第8話 まだまだ進む佐藤②

 ちらちら。

 ちらちらっ。


「佐藤?」


「ぁ……み、見てません何もっ」


「いやいや……さっきからめっちゃ視線を感じるんだけど」


 佐藤が魂を取り戻してから少しして。

 さっき手を握ったのがよっぽどまずかったのか、時間が経った今も佐藤は俺の手をちらちらと目で覗いてきていた。


「ぅぅ……だ、だって……」


「ごめんごめん、もうしないから」


「そ、そうじゃなくてですね……むしろもっと……ぁぁ、いや、その……っ」


「とりあえず落ち着いて。ほら、深呼吸」


「は、はいっ」


 すー、はーっ、と胸に手を当て深呼吸。

 そんな様子も愛嬌があって微笑ましい。


「え、えっとですねっ」


「何でも付き合うから。したいこと、遠慮せずに言ってみて」


「え、遠慮せずに……っ」


「そう。遠慮せずに」


「わ、わわっ……!」


 一体何を想像したのか、佐藤は顔を赤くして目を逸らした。

 しかし、すぐにまた俺の方を見て……


「じ、じゃあ……その……ひ、日向くんの小指、触ってもいいですか?」


「小指? いいよ。一本と言わず五本でも」


「し、刺激が強いので、今日は一本でお願いしますっ」


 そう言うと佐藤は恐る恐る自分の手を差し出してきて、ゆっくりと小指以外を丸め込んだ。


 目を見れず、手を触るのもダメで……だけど指一本なら大丈夫。そんな佐藤のルールは正直俺にはよく分からなかったが、手伝うと言った以上、俺は佐藤のしたいことをしてあげるまでだ。


「触るよ?」


「は、は、はいっ」


 前回の失敗を活かして今回はちゃんと宣言する。


 そして、つん、とまずは佐藤の小指に自分の小指の腹を触れさせる。


「……っ!」


 それだけでビクッと佐藤の手が跳ねるので、しばらくはその状態をキープすることに。


「わ、あわわ……」


「大丈夫。佐藤が嫌がることは何もしないから」


「は、はいっ、でも全然……ずっと幸せなので大丈夫ですっ」


「幸せって。まあ、それなら良かったけどね」


 佐藤の手は……指は、柔らかかった。

 押せばぷにぷにとした弾力が返ってきて、なぞればさらさらとした滑らかさが俺の神経を上ってきて。


 ぷにぷに、さらさら。


 そんなことをしばらく続けていると、徐々に彼女の方からも俺の小指を押し返してくるようになる。


「……ふふっ」


 少しずつ慣れてきたのか、佐藤が小さく笑った。


「日向くんの小指……ふふっ」


「好きに触っていいよ」


「あ、ありがとうございますっ」


 俺からはやりすぎない。

 それだけは忘れないようにしつつ、とにかく佐藤に『俺に慣れてもらう』。

 それが『人に慣れる第一歩』になるだろうから。


「……く」


「ひ、日向くん?」


「い、いや、ごめん。何でもないよ」


 触れ合いはするが、俺からは動かない。

 それはつまり、佐藤が自由に俺の小指を触っている間、俺はそれに耐えるだけということで……


 ……なんだろう、この居心地の悪さは。


「な、なんだかこれ、指切りみたいですねっ」


 俺の小指に自分のを絡めた佐藤は、そんなことを言ってぎこちなく微笑んだ。

 それから少し恥ずかしそうに目を細め、結んだ小指を上下に動かして……


「ひ、日向くんと私は、これからもずっと一緒ですっ。な……なんちゃって。えへへ」


 狙っているのかいないのか。

 可愛いと形容せざるを得ない最高の照れ笑いを携えて、佐藤は俺にそんな愛らしいことを言ってきた。






「じゃあ、明日からは電車とバスで小指繋ごうか」


「は、はいっ!」


「えっと……嫌がる人もいるかもだから、なるべく人目につかないようにって感じでね」


「そ、そうですね……っ」


 肩を寄せ合う二人席。

 繋いだ小指をずっと周囲に晒すわけにもいかず、今は俺と佐藤のふとももの間でひっそりと指を繋いでいた。


 なんだか……なんだかとても恋人臭い。

 俺たちは全然そういう関係じゃないというのに。


 ただ、それでも全然嫌じゃない。

 これで佐藤の人見知りが少しでも改善される可能性があるのなら、周囲の誤解ある視線くらい甘んじて受け入れようじゃないか。

 俺は友達思いな男なのだ。


「…………日向、くんっ」


「あれ、今……」


「い、言えましたっ。……日向くん」


「おお……!」


 凄まじい成長スピード。

 とはいえ、俺の名前を呼ぶたびに小指がぎゅっと握られるが。

 それでも十分すぎる成長だろう。


「ひ、日向くんのおかげですっ……! ぁ、えっと……き、気を抜くとまだダメみたい、ですっ」


「ちょっとずつ慣れていけばいいよ。頑張ったね」


「え、えへへ……っ」


 頭を撫で……るのはさすがに我慢して、俺は親指で彼女の手の甲をそっと撫でた。


 くすぐったそうに笑う佐藤の姿に、俺は再び居心地が悪くなるのを感じる。


「あ、私、次の駅で降りますね……」


 と、不意に響いた車掌さんのアナウンスを聞いて、佐藤は少し寂しそうに呟いた。


「分かった。じゃあ、指解こうか」


「い、いぁ……その、それは……直前でっ」


「そう? りょーかい」


 頷いてみせると、小指の絡みがぐぐぐと深くなる。

 どうやらかなり気に入ってくれたらしい。


「あ、あの、日向くんっ」


「どうした?」


「き、今日のことも含めて、今までのこと……私に何か、お礼をさせてくださいっ」


「……いや、いいよそんなの。俺だってイヤイヤ佐藤と一緒にいたわけじゃないんだし」


「で、でも……私の気が済まないのでっ」


「……まあ、そういうなら」


 俺も楽しかったので本当にお礼は要らないのだが、あんまり拒んでも逆に失礼だと思うので俺は早々に折れた。

 しかし、お礼と言われても特に欲しいものは浮かばない……ことも、ないな。


「そ、それで私、考えてみたんですけど……お、お弁当とか……どうですか?」


「……びっくりした」


「……え、っと?」


「俺もちょうど、明日佐藤のお弁当が食べたいなって言おうと思ってた」


「ほ、ほんとですかっ……!」


「うん、本当。今日食べたのがめっちゃ美味しかったから」


「そ、そんなこと言ってもらったら……ふ……ふふっ、く、口が勝手に……っ」


「明日の分、作ってくれる?」


「は、はいっ、もちろんですっ! ふふっ」


 佐藤が顔に花を咲かせたと同時、きぃぃっと電車のブレーキ音が鳴り響いた。


 名残惜しそうにぎゅっと小指を結んだ後、佐藤の方から力を抜く。


「……日向くんっ」


「ん?」


「よ、良ければ私に、毎日作らせてもらえませんか? その……お弁当」


「え……いいの?」


「は、はいっ、任せてくださいっ!」


 そう言って笑う佐藤があまりにも嬉しそうだったので、『明日だけ』のつもりだった俺は一瞬でしぼんでいく。


「じゃあ……お願いしようかな。でも、負担になりそうだったら必ず言うこと。材料費も要相談」


「で、でもっ」


「絶対」


「……わ、わかりましたっ」


 ここは譲れないのでちょっと強めに押し切ってしまう。


 ぷしゅーっと音を立てて電車の扉が開き、佐藤が立ち上がる。


「で、では……また明日。……日向くんっ」


「また明日。……彩音」


「……っ!? も、もう、日向くんっ」


「ごめんごめん、つい」


「……もう。悪い人ですね、日向くんはっ」


 小さく文句を言いつつも、佐藤は上機嫌に手を振ってホームへと出て行った。



 ──そして、扉が閉まる直前。


「また明日、……くんっ」


 そんな佐藤の小さな声が、微かに俺の耳に届いたような気がした。

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