夏の幽かな君
双瀬桔梗
【ブロマンス】八月の君
夏の蒸し暑い夜の事。
仕事を終えた男性……
「嘘だろ……」
大勢の人で賑わう交差点で、いる筈のない人物を見かけた浅羽は立ち止まり、呆然とする。幼少期からの腐れ縁の人物——
浅羽は遠ざかる禮嘉の背中を追いかけようとしたが、きっと人違いだと思い直し、再び帰路に着く。
「おかえり~」
単身者向けマンションの一室に浅羽が帰宅すると、全身の輪郭がぼんやりとした禮嘉が部屋で寛いでいた。
ベッドに寝っ転がっていた禮嘉はヒラヒラと手を振り、のんびり上体を起こして、浅羽の前に立つ。
「にしても、随分と散らかってんな~。オレには散々、部屋の掃除しろとか言ってたクセに、自分は散らかし放題かよ」
立ったまま固まっている浅羽を気にせず禮嘉は、部屋の中を見渡してそう言った。山のようになっている洗濯物、出しっぱなしの本やDVD、分別されていない複数のゴミ袋、放置された酒類の空き缶。お世辞にも、綺麗とは言えない部屋で唯一、荒れていないのはベッドくらいだ。
禮嘉がそこを指摘しても、浅羽は何も言わず、ただ俯くだけだった。
「何しに来た……。
やっと口を開いた浅羽は泣きそうな顔でそう言った。
特に何かしに来た訳ではない禮嘉は困ったように頬をかく。そして暫し、思考を巡らせると、あえて真面目な表情を作った。
「浅羽、お前を迎えに来た……って言ったらどうする?」
禮嘉は手を差し出し、ニヤリと怪しげに笑う。それは彼なりのブラックジョークだった。質の悪い冗談に、浅羽は悲しそうな顔を止めて、怒り呆れて最後には笑ってくれる。禮嘉はそう思った。
だが浅羽は一瞬、目を見開いた後に、迷わず禮嘉の方へ手を伸ばす。またしても予想外の反応に今度は禮嘉が目を見開き、思わず一歩だけ後退り、微かに瞳を揺らした。
「ちょ……まさか、本気じゃないよな……?」
「禮嘉こそ、本気じゃないのかよ……」
「はぁ!? ジョーダンに決まってんだろ……!」
縋るような浅羽の目に、禮嘉は戸惑う。
完全に選択をミスったと思っても、今更、取り消せない。だから禮嘉は素直に謝ろうと思い、深く頭を下げた。
「ごめん。最低な冗談だったよな……」
「……俺を連れて行けよ。そしたら、許してやる」
「……だったら、別に許されなくてもいいや」
顔を上げた禮嘉は困ったように笑い、「ごめんな」ともう一度だけ謝り、浅羽に背を向けようとした。浅羽は「待ってくれ!」と叫び、禮嘉の手を掴もうとするが――すり抜けてしまう。
「どうしても……駄目なのか……?」
「ダメに決まってんだろ。浅羽はさ、生きろよ。折角、生きてんだからさ」
今にも泣き出しそうな浅羽の顔を覗き込み、禮嘉は真剣な表情で言う。
浅羽は綺麗な瞳を大きく揺らし、触れられない禮嘉の手を必死に掴もうとする。その姿を見て、禮嘉は自分の認識の甘さを反省した。
禮嘉はただ一度、浅羽に会えればそれでよかった。浅羽はもう前を向いている。勝手にそう決めつけて、会いに来た。顔を合わせ、他愛ない会話をして……下らない理由でまた喧嘩が出来ると思って……。
このまま浅羽を放置してあの世に戻れば、自力で
「あーもー分かった! お前をあっちに連れては行けないけど、その代わり毎年、この時期になったら浅羽ん
禮嘉はそう言いながら、自分の小指を浅羽に差し出し、彼の目を真っすぐ見た。
浅羽は最初、ポカンしていたが、禮嘉の真剣な言動と表情に、思わず小さく吹き出す。
「まるで、八月の彦星と織姫みたいだな……。俺達には似合わねぇだろ」
「ははっ……まぁな。でもオレらはさ、一緒にい過ぎたら、ケンカの回数も増えちまうだろ? だから、年一くらいで丁度いーんだよ」
「フンッ……お前が余計な事を言わなければいいだけだろ」
「はぁ!? だったらお前も、イチイチ嫌味ったらしいコト言うのやめろよ!」
ムスッとする禮嘉の顔を見て、浅羽は「フッ……」と笑い、同時に彼の目から涙がこぼれた。それを目にした禮嘉は、「ごめん……勝手に死んで」と弱々しく呟く。
「ほんと、勝手に死にやがって……。子ども助けて死ぬとか、漫画の主人公のつもりかよ……」
「あの時はただ、子どもを助けないとって必死で……んな事、考えてなかった……」
「だろうな。お前はそういう奴だよ、禮嘉」
本気で落ち込む禮嘉を見つめ、浅羽は涙を拭いながら、「
複雑そうな表情を浮かべる禮嘉が差し出したままの指に、浅羽はそっと自分の小指を重ね、「約束、守れよ」と言う。突然の事に、面食らう禮嘉だったが、すぐに真剣な顔で力強く頷く。
その後、二人は夜が明けるまで話し続けた。他愛ない会話の最中に、口喧嘩もして……けれどもすぐに、二人は笑い合う。
そんな時間はあっという間に過ぎ、窓の外が明るくなってきた頃、禮嘉は扉の前に立った。
「そんじゃあ、またな、織姫」
「は? ちょっと待て。お前が織姫だろ」
「はぁ!? オレは姫ってガラじゃないしヤだよ!」
「俺も嫌だが?」
「あーもーじゃあ、オレが織姫でいいよ!」
「フッ……似合わねぇな」
「お前なぁ!」
あまりにも下らない言い合いに、二人は同時に吹き出し、涙が出る程、笑った。それから涙を拭うと、顔を見合わせる。
「んじゃ、今度こそ、またな」
「あぁ……約束、忘れんなよ」
「分かってるよ」
禮嘉はニコッと微笑むと、どこか名残惜しそうに浅羽に背を向け、扉をすり抜けるように消えた。その扉を暫く見つめていた浅羽はフラフラとベッドまで向かい、布団に沈み込む。
重たい瞼を閉じる直前、改めて自分の部屋の汚さを目のあたりにした浅羽は、『起きたら掃除をしよう』と、心に決めてから眠りについた。
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