第43話 エピローグ①

 お泊まりから数日が経過した、ゴールデンウィーク明け初の登校日。


「それじゃあお兄ちゃん、行ってきます!」


「ああ、行ってらっしゃい」


彼女・・さんによろしくねぇ〜っ」


「……はいはい」


 からかうようにそう言って笑ってから、美羽は上機嫌に学校へと向かっていった。

 俺もそれから身支度を済ませ、いつも通りに最寄り駅まで徒歩で向かう。改札をくぐり、ホームへ出る。


 今日も今日とて駅のホームは混んでいた。

 特別誰かの会話が騒がしいわけでも、特別電車が多く行き交っているわけでもないのに、なんとなく五月蝿いと感じる圧迫感は四月から電車に乗り始めて一ヶ月以上が過ぎた今でもこの体は完全には慣れてくれない。

 そんなホームの片隅で、俺はひっそりとスマホを取り出した。そっとカメラを起動して右下の切り替えボタンをタップ。インカメを起動する。


「……よし」


 画面に映る自分が不恰好ではない事を確認し、俺は小さく息を吐いた。


 お泊まりの日。

 俺は佐藤に告白し、彼女と恋人になった。


 満足満足、めでたしめでたし……と、そういうわけにはいかないのが現実というものだ。最高に可愛い人を彼女に持ったからこそ、俺にはやらなければならないことがいくつもある。


 第一に、佐藤を溺愛すること。

 俺が頭を撫でるだけで佐藤はとろんと顔を蕩けさせる。可愛い。好き。たくさん見たい。


「……こほん」


 まあその辺りはこれからも毎日続けさせていただくとして……。


 第二に、俺が佐藤の隣に立てる男になること。

 これが至急の課題だったりする。


 不良の友達は不良だというように、人は誰かに関する情報を本人からだけ集めるわけじゃない。美少女の隣に立っているのが冴えない男では、見栄えがいいとは決して言えないだろう。

 だから、たとえ行く場所が学校だろうと、これからはちゃんと容姿に気を使う。慣れないうちでも、「行ってきます」を言い合う距離にスペシャリストがいるのだから、整えてもらった髪のクオリティは担保されている。


 ……が、気になるのでもう一度だけスマホでチェック。

 大丈夫。乱れてない。

 美羽もかっこいいって言ってくれたし。

 ……この間佐藤を迎えに行った時はそこまで気にならなかったのにな……不思議だ。


 そうこうしているうちに電車がやってくる。

 俺はスマホをポケットにしまい、ぷしゅーっと音を立てる電車の中へと乗り込んだ。壁際の定位置を確保し、佐藤の待つ駅へと向かう。


 できればこの時点で「何あの人かっこいい!」と乗り合わせた女子高生たちが俺のことを噂してくれたら良かったのだが、あいにくと俺にそこまで飛び抜けた容姿はない。美羽に髪を整えてもらっている今でも、セーラー服を着た女子が数人ちらほら視線を向けてくる程度。

 佐藤が集める視線の数とは正直比べ物にならないが、それでもまあ、見知らぬ誰かの気を一人でも引けたのなら今のところは十分だろう。


 いつのまにか何度目かの減速をし始めていた電車が、ぎぃぃぃぃぃ……っと音を立てて止まる。

 本人の希望により、今日はいつものお迎えはしないことになっていた。俺の早起きを気遣ってのことなら心配はいらないと伝えたが、佐藤としては「ちゃんと人目を克服したい」気持ちが胸の奥にあったようで、そう言われてしまっては俺も頷くしかなかった。

 とはいえ、それも「休み明けの日だけ」ということになっている。普通なら月曜日、祝日があればその翌日も含まれる、という具合。

 それ以外の日は、これまた本人の希望で、「家まで迎えにきて欲しい」とのことだった。


 そんなわけでゴールデンウィーク明け初日の今日、電車のドアが息を吐くようにぷしゅーーっと開いた。

 その音に、ドクンと心臓が強く鳴る。

 これまで不快感が強かったはずの音が、最近はこうして心臓を高鳴らせてくれていた。

 続々と人が出ていく。

 そして、今度は逆に入ってくる。

 かたかた靴を鳴らして入ってくる人の集団。

 その中の一人、つい目を奪われてしまう程の美少女が、周囲の目を引き寄せながらも静かに俺の前までやってきた。


「おはようございます、日向くんっ」


 両手でカバンを前に持ち、彼女はにっこりと微笑みながらそう言って挨拶した。

 

「おはよう佐藤。……大丈夫だったか?」


「えっと……はいっ。まだ完全にじゃないですけど、少しずつ……着実に、良くなってきていますから」


「そっか。なら良かった」


 ホッと胸を撫で下ろす。


「日向くんのおかげですよっ。……その、いつかちゃんと克服できたら、また毎日迎えにきてくれますか?」


「ああ、もちろん」


「やったっ。じゃあ、その時になったら、またよろしくお願いしますね」


「任された」


 俺がそう返すと同時、ちょん、と右手に柔らかい何かが触れた。

 見れば佐藤がカバンを右手に持ち替え、空いた左手で俺の右手にちょんと優しく触れてきていた。それを今度は俺から握ってやると、佐藤は俺を見上げて改めてふわりと微笑んだ。


「髪、とっても似合ってます。かっこいいですっ」


 ちょっぴり見惚れてくれている様子で佐藤は頬を朱色に染めた。

 ふぅ、と俺は胸中で再び安堵する。


「それが聞けて一安心だよ。佐藤も、めちゃくちゃ可愛い」


「……えへへ」


 照れながら、佐藤はさらさらなストレートヘアーを小さく揺らした。


「私も今日は、いつもより髪が柔らかく梳けた気がしているんです。……だ、たからその……後であたま、なでてほしい、ですっ」


「分かった。……って、いや、普通俺の方から撫でさせて欲しいってお願いする内容だったような……」


「い、いいんですよ、私からで」


 顔を赤くして佐藤が恥ずかしそうに目を逸らす。


「それよりも、日向くんはなにか私にして欲しいこと、ありませんか?」


「……髪を撫でたい以外で?」


「髪を撫でたい以外でです」


 楽しそうに苦笑する佐藤。どうやら同じものはダメらしい。

 少し考えてから、俺は彼女の耳元に顔を寄せた。


「じゃあ、学校に着く前に、ハグ……とか」


「わ……っ」


 佐藤の体がぴくっと跳ねた。

 しかし驚いた顔は一瞬で、すぐに嬉しそうに「ふふっ」と顔を綻ばせる。

 それから可愛らしく背伸びして、俺の耳元にピンク色の唇を寄せてくる。


「は、ハグなんて……それこそ私の方がお願いするやつじゃないですかっ」


「……」


「けど、日向くんとのハグ……楽しみですっ」


 そう言われて、俺は佐藤の顔を一度見つめて苦笑した後、ゆっくりと窓の外に目を向けた。

 青い空。

 見慣れた街の景色。

 反射で映る佐藤の恥ずかしそうにする様子。

 ……可愛すぎる。


 世の中のカップルが街中でイチャイチャする理由が分かったような気がした。


 ……今のうちに人目の無さそうな場所をいくつかリストアップしておこう。心の中で。


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