【ロマンシス】夕立の君

ちゃん」

 また、あの幼い声が部屋に響く。


 自室の机に突っ伏し、うたた寝をしていた大学生の陽菜乃は、夕立の音と少女の声で目を覚ます。窓の外はどしゃぶりで、時折、雷も鳴っている。


 陽菜乃が声のした方を見れば、中学生くらいの少女が、ベッドの上にちょこんと座っていた。

 少女の名はコムギ。夕立が降り始めると、陽菜乃の部屋に必ず現れる幽霊だ。

 明るく元気な幽霊だからか、陽菜乃はコムギを怖いと思った事はない。しかし、一つだけ、困った事があった。


「陽菜乃ちゃんとわたしは友達なんだよ?」

 コムギはそう主張するのだが、陽菜乃は彼女の事を何も知らないのだ。


「わたし達はね、近所のかざみ公園で出会ったんだよ。きれいな子がいるな~お友達になりたいな~と思ってね? タンポポを集めて、陽菜乃ちゃんにプレゼントしたの。そしたら陽菜乃ちゃんがお礼にって、シロツメクサの王冠をわたしの頭に乗せてくれたんだ~」


「陽菜乃ちゃんとわたしの家族全員で、よくお出掛けもしたよね。遊園地に~動物園に~水族館! そういえばさ、遊園地でお母さん達とはぐれた時に、泣きそうだったわたしを励ましてくれたよね」


「修学旅行の時、眠る前に皆で怖い話大会をして……その最中は『わーきゃー』言って、楽しかったんだけどね。消灯時間になると、怖くて眠れなくなって……そんなわたしの手を、陽菜乃ちゃんが握ってくれたの。『大丈夫だよ』って声もかけてくれたおかげで、安心して眠れたんだ~」


「小学六年生の夏休みに、初めて二人っきりで遠出したんだ~。陽菜乃ちゃんとわたしの、おじいちゃんとおばあちゃんのお家が近いって分かって、二人だけで遊びに行ったの。川遊びも虫取りもお祭りも楽しくって……陽菜乃ちゃんと一緒に見た海も、打ち上げ花火もとってもキレイだった」


 陽菜乃はどれだけ懸命に記憶を辿っても、コムギが話す出来事を思い出せない。だから陽菜乃は、コムギの話に時々、曖昧な相槌を打つ事しかできないでいる。

 それでもコムギは楽しそうに話し続けて――いつも、夕立が止むと消えてしまう。


 窓から夕日が差し込む。その瞬間、陽菜乃はやっと、コムギの事を思い出す。

 中学一年の夏休み。夕立が降り始めたタイミングで、事故に遭い亡くなったコムギ友人の事を。




 ――親の仕事の都合で、陽菜乃は小学一年生の二学期に、他県へ転校する事となる。人見知りの彼女は、なかなか友人が出来ず、公園の隅でシロツメクサの王冠を作っていた。


「ねぇねぇ、わたしとお友達になって?」

 陽菜乃はそんな風に声をかけてきた少女……コムギを見上げた。

 コムギはタンポポの花束を陽菜乃に差し出し、照れ笑いを浮かべている。コムギのその表情が『かわいい』と思った陽菜乃は、嬉しそうにタンポポを受け取りながらコクンと頷いた。そして、コムギの頭にシロツメクサの王冠を乗せて、「よろしくね」と微笑んだ。


 その日から陽菜乃とコムギは家族ぐるみで仲良くなり、頻繁に遊びに行くようになる。

 遊園地で家族とはぐれた時に、陽菜乃は泣きそうなコムギを落ち着いて励ます事ができた。でもそれは以前、一人だけ迷子になってしまった時に、コムギが真っ先に見つけてくれたからだ。その時の恩返しをしたくて……何より今度は一人じゃなかったから……コムギに前向きな言葉をかける事ができた。


 修学旅行の事だってそうだ。その一年前の林間学校で、泊まった施設に幽霊が出ると言う噂を偶然、聞いてしまった陽菜乃は恐怖で眠れなかった。

 陽菜乃とコムギは隣同士で、布団に寝転がっている。陽菜乃がまだ起きている事に気がついたコムギは、スッと手を差し出す。

「わたしもね、ねむれないから……手、つないでくれないかな?」

 コムギは噂話を聞いていないから怖い訳ではなかったが、悪戯っぽい笑みを浮かべて、陽菜乃にそう問いかける。陽菜乃はコクンと頷くと、コムギの手を取り、その温かさに安心して眠りについた。


 電車の中から見た海の青さ。祭りの最中に見上げた美しい花火。透き通った川の水と足元を泳ぐ魚。樹に止まっている大きなカブトムシ。どんなモノでも、コムギと一緒に見た物は特別で、大切な記憶なのに――陽菜乃は夕立が降っている間は必ず、それら全てを忘れてしまう。コムギが、自分の目の前にいるのに……。


「どうしていつも……」

 そう呟いたところで、理由なんて陽菜乃には分からない……。




 また別の日に、夕立が降り始める。

「陽菜乃ちゃん」

 優しくて、温かな幼い声が、陽菜乃を呼ぶ。

 けれども陽菜乃は、自分の名前を呼んだ少女が誰なのか、分からない。

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