第9話 お昼寝と佐藤

「ごちそうさまでした」


「お、お粗末さまでしたっ」


 翌日になると、佐藤はさっそく俺に手作りのお弁当を振舞ってくれた。

 しかもメニューは作るのが大変そうな唐揚げが中心で、それはもう本当に本当に絶品だった。お弁当なのでさすがにサクじゅわな食感とは行かなかったものの、佐藤が用意してくれたそれは出来立てとは違うお弁当としての魅力を十分に孕んでいた。


「マジで美味しかった……」


「日向くん、ずっと美味しそうに食べてくれてたので、わ、私もとっても嬉しかったですっ」


「俺の舌に佐藤の味付けが合いすぎるのがいけない」


「そ、そんな……えへへ」


 女性の魅力は素直に褒めるべし……というのを散々妹から言われてきたので意識してはいるのだが、そんなこと関係なしに佐藤への褒め言葉はすらすら出てくる。


 それは佐藤の人柄が、『素直に照れてくれる』という眩しすぎる美点が大きく影響しているし、それ以上に、佐藤の褒めポイントが後を経たないのもいけないと思う。



 お弁当のおかげで学食に行く必要もなくなり、今は適当な空き教室に二人きり。


 別に変な意味じゃなく、佐藤に何をしようと他人の目を気にする必要がない。思えば今までの電車やバスを含めても、こんな状況は初めてかもしれないな。


「……佐藤」


「は、はい?」


「その……嫌だったら素直に拒んで欲しいんだけど……」


「……日向くん?」


 ゆっくりと手を伸ばす。


 ああ、俺は……小指を繋ぐのですら精一杯な女子相手に、一体何をしようとしているのか。

 でも、佐藤が用意してくれたお弁当への感謝は、言葉だけじゃ全然足りない気がするのもまた事実。


 二人きりのこの状況が、最近の俺の我慢をゆるめてくる。


 そして俺は……ぽん、と彼女の頭に手を乗せた。


「ひぁ……ひ、日向くん、き、急にどうしたんですか……っ」


 混乱する佐藤と一瞬だけ目を合わせ、


「嫌だったらすぐやめる」


と言うと、彼女はすぐに視線を逸らして顔を赤く染めていく。


 それからむにゃむにゃと唇を動かして、恥ずかしそうに言葉を漏らした。


「ぃ……嫌、とか……そんなのっ…………そ、そんなはず……ないじゃないですか……っ」


「……なら、しばらくこうさせて欲しい」


「……っ」


 佐藤の髪を乱さないように、ゆっくりと、優しく手を動かしていく。

 すると彼女は気持ち良さそうに目を細め、「ぅぁ……」なんて甘みのある声を聴かせてくれた。


 前までの佐藤だったらとっくに逃げ出していそうなものだが、これも彼女の成長なのか、今は嫌がるそぶりも見せずに身を委ねてくれていた。

 それどころか顎を少し上に持ち上げて、俺が撫でやすいようにしてくれている。


「どう?」


「……気持ちいいです。とっても」


 顕になった白い喉。

 緊張からか背筋もぴんと伸びていて、制服のわずかなしわも胸元を起点に引き伸ばされている。


 ……こんなにスタイル良いなら、なおさら普段の猫背がもったいない。


 そう思ったが、さすがにそれは飲み込んでおく。

 同性の友達ならまだしも、男友達からスタイルについて言われるのは距離を作る原因になるだけだろうからな。






 そうしてしばらく頭を撫で続けていると、ついに佐藤の緊張も和らいできたようで……


「…………」


 今では完全に目を閉じて、気持ち良さそうに落ち着いた呼吸を繰り返していた。


「眠かったら寝てもいいよ。午後の授業の前には俺が起こすから」


「い、いえ……せっかく日向くんと二人きりなのに、寝るだなんて……っ」


 揚げ足を取るようでなんだが、眠くなってきたのは否定しないらしい。

 俺は撫でる手を止めて、佐藤が膝の上に置いていた右手の小指に自分のを絡ませた。


 昨日も今朝も行った小指繋ぎ。

 気づいた佐藤が目を開けるので、それを優しく覗き込む。


「これからもずっと一緒って約束なんだから、二人きりを『せっかく』だなんて思わなくていいよ」


「……っ、ぅぅ……」


「じゃあ寝ないと無理やり俺の膝の上で寝かせます」


「そっ──……それは、困りますっ」


「でしょ?」


「……もう、ずるいです」


 そう言って佐藤は小さく苦笑した。


 いくら本人が大丈夫だと言っても、二人分のお弁当作りは確実に一人分の時よりも負担が大きくなっている。

 それに加えて佐藤は最近自分磨きにも精を出していて、髪を梳き、前髪を留め、香りにも気を配り、今日なんかは俺との小指繋ぎを気にしてるのかハンドクリームまでつけてきた。


 突然これだけやることが増えて、疲れない方がおかしいのだ。


 俺との時間なんて言ってくれればいくらでも確保するんだから、眠たい時は遠慮なく寝て欲しい。


「じ、じゃあ……少しだけ眠らせてもらいますね。あ、その……手はこのままがいいです……」


「分かった。ずっと繋いでるから安心して。おやすみ」


「あ、ありがとうございますっ。……おやすみやさい、日向くんっ」


 微笑みながら挨拶をした佐藤は、そのまま目を閉じてメガネを外すと、軽く頭を振って髪を整え…………え、メガネを、外し…………?



「…………」


「……勘弁してくれ」



 呟いた言葉は形になる前に霧散した。

 というか、形にしてる余裕なんてなかった。


 だって、メガネを外したくらいでこんな……こんな一気に雰囲気が変わることってあるのかよって、俺の心臓が全力で叫んでいたから。


 別にメガネという概念自体を否定してるわけじゃない。


 佐藤のつけていた黒縁メガネが、ただ単純に彼女の魅力を押さえつける重石になっていたんだと俺が感じただけのこと。


 それが自分で選んだものなのか、誰かにプレゼントされたものなのかは分からないが、少なくとも俺はメガネ無しの佐藤の素顔を……可愛いと、思ってしまった。


 ああ、まずいな。

 小指、離したくなってきた。


「……日向くん」


「……ん?」


「あ、あの……す、少し、わがままを言ってもいいですか?」


「……いいよ」


 いや全然良くないのだが、断ることを俺の心が拒絶する。


「……か、肩……貸してもらっても、いいですか? あぁ、えっと、そ……その方が、良く眠れる気がするので……っ」


「……もちろん」


「あ、ありがとうございますっ」


 そうしてコトンと佐藤が俺の肩に頭を預けてきてからは、昨日の比じゃないくらいに居心地が悪かった。


 伝わってくる柔らかさ、信頼の証である体重のかけ方、そしてもちろん爽やかな香りまで。

 そういうのが全部、佐藤の魅力に感じられて仕方がない。


 なんなんだこの……天然で甘え上手な美少女は。


 いつか髪を切る予定だとも言っていたが、素顔を見てしまった今、これ以上容姿を磨くのは切実にやめてほしかった。


「……」


「……ふふっ」


 そんな意味を込めてぎゅっと小指に力を入れると、佐藤はただ嬉しそうに微笑んで、すりすりと身を寄せてくるのだった。

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