第44話 エピローグ②

 休み明けの学校には、どこか浮ついた空気が漂っていた。

 浮ついた、といっても別に悪い意味じゃない。

 休日中に何をした、誰と遊んだ、どこへ行ったかなんていうワイワイガヤガヤした声がそこかしこから聞こえてくる。なんなら下駄箱横の職員室からもそんな空気は感じられた。


「……っ」


 きゅっと佐藤の体が少し強張る。

 騒がしい声がひとつするたび、どこか落ち着かない様子だ。

 正直その気持ちはかなり理解できた。なにせ、今日は俺と佐藤が恋人になってから初めて学校へやってきた日なのだ。友達とか知り合いとかそういう諸々への身の振り方はどうしたって少しは変わる。


 別にズレていたわけでもないのに、佐藤は両手で赤いメガネのフレームに触れた。くいくいっと軽く動かしながら、どうにか落ち着こうと深く息を吐く。

 その横顔にそっと声をかける。


「なるべくいつも通り、あんまり気負わずに行こう」


「え? あ、は、はいっ。……そう、ですよね。日向くんと私のことを言って回るわけじゃ、ないですし……」


 当然、佐藤と俺の恋人関係を学校のみんなにオープンにするのかしないのかという話し合いは休み中に済ませてある。なんなら気掛かりらしい気掛かりはそれくらいなものだった。俺の彼女がいい子すぎてやばい……。

 いったい世のカップルたちは何がきっかけで最愛の人と喧嘩したり別れたりするのだろうか……俺には当分、あるいは死ぬまで分からない気がする。


 話が逸れた。

 とにかく事前の話し合いで、俺と佐藤は今日これからの振る舞い方を決めている。

 そしてそれは至ってシンプル単純明快。



 お互いがしたいことをできるように。

 俺と佐藤の『いつも通り』をできる限り学校にも持ち込む。



 その過程で付き合っているのかと聞かれたら隠すことなく真実を伝えるし、逆に聞かれない限りはこちらからは吹聴しない。

 来る者拒まず、けれどこちらから呼び込んだりはしない。そんな感じ。


「大丈夫。今日は多分みんな様子見って感じだよ。連休中に関係が進んだのは俺たちだけじゃないだろうし、実際誰かが聞いてくるのは来週とか来月とかじゃないかな。……多分」


 当然、経験なんてないので俺にも確証はないが。


「うぅ……。そう、ですよね……そうだといいな……」


 祈るように佐藤がむむむと目を閉じる。そんな姿もめちゃくちゃ可愛いなぁ……と思っていたら、不思議と俺の方の緊張は軽くなっていた。メンタルにまで効くとか佐藤の回復能力がやばい。

 俺も負けじと佐藤の手を握る。すると彼女はぴくっと反応して俺を見上げた。

 そのままたっぷり五秒ほど見つめ合う。

 言葉は不要。

 しかし、それ以上の情報と感情が、お互いの眼差しや手のひらの温もりを通して伝わっていく。

 ふにゃり、と佐藤が目を細めた。


「……ありがとうございます、日向くんっ」


「こちらこそ」


 ふふっ、あははと笑い合う。

 ……いや本当に、目の保養すぎて視力良くなった気するわ今。俺の彼女が可愛すぎてやばい。


「それじゃ、行こうか」


「はいっ」


 手を離してから二人一緒に歩き出す。いくら二人の『いつも通り』を学校に持ち込むからといっても、それは別に所構わず手を繋いだりハグしたりするって訳じゃない。

 ただなるべくいつも通りに話したり、笑ったり、近くにいたいねという話。

 そもそも、佐藤の可愛い姿や表情を他人に見せびらかすのはあまり俺の気が乗らない。というか全く乗らない。だ、だってほら、可愛すぎて行く人見る人みんな気絶しちゃうかもしれないし……。

 ちなみに、俺は佐藤の可愛さでなら気絶したって構わない。むしろ気絶したいまである。……何言ってんだ俺は。


 変な思考は吐息と共に流してしまうに限る。

 ふぅ……と、バレないように小さな吐息を吐き出す。

 直後、ちょんっと俺の手の甲に馴染みのある温もりがした。

 見れば佐藤が自分の緊張を差し置いて、ほんのりぎこちなく微笑んでくれていた。

 きっとさっきのお返しなのだろう。

 ……超可愛い。

 猛烈に写真が撮りたいところだが、残念ながらスマホは鞄の中なので諦めて心のカメラにしっかりと収めておく。


 そんなことをしながら階段を登り、廊下に出る。

 多くの生徒が教室で友達との談笑に勤しんでいるからか、廊下の人影はまばらな印象だった。

 それでもすれ違う生徒はあらかた、吸い寄せられるように俺たちに視線を向けてくる。けれどもそこに敵意や嫉妬なんかは存在せず、みんな揃って「うわ、なんかめっちゃ可愛い子が歩いてくるんだけど! どうしようどうしよう、とりあえず挨拶、いやでも、ってあぁぁもうすれ違っちゃうから一旦会釈しとこ!」という感じで僅かな笑みとお辞儀をしてくれる。それを目で受け取って、俺と佐藤も同様に会釈を返す。


 それを数回ほど繰り返し、ついにクラスの前まで辿り着く。大きな扉に二人並んで対峙する。奥からは他と変わらないはずの、とびきり大きな喧騒が聞こえてくる。

 さすがに少し緊張するな……。

 そう思って佐藤の方を見やると、考えることは同じなのか、ばっちり目が合った。それがどうにも可笑しくて、二人揃って笑みをこぼす。

 つん、と、どちらからともなくお互いの手に触れた後、俺たちはその扉に手を掛けた。





 そんな長い長い決意と覚悟を胸に教室の扉を開けた俺たちだった、のだが……


「え、もしかして二人、付き合ったの!?」


 一歩足を踏み入れた途端、クラスの誰かがこちらをチラリ。

 一瞬にして目を輝かせ、叫んだ。


 …………なぜバレたし。



◇ ◆ ◇



 結論から言うと、俺の髪型がいけなかったらしい。

 そうですよね。何のきっかけもなく急にめちゃくちゃ髪型変えてくる男子ってあんまりいないですもんね。

 そんな俺の異変を察知してすぐ、その場にいた女子の半数以上が勘づいた……これは女のニオイだと。

 もう女子高生はみんな色恋沙汰の探偵業を営めるんじゃないかなと思いました。


 ……っと、いけない。

 そんなことよりまずは現状の確認を……


「二人はいつ付き合ったの!?」


「告白はどこで!?」


「最初に惚れたのはどっちから!?」


「関係はいつから!?」


「どういう感じで付き合ったの!?」


 えとせとらえとせとら。

 質問が多すぎてやばい。

 もはや誰の席かも分からない場所を用意され、佐藤と並んで座らされる。

 いっそ佐藤を連れて逃げようかとも思ったが、それは許さないとばかりにぐるっといつの間にか包囲網が完成されている。

 今まで、佐藤はともかく俺はそんなに目立つ存在じゃなかったはずなのに、みんなもうめちゃくちゃ興味津々に聞いてくる。

 悪意がないのは分かっているが、普通にちょっと怖い。

 何より怖いのは「こいつがぁ? 佐藤さんとぉ?」みたいな視線を向けられること……だったのだが、美羽のセットしてくれた髪のおかげかそういうのはほとんど感じられなかった。さすがは高校生、さすがはそれなりの進学校。その辺しっかりと弁えている。ありがたい。


「え、えっと、付き合ったのは休み中で……告白の場所とかは、その、秘密、で……っ」


 佐藤のそんな言葉に対し、きゃーっと黄色い花が咲く。……ちょっと怖い。声高い。


 こうなってしまった以上付き合っていることを隠すつもりはないが、それでもその詳細についてあれやこれやと話すつもりはない。それは佐藤も同じなのか、ほとんどの質問に「秘密です」「ナイショです」と答えている。

 しかし、それすらも妄想の材料にしてしまうのが女子高生という生き物で、佐藤が一つ答えるたびに女子たちは黄色い悲鳴をあげまくる。男子も羨ましそうな微笑ましそうな感じで佐藤の必死の答弁に聴き入っている。


 俺も気圧されている場合じゃない。

 笑顔をしっかり携えて、佐藤のフォローになるべく徹する。


 そして、誰かが自然と口にした。


「きっかけは何だったの?」


「……」


 その質問に、それまで比較的スムーズに答えていた佐藤が一瞬だけ固まる。


「あー、っと、それはだな……」


 適当にはぐらかしてしまおう。

 そう思って口を開いた瞬間、ぴた、と何かが俺の太ももに触れた。

 見れば佐藤が机の下でひっそりと俺の脚に触れている。

 顔を上げて彼女の視線を捉えると、佐藤は微かな笑みで俺を見つめ、その首を小さく左右に揺らした。


 もう、大丈夫ですよ。


 そう聞こえた気がした。


「……私は、日向くんの優しさに惚れたんです。誰かに言いたいけど言えないような、変な話でも真剣に聴いてくれて、私がしたいことをしてくれて、して欲しいことをしてくれて、……最近は、私にして欲しいことも、ちゃんと言ってくれて。日向くんを本気でその、好き……に、なったのは、多分、そういうのの積み重ね、だと、思います……っ」


 ちらりと俺に目を向けた佐藤は、視線がぶつかるとすぐに顔を逸らした。耳まで真っ赤になって本気で恥ずかしそうにする佐藤に、俺どころか周りの人間まで声が出ない。

 教室の窓の外では太陽が燦々と照っていた。まだまだ五月の上旬だが、それでも日に日に増していく温かさは夏の到来を予感させる。なんなら今はひどく暑い。佐藤に至っては顔から火を吹きそうなほど真っ赤になっている。

 右手が疼く。ズキンズキン、ぐぐぐーっと佐藤に触れたい欲求が増していく。可愛い頭に、髪に触れて、大好きだよと撫で回したい。

 でも、人のいる教室でそれはできない。

 なので代わりに、机の下で俺の太ももに添えられたままの小さな手を、これでもかというくらいに優しく握りしめる。気づいた佐藤が顔を逸らしたまま、ぎゅーっと握り返してきてくれる。


 みんなが未だ佐藤のガチ照れから復帰しない中、教室の扉が一際大きな音を立てて開いた。担任の先生が席に着くようにと言いながら入ってくる。


 ハッと我に帰ったみんなが俺たちに手を振って、散り散りに自分の席へと戻っていく。その内の男女一組は柔らかい表現のまめ俺たちの前から動かない。きっと俺と佐藤が座ってる場所の主だろう。


「それじゃ、またな」


「はいっ。……また、すぐっ」


 言ってから俺と佐藤も立ち上がり、こっそり安堵の吐息を吐いてから自分の席に戻った。

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