第45話 エピローグ③

 お昼休み。

 換気のために開け放った窓から心地よい風が吹き込むおかげか、教室の中は朝よりもいくらか涼しく感じられた。

 非常に快適。過ごしやすい気温だ。

 教室、といっても、ここは自分たちのクラスではない。佐藤がその真価を発揮する前に、彼女と一緒にお昼ご飯を食べていた空き教室である。

 そんな場所に、今は佐藤と二人きり。美味すぎるお弁当を食べ終えて、ほっと一息ついているところだった。


 正直、今日はこういう時間は取れないと思っていた。

 佐藤の人気っぷりから察するに、朝バレた時点でこれはお昼休みも無理だろうなと。


 だが、そこに気を回してくれたのが湊だった。

 カップルには二人きりの時間が必要だとかなんとか言ってみんなを取りなしてくれたのみならず、最後にはぐっと親指を立てて俺たちを送り出してくれたのだ。……かっこいいようで恥ずかしい。危うく共感性羞恥とやらになりかけた。


 それでも、ありがたいことには変わりない。


 一人でしみじみと湊に感謝していると、不意に佐藤が顔を上げた。


「……あ、そういえば、お姉ちゃんから日向くんに伝言を頼まれているんでした」


 伝言? と首を傾げて先を促すと、佐藤は可愛らしくこほんと咳払いをした。


「えっと、『妹をよろしくね。それと、今度二人でお茶しよう?』……とのことです」


 僅かに声を低くして、佐藤が真彩さんの真似をしてみせる。

 ……佐藤の低い声もめっちゃいいな。


「付き合い始めたこと、話したのか?」


 まず気になったことを尋ねてみる。すると佐藤は少しだけ気まずそうな顔をした。


「あ、その……お泊まりの後、家に帰ってすぐ話しちゃいました……。私、日向くんと付き合えたことが嬉しくて、……、あ、あの、ダメでしたか?」


 不安げな瞳に、俺は優しく首を振って答える。


「いや、全然ダメじゃないよ。俺も美羽には話しちゃったようなもんだし」


 実際には意味不明なほどに察しが良かったという感じなのだが、まあ目は口ほどに物を言うというし、例え俺の嬉しいオーラが原因であれバレてしまったのなら話したも同然だろう。というかその後めちゃくちゃ話しました。

 それに特段、身内に内緒にすることでもないだろう。むしろ自慢したいまである。


 と、それよりも今は真彩さんの伝言だ。


 妹をよろしくの方は是非もなし。

 だが、お茶云々の方は想像してみると少し苦笑が漏れてしまう。


 だってまだ一回しか話したことないし!


 一回だぞ一回。確かにその一回の密度は大きかったような気もするが、親しいというには程遠い回数だ。そんな人と二人きりで食事なんてしたら、さすがに黙り込んでしまう自信がある。

 そして何より、『妹をよろしくね』の後についた『今度二人でお茶しよう?』には、どうしても俺の品定めというか、『ご家族にご挨拶』みたいな怖さがある。年上だと尚更。


 俺の苦笑に気づいたのか、佐藤がひょいっと体を傾けて横から俺の顔を覗き込んできた。柔らかい笑みを浮かべ、ちょっぴり首を傾ける。長い黒髪が絹のように垂れ、風に揺れた。


「大丈夫ですよ。日向くんとお姉ちゃんを二人きりで食事だなんて、私が絶対にさせませんからっ!」


 ふふんと得意げに微笑む佐藤。

 ……おお、いつになく力強い眼差し。

 かと思ったら、突然、目尻を下げて唇を尖らせる。


「……私だって、この間初めてしたばっかりなんですよ? 二人きりでお外ご飯」


 ぷくーっと小さく頬まで膨らませ、真彩さんと俺が二人きりでお茶することに断固反対の意思を示す佐藤。もう可愛すぎてどうしようこの子。


「……じゃあ、今度またどっか食べに行こう。ご飯、俺と佐藤の二人きりで」


「……っ! 行きます! 絶対!」


 誘ってみると、佐藤はぱぁっと途端に笑顔になった。前までだったら想像もできなかったような表情に胸の高鳴りを感じつつも、最近はよくこういう顔も見せてくれるんだよなと思うとじんわり胸が温かくなる。

 あ、と佐藤が再び声を漏らした。


「そういえば、もう一つありました、伝言。『ありがとう』って……日向くん、お姉ちゃんに何かしてあげたんですか?」


「ん? いや、そんなことないと思うけど……」


 と、言ってから気づく。

 以前、真彩さんが佐藤のことを本気で心配していたことを。

 それはきっと佐藤の過去のことであり、痴漢のことであり、どちらにせよ佐藤が心を閉ざしてしまうことに対する大きな不安だったはずだ。

 だとすると、佐藤が嬉しすぎて俺と付き合ったことを真彩さんに話してしまったという場面は、もしかしたら真彩さんにとっては心から嬉しい瞬間だったのかもしれない。

 きっと同じ立場なら、俺も同じ言葉を贈るだろう。

 そのことに対する『ありがとう』だと俺は受け取った。


 そうすると、お茶のお誘いに対する返答は自ずと決まってくる。

 一呼吸置いてから俺は口を開いた。


「まあ、なんにせよ……、いつかどこかで一度くらい、真彩さんも交えて三人でご飯食べるのもいいかもな」


「……それなら、はいっ。それじゃあその時は、美羽ちゃんも呼んで四人でご飯食べましょうか」


「そうだな。美羽もまた佐藤に会いたがってたから、絶対喜ぶと思うよ」


「美羽ちゃん……っ! で、でも、その前にまず、日向くんと二人きりでいっぱいご飯食べますからね」


 そう言って俺の肩に寄りかかり、佐藤は楽しそうにふふっと笑みをこぼす。


「ああ、喜んで」


 俺も頷いてから、腕を回して佐藤の肩を抱き寄せる。

 小さい。小さい……が、これでもかというくらいに柔らかく、愛おしい。


 二人でなんとなく目を閉じながら、俺たちはお昼休みが終わるまでそうしていた。

 きっと、これからもこうして過ごしていくのだろうと、なんとなく、確信しながら────。






◇ ◆ ◇






 それから二ヶ月ほど時は過ぎ、駅のホームにて。



 蝉の声がうるさいほど響く中、電車はいつも通りにやってくる。

 照りつける太陽を一度ぼんやり見上げてから、学校の鞄を背負い直して電車の中へと足を進める。プシューっと鳴ってドアが閉まり、今日も電車が走り出す。


 週明けの電車はいつもと変わらず混んでいた。

 もう何度目かも分からない電車の中から窓の外を眺めつつ、過ぎ去る景色とカウントダウンに、ふぅっと小さく息を吐く。

 いくつか駅を過ぎた後、すっかり見慣れた駅のホームに辿り着く。何度も降りて、何度も彼女を家まで迎えに行ったその駅は、今日もたくさんの人がいた。


 再びドアがプシューっと鳴って開くと、ざわざわとした人の波が押しては引いてやって来る。


 その先頭、後ろに大量の人集りを引き連れて、彼女は今日も待ちきれないとばかりに、ほんのちょっぴり早足でやって来た。

 綺麗に切り揃えられた前髪を少しだけ気にしつつ、俺と目が合った途端、彼女はとびきり可愛く、嬉しそうに微笑んだ。


「おはようございます、ひな……、かおるくんっ」


 そう言ってくれる俺の彼女・・に、俺も笑って言葉を返す。


「おはよう、彩音」


 名前を呼ぶと、彼女はくすぐったそうに笑って頬を染めた。

 肩が触れるほどの距離まで寄り添い、二人並んで手を繋ぐ。もちろん、他の人の邪魔にならないよう気を付けつつ。


 固く繋いだ佐藤の、彩音の手は、何度握っても驚くほどに柔らかい。

 そんな彩音の小さな手を離してしまわないよう深く深く握りこむと、彩音はいっそう嬉しそうに頬を緩めて、同じようにぎゅーっと握り返して来てくれる。


 万が一、倒れて来ても大丈夫なように。

 お互いしっかり支えられるように。


 窓に映った反射越しに、もう一度彩音と目が合った。

 ピンと伸びた姿勢。

 綺麗な立ち姿。

 美しく長い髪。

 そして何より、優しく穏やかな瞳。


『大好きだよ』


 口パクでそう伝えると、佐藤はぴくっと小さく跳ねた。それからぎゅーっと俺の手を握ってきて、照れたように窓に向かって小さく口を動かした。


『私も……大好きですっ』


 その言葉に今度は俺が微笑んで、ぎゅっと彼女の手を握り返すのだった。




〈了〉














【あとがき】

 これにて本編、完結とさせていただきます!

 本当に本当に、最後までお読みいただきありがとうございました(´;ω;`)

 そして、応援してくれた方々、本当に本当にみなさんの応援に支えられて最後まで書き切ることができました。ありがとうございました!


 佐藤と日向くんのイチャイチャな毎日は、きっとこれからもずっとずっと続いていくと思います。


 さて、最後に。

 更新はこれにて終了となりますが、コメントやレビューなどは以降もいただけたものは全て読ませていただきます。なので、「面白かったぞー!」という方、いらっしゃったらぜひ反応をくれると嬉しいです( *´꒳`*)


 改めて、本当にありがとうございました!

 またどこかでお会いできると嬉しいです〜!


Ab

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

痴漢から助けたクラスメイトの地味子、どういうわけか会うたびに可愛くなっていく Ab @shadow-night

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画