第16話 ショッピングと佐藤⑤

「お待たせしましたっ」


「全然。ちゃんといいの買えた?」


「は、はいっ……!」


「見て見てお兄ちゃん、美羽も彩音ちゃんにお洋服選んでもらっちゃった!」


 佐藤から上着を返してもらった後、俺は店の外に出て、近くで二人を待つことにしていた。

 ありがたいことに試着は見させてもらった俺だが、実際に普段着として着るかもしれない『買う服』まで見るのはさすがにダメだろうという判断に基づいて。

 男がいない方が自由に買えるだろうからな。


 嬉しそうに近づいてきた美羽の頭を撫でて、その服の入った紙袋を受け取る。


「佐藤のも持つよ」


「あ……ありがとうございますっ」


 受け取った紙袋は美羽のよりずっと重かったけど、それでも負担になるほどでは全くなかった。

 それを分かってたから俺に預けてくれたのか、それとも遠慮しないを実践しようとしてるのか。どっちにしろ、佐藤が成長したことには変わりない。

 さすがに頭は撫でないが、代わりに空いている方の手で佐藤の指先にそっと触れる。


「……っ、ふふっ」


 すると、これがまた本当に嬉しそうにはにかんでくれる。丁寧に整えられた佐藤の爪は、触っても全く痛くない。


 つん、と柔肌に指を当てて、なぞるように下へ沿わせていく。そして爪の先から俺の指が離れると、佐藤が追いかけるようにまた指を触れさせてくる。


「……っ」


 息を呑んだ佐藤の様子を伺いながら、俺は彼女の小指から人差し指までの四本をそっと握った。

 柔らかい。その上、細い。

 下手に力を入れると痛くしてしまいそうなくらい華奢な指。そのうちの一本は慣れ親しんだ小指だというのに、今は不自然なほど柔らかく、温かい。

 そのまましばらくすると、彼女の指先にもぎゅっと力がこもり始める。


 これは……オッケーって、ことなのか?


「……どうぞっ」


 ……なんて考えていたら、聞く前に佐藤が肯定してくれた。それから、自然と俺の肩に身を寄せてくる。


 小指から、指四本へ。

 許可が降りたので、しっかりと握る。


「もー、合流した途端にこれなんだから」


「……俺は悪くない」


「そ、そんな……っ!?」


「二人ともだからねー? ま、彩音ちゃんがいいなら美羽が口を挟むことじゃないけど……ちょっと嫉妬しそう……なんて」


「ぅ……」


「ごめんな美羽。でも、今日は佐藤の安全優先で。美羽は迷子にはならないだろ?」


「そりゃあ中学二年生にもなったので!」


「わ、私ももう高校生ですからっ……さすがにもう、迷子にはなりませんよ……?」


「え! じゃあお兄ちゃんの手は美羽が──」


「あ……や、やっぱり、なっちゃうかもしれません……っ」


「絶対ウソだ……! お兄ちゃん、今の絶対ウソだって!」


 突如始まった俺の右腕争奪戦……というとなんだか物騒に聞こえて仕方がないが、もちろんそんな危険な要素は全くなく、完全に美羽が佐藤を揶揄からかってるだけの状況。

 うっすらと笑う美羽に対して、佐藤はちょっと本気そうな雰囲気で俺の腕に絡みついてくる。


「ひ、日向くんは、誰にも……」


「誰にも〜?」


「だ、誰にも…………だれにも……あげませんっ」


「……ひひ、あはは、そっか〜! じゃあ美羽は彩音ちゃんと手繋ぐ〜!」


「う、うん、それならもちろん……っ!」


 佐藤と俺は、お互いがお互いにとって高校でできた最初の友達だ。俺の場合は中学からの知り合いがクラスにいたからいいものの、佐藤の場合は本当に高校でできた初めての気を許せる相手……なのだろう。


 だから多少独占欲が強目に出てしまうのは仕方がないことだと思うし、何より俺も、俺を一番の友達と呼んでくれた佐藤とは手を繋いでいたい。


 少なくとも今は、俺の隣にいて欲しい。


 ……と、そんな俺の意見は言うまでもなく、美羽が佐藤の空いている腕に抱きつき落ち着いた。


「それで、この後はどーする?」


「そうだな……」


 一番の目的である洋服は既に見終わった。

 まあ、美羽ならまだまだいくらでも洋服巡りしていられるんだろうが、今日は美羽一人でもなければ美羽と俺の二人でもない。


「佐藤はどっか行きたいお店ある?」


「わ、私は……そうですね……」


 言いながら背筋をぴんと伸ばした佐藤は、周りを見回し、背伸びして……少し離れた所に見えるお店の方を向いて、顔を止めた。


「そ、それじゃあ、もう一カ所だけ、私の試着に付き合ってもらってもいいですか……?」



◇ ◆ ◇



 現在午前十一時。佐藤の希望でやって来たのは、服屋から少し離れた場所にあるメガネ屋さんだった。


 オシャレな雰囲気の店内には、まず何といっても至るところにメガネが置かれている。

 色も形も千差万別。

 だが、素人目にはそれくらいしか違いが分からない。

 美羽がいてくれたら心強かったのだが、目的地がメガネ屋さんだと分かった途端に、『これはお兄ちゃんじゃないとダメなやつだ……!』と言って隣の服屋さんに一人で行ってしまった。一応佐藤には断っていたので、連れ戻しはしなかったが。


「ここに出てるのって、全部試着しても大丈夫なやつ?」


「は、はい、そうだと思います。実際に買うのは、別で箱に入っているやつなので……っ」


「あー、これか」


 近くを見てみると、確かに試着用のメガネが置かれた机の下に、新品の箱が所狭しと積まれている。


「日向くんは、メガネ屋さん、初めてですか?」


「うん、初めて。佐藤は……って、初めてなわけないか」


 だってメガネ掛けてるし。

 そう思って呟いたのだが、驚くことに彼女は苦笑して、首を横に振った。


「わ、私も、自分で入ったのは今日が初めてなんです。何度かお姉ちゃん……あ、姉の付き添いで入ったことはあるんですけど」


「じゃあ、今掛けてるメガネもその時に?」


「こ、これは……」


 俺と繋いでいない右手で自分のメガネのフレームに触れた佐藤は、どこか懐かしむような表情を浮かべ、そのままゆっくりと俺を見上げた。


「その……結構前に、姉からもらったやつなんです」


「へぇ、お姉さんから……」


「そろそろ変えようかなって思っていたタイミングで、日向くんが今日誘ってくれたので……えっと、せっかくですし……選んで欲しくて」


「日用品なのに、俺が選んじゃっていいの?」


「に、日用品だからこそ、日向くんに選んでもらいたいんです……っ」


「……分かった。そういうことなら、一番似合うやつを選ばないとだな」


「あ、ありがとうございます……っ!」


 ふわりと笑った佐藤が、俺の腕に顔を寄せてくる。


「試着するならメガネ預かろうか?」


「は、はいっ、ありがとうございますっ」


 そうして一度メガネを外した佐藤の素顔は、以前見た通りに、やっぱりめちゃくちゃ可愛かった。

 それこそ、俺が適当に選んだメガネでも『可愛すぎる』と学校で話題を作れる自信があるほどに。


 ……逆に言えば、これだけのポテンシャルを持った佐藤の魅力を、少なくともパッと見では気づかせない今のメガネがどれだけ地味なんだって話だけど。


「……日向くん?」


「あ、いや、ごめん。なんと言うか、メガネつけてないのが新鮮だったから」


 思わず見惚れてしまっていた……とは言えない。


「……っ、ま、まだ二回目ですもんね、日向くんの前でメガネを外したの」


「だな。今日は眠くない?」


「ふふっ、おかげさまで、元気いっぱいですっ」


 微笑む佐藤が小さく拳を握り、本当に元気だよって伝えてくる。


「……あの、も、もしメガネをつけてない方が好きだったら、言ってくださいね……? 私、いつもコンタクトに伊達メガネなので、どっちでも大丈夫ですから」


「……え、そうだったの?」


「は、はいっ。気づきませんでしたか?」


「……全く」


「目の大きさとか、さっきと今とで変わってないんですよ。度が入っていると、大きく見えたり、小さく見えたりするので……。そ、それに、姉から度の入ったメガネを貰うわけにはいかないですからねっ」


「言われてみれば……確かに……」


 そういえば美羽も、今朝佐藤を電車で見つけた時に『アイドルが変装してる』って言ってたっけ。どれだけ目が肥えてるのやら。


「わ……ち、ちかいですよっ」


「ごめんごめん。でも、本当に伊達メガネだったんだなーって思って。……それにしても可愛いなぁ」


「え」


「佐藤って好きな色とかある? 俺が選ぶにしても、佐藤の好みはちゃんと入れたいからさ」


「え、あ、あの…………はい……っ。黒とか、あ、赤も……好き、です」


 その二択なら赤がいいかな。

 今のやつが黒だし。


「これとかどう?」


「……か、かけてみますねっ」


 俺が選んだのは、今の黒縁メガネとは色も形も違うやつ。

 色はもちろん赤だが、佐藤の髪色とも合うように少し淡い赤を選び、フレームも細めで、下側だけのものを。あくまで佐藤本来の可愛さを支えるように、メガネ自体の主張は弱くした。


「……ッ」


「……ど、どうですか?」


 朱色の頬に、黒い髪。

 その中間に位置する淡い赤色のメガネは、確実に狙い通りに、佐藤の可愛さを邪魔なんかしておらず……

 それなのに、どういうわけか主張が強くて、目が離せない。


「……ひ、日向くん?」


「えと……と、とりあえず、鏡見て」


 言葉が出てこないので近くの鏡を指さすが、佐藤が顔を逸らしてくれない。


「わ、私、最初に日向くんの感想が聞きたいです」


「……」


「……ダメですか?」


「……ぐ……っ」


 五センチ、十センチ……と、向かい合った佐藤が俺の顔に近づいてくる。


 服が擦れるほどの距離。

 こうなると、彼女の甘い香りが麻酔のように俺の頭に広がっていく。それになんか、柔らかい。


「……変なこと言っちゃうかも」


「……っ。い……いいですよ」


「ほんとに?」


「……はいっ。……私、日向くんの言葉なら、全部聴きたいんです」


 そうして、小さな天使は優しく俺の逃げ道を塞いでいく。

 これも成長……なんだよな、きっと。

 今までこんなにぐいぐい来たことなかったし。


「じゃあ……」


 呟き、俺は佐藤の耳元に唇を寄せた。


 ここは服屋さんほど広くない。

 他のお客さんにも、店員さんにも聞かれないように、出せる限りの小声で、吐息混じりに囁く。


「めちゃくちゃ……その……俺の好み、かも」


「……っ!!」


 ビクッ、と全身を震わせた佐藤が、固まる。

 その隙に後ろへ一歩下がろうとした俺だったが、いつのまにか俺の上着の袖を掴んでいた佐藤によって、それはしっかり阻止される。


「……ひ、日向くんは、メガネ姿……す、すき、って、ことですか……?」


「……うん」


「うぁ……っ……っ」


「で、でも、もちろん変な意味じゃないというか……」


「ぁ……で、ですよね……」


「ただ純粋に好きな見た目だなっていうか……いや、とにかく、メガネを掛けてる今の佐藤も、外してるさっきの佐藤も、俺はどっちも……可愛いと思う」


「ぅ……そ、それって……そのほうが…………っ」


 俺を解放して、くるっと後ろを向く佐藤。

 そのあと一瞬だけ鏡の方を向き、すぐにまた俺に背を向ける。


「……こ、これ、買ってきますっ」


「え、でも、まだ一つ目……」


「い、いいんです……こ、これが、欲しいので」


 そう言われてしまったら、もう俺に佐藤を止める権利はない。

 せめて変なことを言ったお詫びにお金くらい出してあげたかったんだが、ここで俺が払ってしまうと、佐藤はいつまで経っても自分のメガネを持てないことになってしまう。


 ああ……

 友達の女の子に『可愛い』以上はダメだって、さっき洋服の試着の時に思ったばっかりのはずなのに。

 こうも全部受け入れてもらっちゃうと、その辺の線引きがどんどん曖昧になってくる。


「……参ったな」


 一人で会計へ向かった佐藤を遠目に、俺は大きく溜息をついた。

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