第6話 一歩前進する地味子
そんなわけでお昼休み。
場所はいつも通りの学食で、隣にはいつもと違って佐藤がいる。
なんとも不思議な感覚だが、誘ったのは俺だし、もちろん後悔なんて全くしていない。
「佐藤さんって料理とかするの?」
「え、っと……た、嗜む程度なら、しますっ」
喧騒の中で持ちかけた雑談に、佐藤はお弁当を食べる手を止めて俺の方に顔を向けた。
ちなみに湊は部活の用事で今日はいない。
「こ、このお弁当も、今朝作ったものでしてっ」
「え、すご」
「そ、そうですか……?」
「俺は料理とか全然できないから。でも、それを抜きにしてもめっちゃ美味しそう」
「ぁわわ、あ、ありがとうございますっ」
分かりやすく嬉しさを顔に滲ませる佐藤。
そのおかげで俺も褒めるのに抵抗がなくなってきた。
一言で言うなら、佐藤のお弁当はカラフルだった。
色の良いミニトマト、鮮やかな卵焼き、緑色の炒め物に、焦げ目のついた鳥ササミ。
色だけでなく、健康にも良さそうなお弁当だ。
そして何より普通に美味しそう。
「あ、あのっ……た、食べますかっ?」
「……いや、大丈夫。佐藤さんの分がなくなっちゃうし」
それに、いつも通り購買で焼きそばパンを買っただけの俺は、箸を持ってない。さすがに女子から箸を借りるのは気が引ける……というか俺には無理だ。
「わ、私なら大丈夫ですよ? そ、それにその、一応……予備の割り箸もありますし……っ」
「んー……じゃあ、一口だけ貰おうかな」
「は、はいっ、ぜひっ!」
なんだか食べて欲しそうな気配も感じたので、俺は佐藤からありがたく割り箸を受け取った。
うむむ……。
ここでミニトマトを食べるのはさすがに失礼だと思うので、俺は短く考えた末に黄色の卵焼きをいただくことにした。
箸で掴むと、しっとりとした弾力が指にまで伝わってくる。
俺も挑戦したことはあるので分かるが、一見シンプルに思える卵焼きでも綺麗に作ろうとすると意外と難しい。
少なくとも、一朝一夕で出来るものじゃない。
料理は嗜む程度だと言っていた佐藤だが、いくらか謙遜してそうな気がした……という素人の感想ですはい。
「いただきます」
「ど、どうぞっ」
緊張した様子の佐藤に見守られながら、俺は彼女が作った卵焼きを口に入れた。
感じていた通りの柔らかさとほんのり甘い香り。
それらがちょうど良い塩梅で感じられた頃、口の中に優しく広がる砂糖の甘さが卵の味をしっかりと支えてくれる。
単品としてはわずかに控えめな味付けではあるものの、舌の中でじんわりと残る甘さがご飯や他のおかずへの食欲をそそってくる。
「うまい」
「よ、良かったですっ……!」
素直な感想を言えば、佐藤は不安そうだった顔を一変させて安堵に頬を綻ばせた。
普段とは違うその表情に俺も少しだけ頬が緩む。
続けて佐藤も卵焼きに箸を伸ばし、もぐもぐ……。
ゆっくり咀嚼する彼女をなんとなく見つめてしまうのは、にこにこ笑顔で食べているからだろうか。
「……えへへ、お、おいしいですっ、とっても」
「そりゃあ良かった。……って、俺のセリフじゃないな」
「ふふっ」
口元を隠して笑う佐藤にちょっぴり親近感を抱きつつ、俺は自分のパンにかぶりついた。
「ひ、日向くんは、苦手な食べ物とかありますか?」
「んー、特にないかな」
「わ、私はセロリがちょっと苦手ですっ」
「あー、言われてみれば俺もそうかも。独特な味だよね」
結局、佐藤の勧めでお弁当のおかずを一通り味見させてもらった後、午後の授業が始まるまでの間の話題は『お互いのことをもっとよく知ろう』に落ち着いた。
なにせ俺たちは(本格的に)知り合ってまだ三日。
知らないことは無限にある。
「佐藤さんは兄妹とかいる?」
「は、はいっ……えっと、三つ上に姉がいます」
「三つ上ってことは今年で十九歳か。大学生?」
「そ、そうですね、一応……」
「一応?」
「え、えっと……大学生ではあるんですけど、仕事でほとんど通っていないので、ざ、在籍してるだけ……って、感じです」
「へぇー……仕事かぁ」
大学生で仕事というと、近いのはアルバイトとかか?
他には作家とかの創作業、あるいは芸能関係とか……まあ、詳しく掘り下げるのは野暮だろう。
「俺も二つ下に妹がいるんだ。今年で中学二年生になったとこ」
「ひ、日向くんの妹さん……っ! ぜ、絶対可愛いですそれっ」
「
「み、美羽ちゃんって言うんですねっ……可愛い名前……」
「佐藤さんの『彩音』も綺麗な名前だよね」
「……っっ!?」
美羽が可愛い名前なのはその通りだが、佐藤の彩音も負けず劣らずいい名前だ。
彩る音色と書いて彩音。
佐藤を『普遍的』と失礼ながら捉えると、佐藤彩音という名前は、そんな『普遍的な日々を彩る音』と、めちゃくちゃ綺麗な名前にも捉えられる。
両親の考えは分からないが、少しずつ垣間見えてきた佐藤の純粋な人柄の良さは、その名前に相応しいと俺は思う。
……というのが、前回の名前いじりで反省した俺の結論だった。
「ひ、日向くんだって、か、か、薫って……」
つーっと視線を逸らした佐藤が呟く。
「俺のはなんかほら……天日干しって感じでしょ」
「て、天日干し……?」
「思わなかった? 日向薫って字面」
「え、えっと……思いませんでしたよ? わ、私は、日向くんの名前、
「それはなんか……ありがとう」
「い、いえっ、ごめんなさい……わ、私、急に変なこと言っちゃってますよね。ぁ、でも、本当に本当に、かっこいいなっていうのは本心で……」
「あ、ありがとう。もうその辺で勘弁して」
「ご、ごめんなさいっ……!」
なんとなく感じていたことではあるが、やっぱり俺はどうも佐藤に好かれているような気がする。
それが恋愛的にかどうかは不明だが、少なくとも佐藤が俺を『安心感の拠り所』にしているのは確かだろう。
痴漢から助けて以降、電車やバスでは必ず隣に来るし、俺と話してる時はずっと楽しそうだし。
「あ、あの……日向くんっ」
「どうした?」
「その、もし、日向くんさえ良かったら、なんですけど……」
「ん?」
うつむきがちに目を伏せる佐藤。
もじもじ。
「そ、その……わ、私のこと、『佐藤』って、呼び捨てで呼んでもらえませんかっ?」
「え……?」
伏せ目から一転、潤んだ瞳で見上げてきた佐藤の姿に、不覚にも言葉が詰まる。
「わ、私、日向くんと、もっとその……仲良く、なりたいので……っ」
「あ、ああ、もちろんいいよ。何なら彩音って呼ぼうか? 俺も薫でいいし」
「そ、それはっ、まだ少し恥ずかしいですっ」
「そっか。じゃあ、いつか大丈夫そうになったら教えてくれるか……佐藤」
「は、はいっ、もちろんですぅ……っ」
元々心の中では佐藤呼びしていたので俺に抵抗はほぼないが、まだまだ会話が苦手な佐藤にいきなりの名前呼びはハードルが高いらしい。
かと言って、佐藤に「日向」なんて呼ばれた日には笑っちゃいそうだ。
「そ、それじゃあ、日向くんっ。こ、これからもたくさん、よろしくお願いしますっ」
「こちらこそ。よろしく、佐藤」
なぜか礼儀正しく挨拶してきた佐藤にそう返すと、彼女は「えへへ」と今日一番嬉しそうに笑った。
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