第2話 忙しない地味子


「なあ、一つ聞いてもいいか?」


 学校の購買で買ってきた焼きそばパンの袋を広げながら、俺は隣で弁当を食べている親友に話しかけた。


「んー?」


 時刻は現在12時40分。

 喧騒に包まれ始めた学食の片隅で、俺は今朝の出来事を思い出す。


みなとなら、もし痴漢を見かけたらどうする?」


「んー痴漢かぁ。そうだなー、まずは被害者を助けるな」


「だよな」


 中学からの大親友にして、今では貴重な気心の知れたクラスメイトこと唐沢からさわみなとは、俺の突然の質問に対してもしっかり真面目に答えてくれる。


 本来ならこの話題自体、学校で持ち出すのは非常に憚られるところではあるのだが……


「それから、痴漢星人を駅員さんのところまで連れて行くなぁ」


「あー……」


 それでも俺が周囲の喧騒に紛れてこの話題を持ち出したのは、今朝バスで佐藤と再開してからずっと、頭の奥底に魚の小骨が刺さったような違和感を覚えていたからで……いや、それだと違和感どころの話ではなくなってしまうけど。


「そっか、そうだよな、駅員……」


 でも、湊の言葉でその違和感の正体を確信する。


 俺、佐藤に痴漢してた犯人余裕で取り逃しました。


「なぁ薫、オレからも一つ聞いていい?」


「ん?」


「薫を痴漢したのってJD? それともJK?」


「……いや、俺そもそも痴漢被害になんて遭ってないけど」


「じゃあ、薫が痴漢から助けたのってJD? それともJK?」


「……そもそも何でその二択なんだよ」


「んー、オレの守備範囲だから?」


「駅員さんコイツですッ!」


 俺の(割と本気の)ツッコミを受けつつも、湊は全く気にした様子を見せずにパクパクと卵焼きを二つほど口の中に放り込んだ。


 俺はジト目で……は気持ち悪いのですぐやめた。


 湊が食べてる間に俺も自分の焼きそばパンを頬張り、「普通に美味いな」なんて思いながら心の中でメーカーに感謝する。


「ほい、これ」


「ん? ……なんだこれ」


 咀嚼と感謝を繰り返し行なっていたところで、湊が俺の前にスマホを置いた。

 校則ゆるいなこの学校……というのはいいとして。


 そのスマホの画面には、一時間くらい前に公開されたばかりのニュース記事が映っている。


「痴漢男……逮捕? しかもこれって……」


「そ、薫が乗ってる線のやつ。薫に何があったのかは知らないけど、これって薫には朗報なんじゃないかなーって思って」


「み、湊、お前……っ!」


「悪いけど、男子高校生は守備範囲外だよ」


「俺もだよ!?」


 まあ、それはともかく……


 どうやら佐藤を襲った痴漢星人は、懲りずに二度目の犯行を行い無事に逮捕されたらしかった。



***



「あ、いたいた。佐藤さ〜んっ!」


「……っ!? ひ、日向くんっ!?」


 僅かに赤みを帯びてきた太陽が、ひっそりと雲から顔を覗かせ始めた放課後のバス停には、本格的に部活動がはじまり出したおかげか生徒はほとんどいなかった。


 そんな中で。


 佐藤さ〜ん、と呼んだ俺の声に、一人の女子が肩をビクッと跳ねさせた。

 ちょこちょこ前髪をいじりながら、短い列の先頭から飛び出してきてくれる。


「わ、えっと、け……今朝ぶりだね、日向くん」


「今朝ぶりだね佐藤さん。ごめん、せっかく並んでたのに出てこさせちゃって。バスの中で声かけた方がよかったかな」


「う、ううん、大丈夫。全然大丈夫」


 ぶるぶると頭を振った佐藤(敬称略)に、「実は今日ずっと同じ教室で授業受けてたんだけどね」なんて野暮なことはもちろん言わない。


「そう言ってくれると助かるよ。……あ、バス来たみたいだし、中で話そっか。隣座ってもいい?」


「とっ、となり……っ! う、うん、もちろん……隣でも同じとこでも、どこでも、大丈夫」


 同じところに座るのはさすがに……と思ったが、口には出さずに苦笑する。


 まず大前提として、佐藤は会話が苦手だ。


 そんな彼女に話しかけたのだから、多少の謎発言は聞かなかったことにしてあげるのが礼儀ってものだろう。俺だって緊張したら変なこと言うと思うし。


 停車したバスに最後尾として乗り込み、佐藤と並んで二人席に座る。


 今朝のこともあるので、一応俺が廊下側に座らせてもらう。


 段々と聞き慣れてきた発車音。

 ゆっくりとバスが動き出し、エンジンの音が響き渡る。


「それでさっきの続きなんだけどさ」


「は、はいっ」


「これ……一応佐藤さんにも見せておいた方がいいかなと思って」


「え、えっと……?」


 俺からスマホを受け取ると、佐藤はメガネ越しに表示された文章を読み始める。


 俺もお昼に知ったばかりの、痴漢男のニュース記事を。


「こ、これ……」


「俺は不甲斐なくも逃しちゃったけど、そのあと誰かが捕まえてくれたみたい。嫌なこと思い出させちゃったらごめんな」


「い、いえ、そんな……教えてくれてありがとうございますっ。少しだけ、安心しました」


 そう言ってスマホを返してくれた佐藤は、今朝と同じようにぎこちなく笑っていた。

 これ、多分人前で笑うのも苦手なんだろうな。

 そんなことを思いつつ前を向くと、すぐにつんつんと肩を小突かれる。


「……あ、あの」


「ん?」


「ま、まさか、これを伝えてくれるためだけに、私に話しかけてきてくれたんですか……?」


「ん、そうだけど」


 他にこれと言った接点もないし。

 俺の答えを聞き、レンズ越しの佐藤の目が大きく開く。


「じゃ、じゃあもしかして、今日ずっと、私のこと……今朝のこと、考えてくれていたんですか?」


「まあ、多少はな」


「ぁ……」


 佐藤の言う「今日ずっと」を俺の「多少」でどれだけ打ち消せているのかは分からなかったが、それでもまあ、二割も除けていたら十分だろう。


 なんせ痴漢の現場になんて今日初めて居合わせた。

 その上被害者は同級生で、クラスメイトと来たもんだ。半日くらい考えてしまっても仕方がないだろう。


「……ぃ。…………ばい、私」


「佐藤さん?」


 何か小さな声で呟いた佐藤の言葉は、バスのエンジン音に簡単にかき消された。それどころかちょうど良く風景が途切れたせいで、佐藤の表情までもが暖色の逆光に呑み込まれてしまう。


「ひ、日向くんっ」


「どうした?」


「わ、私っ……、わわ、どうしましょう」


 なんだかキリッとした様子で一瞬顔を向けてくれたかと思えば、次の瞬間には佐藤の視線は窓の外。


「ま、眩しっ」


「……ふっ」


 本当に……

 

 なんというか、忙しないな。

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