第5話 変わり続ける地味子

 翌日。


「お、おはようございますっ」


 再びの通学電車。

 鈴を転がすような心地よい声が、昨日と同じように俺に届いた。


 相変わらず人の多い電車内で一体どうやって俺を見つけているのか謎だったが、思えば俺は毎日同じ車両に乗っているので、佐藤はそれに気づいているんだろう。


 俺が佐藤に挨拶を返すと、彼女は嬉しそうに笑って俺の隣に落ち着いた。


「うん、やっぱりその髪似合ってる」


「そ、そうですか? ……へへっ」


 佐藤の前髪は昨日と変わらずヘアピンで留められていた。


 ……いや、正確には少し違う。


 今日使われている佐藤のヘアピンは、昨日と違って白い花がアクセントに添えられており、より一層彼女の地味さを打ち消すことに貢献していた。


 まだまだ「明るい女の子」という印象は受けないが、それでも初期の頃よりはずっと綺麗で可愛らしい。


 ガタン、と足元が揺れ、電車が動き出す。


「わわっ」


「おっと。大丈夫?」


「……っ!? は、はいっ、いえ、あの……だ、大丈夫ですっ! あ、ありがとうございますっ!」


 バランスを崩した佐藤が俺の肩に寄りかかってきたので背中を支えてやると、彼女は勢いよく飛び跳ねて俺から距離を取った。


 場所は壁際ではあるものの、少し危なっかしいので近くに寄せる。


「ひぁ……っ」


 ふわり。


「あれ? なんか……」


 ほんのりと、柑橘系の爽やかな香りが流れてくる。

 佐藤とこの距離まで近づいたのは痴漢から助けた時を含めて二度目だが……


 前はこんな香りしたっけ?


 すんすん……と、もう少しだけ嗅いでみる。


「あ、あの……っ?」


「……」


「な、なんかっ……なんだかとても、くすぐったいですっ」


 斜め上を向いて目をつむり、白い喉を露わにする佐藤。

 恥ずかしそうにぷるぷると震えている。


「ご、ごめん」


 ちょっと気持ち悪かっただろうか。

 そう思って謝ったのだが、佐藤は半目を開いて首を横に振った。


「い、いえっ、全然。……でも、あのっ。わ、私の匂い……気になりますか?」


「あぁ……なんというか、初めて嗅いだような気がして」


 伝えると、佐藤は一歩だけ退いた。


 恥ずかしいからなのか、本当に距離を取りたかったからなのか。


 詳細は分からなかったけど、視線を彷徨わせ、空いている手で自分の髪をいじり始めた佐藤の様子は、あんまり嫌そうには見えなかった。


「え、っと……こ、香水を、少しだけ、つけてみたんです……っ。も、もちろん、電車に乗るので、本当に少しだけですけどっ」


「ああ……だから最初は分かんなかったのか」


 僅かに触れ合うほど近づいて、初めて佐藤の変化に気づけたのは彼女なりの気遣いがあったかららしい。


 でも、確かに。


 自分の匂いを周囲に撒き散らすより、近くにいても大丈夫な相手にだけ感じられるくらいの香りの方が、一緒にいて心地良い。


「……良いと思う」


「……え?」


「この香り、清潔感があって俺は好きだよ」


「うぁ……っ」


 昨日佐藤が言っていた『容姿に気を遣いたい』というのに香りまで含まれるのかは分からない。


 分からないが、自分を高めようとしている佐藤に対しては、その変化は積極的に肯定してあげた方がいい……はずだ。


「ひ、日向くんが気に入ってくれたなら……よ、良かったですっ」


 俺より十センチ以上は背が低いところで恥ずかしそうに微笑んだ佐藤は、薄らと頬を赤く染めていた。


 目を彷徨わせ、手で髪を梳き……


 なんだかすごい嬉しそうで、褒めた側も気持ちが良くなってくる。



 というか、佐藤の髪ってこんなに……


 こんなにさらさらだったっけ?



「ぅぅ……っ」


 未だに自分の髪をいじり続ける佐藤の手櫛がするすると中に入っていく。

 液体みたいに柔らかく、抵抗なく。


 いや、分かってる。


 これも佐藤の努力の賜物だ。

 きっと、今朝は入念に櫛を入れてから家を出たんだろう。


 昨日は前髪。

 今日は香水と髪全体。


「あのさ、佐藤さん」


「は、はいっ」


「良かったら今日、俺と一緒にお昼食べない?」


「……っ!」


 容姿を磨くという目標を着々とクリアし、地味な自分を変えようとしている佐藤は、それでも尚学校では一人でいる。


 まだクラスメイト全員、新しい高校という環境で、自分の友達とすら馴染みきれていないから、佐藤を迎え入れる余裕のあるやつがいないから。


 でも、新しい人と馴染めなかったのは、俺も同じ。


 中学からの親友とつるんでるのを踏まえると、みんなよりずっと馴染めていない。


 けれどそれは、今となっては悪いことじゃなくて……


「い、いいん……ですか?」


 孤独な少女を一人迎え入れることくらい、簡単だってことだから。



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