第2話 人魚

母が来るのを待っていたら待ちくたびれてしまった。

父と違い母はマイペース過ぎるほどマイペースな人間だ。

朝の十時には迎えに来ると言っていたのに母が到着したのは十五時過ぎだった。

「お母さんおそーい」退屈そうに背筋を伸ばす。

「色々忙しかったのよ」母は舞を一瞥すると荷物の整理を始めた。


父と比べるとあまり円滑な親子関係ではないが常に心配はされていると思う。

「ねぇ私心臓弱いの治ったんだよね?」

「お父さんも言ってたでしょ。治ったから家に帰れるの」

舞の嬉しそうな顔を直視することができない。見れば舞の前で泣いてしまいそうだ。「でもね、まだ身体は弱っているからしばらくは布団での生活よ」


最後にプラスチックのコップをバッグに詰める。舞を車いすに乗せ病院を跡にした。「いつから友達と会えるの?」舞は友人が見舞いに来なければ会えない事を知らない。

「もう少しして体力が戻ったらね」母はなるべく舞を見ないようにして車いすを押す。

「こんな時にお父さんがいればね…」大きなバッグを二つ見つめながら独り言の様に発した。

「出張なら仕方がないよ。お土産買ってきてくれるんだって」舞は車いすの上で上機嫌だ。


二か月が経ち、康弘はオーストラリアの漁船の乗組員として働いていた。お国柄なのか、面接に行くと即漁船に乗せられた。英語は得意としているので会話には困らない。

「女の人魚を見たことがあるか?」同僚に尋ねると「この仕事を二十年しているが、見たのは二度だけだ」と返ってきた。

「捕えなかったのかい?」康弘は興奮気味に身を乗り出す。「こっちの人間は不老長寿なんてナンセンスなことは望まない。それに人魚も生きているからな」と言って同僚は白い歯を見せ笑った。

少しの希望が見える。捕え、舞に心臓を食べさせ心不全を治してみせると決意を新たにした。


就労ビザは三年にしてあるが、一年以内に帰らなければ意味がない。

奇跡が起こる事を願い、毎日船から降り帰宅ができる沿岸漁業で働いた。


一か月後、退院し布団の上で過ごす舞の身体には異変が起きていた。

治ったと信じている心臓が苦しい。動悸も激しく呼吸がうまくできない。

「お母さん苦しい。どうして…?」青ざめた表情で聞く。

「完全に治ったわけではないの。今はゆっくり休みましょう」母は涙を堪えて台所まで走った。すぐさま康弘に連絡を入れる。

「舞が心臓が苦しいと言っています。呼吸も乱れている。早く帰ってきてください」


それを見た康弘はマスターにすぐに帰る旨を伝える所だった。「くだらない伝説なんて信じて馬鹿な真似をしてしまった」痛恨の念が押し寄せる。


その時船員達から「奇跡だ」という声が上がった。

走り船首に行くと、女の人魚と思われる物体が瀕死の状態で海上に浮いている。姿形は醜く、髪は黒く乱れ、剝き出しの牙を露わにし、濁った瞳でこちらを睨みつけていた。想像していた人魚とは程遠い。


呼吸は浅く短く、各末端部分に血液が回っていないのか真っ白になっていた。

「タチバナ、捕まえるか?病気の娘がいるんだろう?」一番仲のいい同僚のマイクが返事を待たずに投網を使い人魚を船に打ち上げる。「殺せない…」としばし呆然としていると「こいつはもう長くない。肉を持って帰りたいなら俺がさばいてやるよ」とマイクは腰袋からナイフを取り出した。



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