5日目
「入るぞ」
「どうぞ~」
襖越しではあるが、普段と変わらない声音。襖を横にずらして中に入る。
一時的に滞在であることを感じさせる、生活感のない部屋。
その畳張りの客室にあいつはいた。布団から上半身を起こし、額には冷却シートを貼っている。近くの台には花瓶に入れられたひまわりと水の入ったペットボトルが置いてある。
前に進んで布団の横で座る。
「風邪とは聞いてるが、辛いなら横になっててもいいだぞ。なんなら帰るしさ」
「大丈夫だよ~。むしろ安静にしてて暇なくらい」
強がりなのかは分からないが本人がそう言っているのだ。信じてやることにする。今日もスケッチしに行くと言い出さない限りは。
「……ごめんね。私のせいで行けなくて」
「俺は元からお前の行動に引っ付いてただけだからな。なんとも思ってないよ」
「そっか。でも、ごめんね」
「よせよ。謝られても困る」
「うん……」
早々に気まずい空気が流れてしまった。見舞い品だけ渡して顔を見せないほうがよかっただろうか。平常に振る舞っていても、やっぱり無理をしていて強がっているだけなのかもしれない。なら、今からでも遅くはない。
「元気そうな顔も見れたし、じゃあ」
「待って!」
立ち上がろうとしたところを服の袖を掴まれる。弱弱しく引っ張られているだけで、振り払うことは簡単だろう。でも、万力で引っ張られているようにその場に固定されてしまった。
「もうちょっとだけ、ね?」
言われるがままに、座り直す。
「……少しだけだぞ」
「うん、ありがとう」
座り直したものの、気まずい空気は変わらない。打開しようと何かを言いかけて半開きになった口が乾いていく。
「あと二日しかないんだね」
「……そうだな。午後に家を離れる予定だから、あと一日と半日くらいしかないな」
「私も午後に迎えが来る予定。あっという間だったなぁ」
「楽しかったか?」
「あはは、そういうのって最終日に聞くんじゃないの?」
「それもそうだな」
互いに笑う。無理をさせていないか不安だったが、大丈夫そうだ。
「楽しかったよ。偶然だったけどきぃくんとも出会えたしね」
「偶然だったよなぁ。なんとなくで海岸線を歩いてたらばったり会うんだもんな」
「ほんとう出来過ぎてるよ。まさか、きぃくん私のこと待ってたんじゃないのぉ?」
「そんなわけないだろ。そもそも、戻ってきてたことを知らなかったんだから。連絡の一つでもしてくれてれば、会いにいったのに」
「もう引っ越してると思ったんだよねぇ。だって、離れるならすぐに離れてるかなって」
実際、退去地区に決まるとすぐに去った人もいた。最後まで残っていても何かがあるわけでもない。なら、早く移り住んで慣れるほうがいいのは確かだろう。
「まあ、親がギリギリ残りたがってたからな。俺はただそれに従ってただけ。そっちこそなんで戻ってきたんだ?」
「う~ん、やっぱりこの土地が好きだからかな。きぃくんは好きじゃないの?」
腕を組んで考える。嫌い、というわけではない。だが、好きかと問われるとまた違う。
「……普通かな」
「あはは、答えになってないよそれ」
「だって、そうだじゃないか? 昔からここは娯楽もなんにもなくて、暇つぶしだって困るくらいでさ。することもないからお前と遊んでばっかりだった」
「あ、ひど~い。私なんか暇つぶし相手としか思ってなかったんだ」
「あ、いや、そう意味じゃなくてだな」
きっと分かって言っているんだろう風邪をひいているわりには苦しそうでなく、どころか悪戯っぽく笑っている。
「ねぇ、きぃくん?」
「どうした?」
「私の事さ、お前とかじゃなくて昔みたいに呼んで欲しいな」
図星を突かれて言葉に詰まってしまう。酸欠の金魚のように口を何度かパクパクする。
「そ、そうだな。えーっと、昔なんて呼んでたんだっけか」
「とぼけないでよ。山頂で思い出話したときに、昔の事あれだけ覚えてて、私の呼び方だけ忘れてるわけないでしょ?」
きゅぅと口を横に引き結ぶ。忘れているわけがない。しっかりと覚えているとも。でも、意識的に言わないようにしていた。
「……忘れた」
「…………そっか。そういうことにしておくね」
それ以上は詮索してこなかった。きっと断られることが分かっていて、元からダメ元だったのだろう。
互いに押し黙ってしまう。これ以上居座って、詮索されるのを避けるために帰ることした。
「じゃあ、そろそろ帰るから。ちゃんと治せよ」
この空気にいたたまれなくなって帰ることにした。
「うん。今日で治すから。明日は行こうね」
「そうか。じゃあ治ってるか見に明日も来るよ」
「待ってるね。……また明日」
「おう、また明日」
立ち上がると、振り返らずにそそくさと部屋から出ていく。冷たいようだが、仕方ないことなのだ。
こうして会えるのは今の内だけ。二日後には別れて、別々の人生を歩むことになる。なら、これ以上は深く関わるべきでないと線を引いていた。
そんなこと、向こうもわかっているはずなのに。
家に帰ってからは暇だった。
予定がなければ外に出ようと思わない季節。良い刺激になっていたんだなと自覚する。
……スケッチか。
机の中から適当な教科のノート引っ張り出して空白のぺージを開く。そして、窓の風景をスケッチしてみることにする。
数十分程度してから、全体像を見直す。とてもではないが人に見せられる出来ではなかった。ページを千切ると丸めてゴミ箱に投げ捨てる。
つまらない。
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