてきそうで思わず「涼」と呟いた。
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