深淵の記憶

 記憶が曖昧あいまいなぐらい。幼い頃の記憶。しかし、それは鮮明に覚えていたはずだった。なのにどうして…

 人里離れた丘の上の家には恐ろしい魔女が住んでいる。ありがちな何の根拠も無いありふれた子供達の噂話の一つ。しかし、皮肉にもその中には真実をとらえたモノもあり…

 好奇心旺盛こうきしんおうせい海斗かいとの発案で二人でこの噂話を確かめに行った。悪い事だと思ってはいたが、俺も子供ながらの好奇心こうきしんを止められなかった。

 その家は古ぼけていた感じでいかにもという雰囲気だった。窓などはカーテンで仕切られていて中の様子は外から見る事は出来なかった。さて意気揚々いきようようとここまで来たがどうしようか。このまま帰るのは少し勿体もったいない気がする


 コンコン


 そう考えている間にも海斗かいとはドアをノックしていた。


「おい、海斗かいと。流石にそれは…」


 ガチャリ


「何の用だね。って子供?」


 止める前にドアが開かれてしまった。中から現れたのはイメージする物語の魔女としては若い十代から二十代の綺麗きれいな金髪の女性だった。

 突然の思いもよらぬ展開に俺は硬直してしまう。一方、主犯である海斗かいと太々ふてぶてしく、その女性をゆっくりと観察する様に見ながら


「貴方が魔女と言うのは本当なんですか?」


 と失礼極まりない質問をぶつけていた。が兄は子供の頃から頭は良いのだが常識だけは抜けているのである。女性も俺も啞然あぜんとしてしまった。


「はぁ、他人たにんとの関わりをできる限りったのが逆に悪手だったかなー。しかし、子供の妄想ってのも侮れないなー。

 とりあえず、私は君達が思っている様な面白い存在なんかじゃあ無い。わざわざここまで来て残念だろうけど帰りなさい」


「面白いかどうかは僕が判断する事だし、何か隠していそうな人の言葉は信用できない」


「くっ、最近の子供はこんなにも生意気なまいきで可愛気がないのか?

 う〜ん、このまま帰してもまた来そうだしなー。それで変な噂を流されたり、問題になる方が問題か。

 よし、分かった。特別に私の家の中を見せてやろうではないか。何の面白みのない普通の家だと言う事を見せてやろうじゃあないか」


 魔女かどうかはともかく、もうすでに普通ではない変人のたぐいの臭いがするのだが悪い人では無さそうだ。

 俺は招かれるまま海斗かいと共に家に入った。

 確かに中は怪しげな呪具や不気味な植物も無く、少しだけほこりっぽい点と本が多い点を除けば普通の生活環境であった。海斗かいとは難しそうな本が並んだ本棚を興味深げに眺めている。


「どうだ何の面白みも無いだろう。言っとくが私は君達をもてなすつもりは無いからな。お菓子や茶も出さないぞ。さぁ、つまらないだろう。明るいうちに帰りなさい」


 確かに家は普通だがもう何かこの人が面白い。悪態あくたいをついているつもりだが人の良さがにじみ出ている。正直びびっていた俺もすっかりこの女性を気に入り、逆にもう少しここにいたいと思ってしまうほどだった。


「俺は寛太かんた。本棚を眺めているのが兄の海斗かいと。お姉さんの゙名前は何て言うの?」


「おっ、これは丁寧にどうも。あまり名乗りたくは無いが、ここまできて謎の女では体裁ていさいが悪いな。そうだな〜う〜ん私の名は星野ほしの硝子しょうこ極一般ごくいっぱんの普通の人だ」


硝子しょうこお姉さん…」


 極一般ごくいっぱんの普通の人の自己紹介では無いと子供ながらにして思いはしたが、名前を聞けた事が何だがとても嬉しくって言葉が続かなかった。今思えばこれが初恋だったのだ。


「あれ…何だがなつかれている?子供というのは分からないな〜。早く出ていて欲しいのだけど」


 硝子しょうこお姉さんは困った様な嬉しそうな顔になった。しかし、海斗かいとがある本を本棚から取り出した時その表情は一変いっぺんした。

 それは黒色の表紙の分厚い本で外国語で書かれているのでタイトルは分からなかった。

 俺は少しだけ違和感を感じた。確かに本棚には難しそうな本が並んでいたがここまで不気味で目立つ本があったのだろうか。


「認識が阻害されている中でネクロノミコンの写本。よりによってそれを見つけて選び取るなんて…。そもそも感じ取れるなら逆に避けるのが普通なのに。いや、これは逆に選ばれたのか?」


 先程までとは違って空気が重い。明らかに硝子しょうこお姉さんの雰囲気が変わった。俺は怖くなって声が出なくなった。一方、海斗かいと


「この本って何が書いてあるんですか?」


 と空気を全く読まずにふてぶてしくその謎の本について質問をした。


「それはね。真っ当な人間が触れてはいけない物だよ」


「それを何で貴方が持っているのですか?やっぱり魔女なんですか?」


「はぁ~そうかもね。気が変わったというよりは事情が変わった。特別に君達に魔術を教えて上げよう」


「本当ですか?」 

硝子しょうこお姉さん魔女なの?」


 突然の言い出しを変にも感じたが、魔術という夢物語の言葉に子供である俺達はあらがえ無かった。


「そうさ。ほら」


 硝子しょうこお姉さんがそう言いながら指パッチンを鳴らすと先程までは見えなかった。怪しげな本や実験器具らしきものなどなが出現した。


「これは興味深いですね」「何これすごーい」


 この時の感動は本当に凄かった。現れた物はどれも不気味で気持ち悪かったが、夢にまで見た世界が本当にあるという喜びがまさった。

 俺は硝子しょうこお姉さんに対して好感を持ち始めていたのでこの人が憧れの存在だという事実はとても嬉しかった。


「本当は魔術なんて埒外らちがいは関わらない方が良いのだけど君達は護身のために最低限は身につけた方がいい。どうも引き付けてしまう体質みたいだしね。

 しかし、深淵しんえんのぞく時、深淵しんえんもまた見ているとは言うが逆に向こうから目をつけられる人がいるとはね」


「?」


「あぁ、そうか子供相手だと難しい言葉はダメだな。はぁ~これは骨が折れそうだ。ともかく、君達に知識を授けよう。

 だけど約束して欲しい。その知識やここでの出来事を絶対に公言してはいけない。それは周りを危険な世界に巻き込む行為だ。これを破るようだったら私は君達に罰を与えなければならない。守れるかい?」


「分かりました」 

「分かった」


 正直、あまり理解はしていなかったが俺は硝子しょうこお姉さんに魔術を教えて貰える事が嬉しく、深く考えずにそれを了承りょうしょうした。


「う〜ん、不安だな〜とはいえちゃんと理解しろと言う方が無理か。そのへんを含めて私がしっかりと対処とかをしていく必要があるか。

 はぁ~荷が重いよ〜。だけど見過ごすのは流石に気が引けるしな〜。こういう中途半端なところ私のダメなところだよな〜」


 その日から俺と海斗かいと硝子しょうこお姉さんの所に足繁あししげかよった。

 魔術や冒涜的な知識の習得は想像していた夢のような世界とは違って残酷で嫌悪するような世界であった。

 俺は早い段階で魔術を学ぶのが嫌になってしまったが、それでも可能な限りかようのをやめなかった。当時、幼い俺には自覚が無かったが俺は完全に硝子しょうこお姉さんにれていたのだ。

 硝子しょうこお姉さんに会う為だったら嫌いな事も我慢できた。そして何よりも海斗かいと硝子しょうこお姉さんが二人きりになるのが何よりも嫌だった。

 海斗かいとの優秀さは異端な分野でもしっかりと発揮された。比較される事は無かったが開いていく差。硝子しょうこお姉さんの熱意の違いは嫌でも分かってしまう。


 最初から俺は海斗かいとのおまけなのだと


 何故、この様な事を今まで忘れていたのか?

 分からない。しかし、思い出した事がもう一つある。


 硝子しょうこお姉さんは死んでしまった。


 その時の出来事についてはやっぱり何故なぜもやがかかったかの様に思い出せない。


 あんなに好きだったのに薄情だな俺。美影みかげの顔を見ながら思わず、苦笑してしまった。

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