第27話 約束と佐藤


 湿っぽい空気になってしまったが、今日は普通に平日なので学校には行かないといけない。


 佐藤の手を引いて家を出る。


 駅まで向かう道すがら、もう少しだけ佐藤と話す。


「今度のゴールデンウィーク、何か予定あったりする?」


「ゴールデンウィークですか? え、えっと……特には、ないですよ」


「じゃあ、二人でどこか遊びに行かない? せっかくの休みだし、ちょっと遠出とか」


「……それって、お、お泊まりってことですか?」


「いや、さすがにそこまでのつもりはなかったけど……まあ、場所によってはその可能性もあるかもしれない」


「わ……っ」


 目を丸くして佐藤が驚く。

 男女二人きりでの旅行はさすがに攻めすぎたか。

 俺も異性をそういうのに誘った経験はないので、適切な距離感がよくわからない。


 どうしたものか。

 せめて遊びの約束は取り付けておきたいんだけど……

 なんて俺が一人で思案していると、不意に佐藤が嬉しそうに笑って俺の腕に抱きついてきた。


「ふふっ、どこ行きましょうか?」


「いいのか?」


「……ん、何がですか?」


 可愛らしく首を傾げる佐藤。

 本当に、出会った頃とは比較にならないくらい人見知りが改善されている。

 いや、もともと本来の佐藤はこっちだったのかもしれないが。

 まあ、だとしたら尚の事、佐藤の変化は好ましい。


「いや、気にしてないならいいんだ。どのみち泊まりになったら部屋は別にとるだろうし」


「あ、あぁ……そういう、ことですか。……私、これでも結構自分の気持ちを表現してるつもりなんですけど、日向くんには、伝わってないですか……?」


 ぎゅーっと腕に抱きついてきて、制服の膨らみを押し当ててくる。

 抱きしめた時とは違う別種の柔らかさに、思わずドキッとしてしまう。


 少し前まで泣いてたはずなんだけど……

 もちろん、元気なのはいい事だが。


「伝わってなかったら、家まで迎えにこないよ」


「そ、そうですか。なら、良かったです……っ」


 恥ずかしそうに頬を染めた佐藤が俺から離れる。


「それはそれとして、部屋は別にとるけどね」


「……むぅ」


 そう言うと佐藤は僅かに納得がいかなそうな表情で唇を尖らせた。

 可愛い。

 けど、今言ったら怒られそうなので飲み込む。


「……部屋が別々でも、遊びに行くのは自由ですよね?」


「それはもちろん」


「分かりました。それならまあ、良しとします」


 冗談っぽく佐藤が鼻を鳴らす。


「なんか佐藤、ちょっとわがままになった?」


「……そ、そうですか?」


「うん。ちゃんと自分のしたいことを言ってくれるようになったというか、遠慮がなくなったというか。あ、もちろん良い意味でだけど。ごめん、言葉が悪かった」


「だ、大丈夫ですよ。気にしてませんから。……それに、私がわがままになれたのは、日向くんのおかげなんですよ。私のあんな話を聞いても、嫌な顔をせずに、変わらずそばにいてくれてるんですから。全部見せてもいいんだって……思いますよ、そりゃ……っ」


 佐藤は柔らかく目を細め、はにかんだ。

 俺もつられて口角が上がる。

 心の壁はもうゼロだと言われて、嬉しく思わない人はいない。

 それになにより、まださっきの佐藤の嗚咽が耳に残っているからこそ、こうして笑ってくれていることが俺は嬉しかった。


「……そっか。なら、もう、これからもずっと俺のそばで笑っててくれ」


「……え?」


「俺はそれだけで満足だから。万が一にも不誠実なことは、絶対に言わない」


 改めてそう伝える。

 例えいつか、将来的に俺と佐藤が喧嘩をしてしまったとしても、優しくして損しただなんてことは絶対に言わないと。


 佐藤は俺を優しく見つめながら聞いてくれていたのだが、言い終えるとすぐに顔を逸らした。


「……っ」


 わずかに歩幅が小さくなり、肩が震え始める。

 俺は務めて前を見るようにしていたが、それでも体が半分密着している状態なので、佐藤が必死に目を擦っているのを感じ取れてしまう。


「ごめん、外で言うことじゃなかった」


「……いいえ、大丈夫ですっ。日向くんがそう言ってくれて、ちょっと、嬉しすぎただけですから。飛び上がりたいのを我慢したら、少し、溢れてきちゃったんです。……私の方こそ、これからもずっと、日向くんのそばにいさせてくださいね」


 そう言って佐藤はぎこちなく、だけど心の底から嬉しそうに俺の目を見て微笑んだ。








 そんなこんなで、俺たちはいつもより少しだけ遅れて学校に到着した。

 教室に入ると早速佐藤の周りにはたくさんの人が集まった。

 今は学校なのでメガネをかけており、素顔とはまた違った少し知的っぽい可愛さがある。


 佐藤の過去を聞かせてもらってから、俺は正直悩んでいるところがあった。

 それは、佐藤の学校での人気について。


 今の人集りを見ても明らかなように、佐藤は俺の友達贔屓を抜きにしても相当に可愛い。

 学校で一番……というほど俺はこの学校の生徒について知っているわけではないが、それでも人を惹きつけるほどの可愛さというのはかなりのもので、多くの生徒にとって佐藤が高嶺の花の一つになったことは間違いないだろう。


 今ではクラス、そして一年生全体にも広まりつつある佐藤の認知度だが、これから上級生たちにも知られていくのはまず間違いない。


 そして、そうなれば当然、佐藤は注目を浴びる。


 それもほとんど、全校生徒からという規模で。

 中には告白をする者だって出てきてもおかしくはない。


 そうなった時に、果たして……

 佐藤は耐えられるのだろうか。


 もちろん俺がそばで全力で支えるつもりだが、それでも結局、最後に注目を集めるのは佐藤本人だ。

 『優しくして損した』などと言われ、素直に人と向き合うことが怖くなってしまった佐藤は、果たして大量の"優しさ"に耐えられるのだろうか。


 などと、思っていたのだが……


「佐藤さんって、前は違うメガネしてたよね? 最近変えた?」

「は、はい、変えました」

「だよね! 今のすごく似合ってるよ!」

「ほ、本当ですか……! そう言っていただけて嬉しいです。このメガネは、その……大切な人に選んでもらったものなので、私もとっても気に入っているんです。松下さんも、ブレスレット、素敵ですね」

「ほんと!? ありがとう〜!」


 こんな感じで、なんだか全然平気そうだった。

 クラスメイトとアクセサリーを褒め合って、楽しそうに談笑している。

 他の生徒もニコニコ朗らかな表情で、「えへへ」と笑う佐藤たちを見守っていた。

 俺の目から見ても、悪意の類いは感じられない。


 ……というか、俺を指しているであろう代名詞がとんでもなく恥ずかしい。

 いや、もちろん嬉しいし、そう思ってくれていることは理解してるつもりだけど。

 こう、なんというか。

 直接言われるのと、他の会話でぽろっと出てくるのとでは、違うというか……。


 顔には出さないが、照れる。

 すると、ふと佐藤が俺の方を見た。

 俺も佐藤を観察していたので、目が合ってしまう。


「……っ」

「……?」


 一秒くらい見つめ合う。

 無言で、言葉はなく……

 感情を送り合っているわけでもないのに、佐藤の頬が僅かに紅潮していく。

 そして、最後にふにゃりと蕩けるように笑って、佐藤はクラスメイトとの会話に戻っていった。


「……可愛いな、本当に」


 小声で呟く。


 みんなに向けているのとは少しだけ違う、安心感のこもった柔らかい笑顔。

 それを一瞬だけ俺に向けてくるのは反則だろう。 


 相手が俺だとみんなに気づかれた様子はない。

 が、美少女の素に近い笑顔を目撃した生徒たちの何割かは、その美しさに息を呑んでいるようだった。


 俺は気恥ずかしくて頬を掻き、ホームルームが始まるまで窓の外を眺めていることにした。

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