4日目

 外に出た瞬間に気付いた。

 ああ、これは雨が降るな、と。

 なんとなく勘で分かるのだ。空は夏らしく、雲一つなく晴れ渡っている。だが、運ばれてくる空気はまとわりつくような湿度を持ち、うっすらと雨水のにおいを含んでいる。

 台風が接近しているわけではないが、この時期に降ることはままある。さらに突発的ながらも長く強く降る。無理に出かけるような天気ではなかった。――風景を描こうとするのなら特に。

 踵を返して家の中に戻る。

 町長さんの家に泊まっていると聞いてはいた。連絡をするために家の固定電話機の受話器を持ち上げるも、思い直して置いた。

 こういうことは何度もあった。雨が降るのを向こうも察知するので、遊びの約束は翌日に持ち越される。なので、連絡する必要がないのだ。結局は暇なのでどちらかが家に遊びに行くのだが。

 あいつも昨日は山登りでひいひい言っていたので丁度いい休みだ。多少なりとも筋肉痛になっているはず。

 自分の部屋に戻る。今日は漫画でも読んで過ごすことにしよう。……実はちょっと自分も足が重い。


 予測した通り、間もなく雨が降り始めた。かなりの大降りで、屋根や横殴りの風で窓を叩く音が騒々しい。

 喉が渇いて台所に行こうとすると、廊下で母親が電話をしていた。いいところに来たと目配せされる。受話器の口元を手で隠してから聞いてきた。

「あんた昔近所に住んでた女の子覚えてる?」

 うん、と答える。覚えているも何も三日前に再会してからは毎日会っていたし、今日も会う予定ではあったのだ。

「その子ね、今ここに戻ってきてるらしいんだけど、今日朝早く家から出て戻ってきてないらしいの。心当たりがないかって、町長さんから聞くかれたんだけど……」




 先が見通せないほどの土砂降りの中を駆ける。向かい風もあって、差している傘が意味がないほどに濡れていくが、気にならない。水たまりも避けずに最短を走り抜ける。靴もどんどん水を吸っていく。靴下まで濡れて不快だ。

 話を聞くや否や、すぐに家を飛び出した。目的地は今日の待ち合わせ場所。実はもう帰っていて、すれ違いになることを望んでいた。

 待ち合わせ場所だったところに着くが誰もいない。当然だ。雨が降っているのにこんな吹き曝しに立っているはずがない。この辺りで雨宿りできそうなところは――バスの停留所があったはずだ。

 木の支柱に木の板が乗っているだけのような簡素なバス停の停留所に、しとどに濡れてあいつは立っていた。

 もはや屋根は役割を放棄したように雨漏れしており、足元に水たまりを作っている。イスも座るのも億劫になるほど濡れている。

「きぃくん⁉」

 言葉を出そうとするが、すぐには息が絶え絶えで発することができない。大きく肩で呼吸して息を整えることで、ようやく声が出せた。

「な、なにしてんだよ。雨降るって、わからなかったのか」

「あはは、ごめんね。昔はわかったはずなのにね」

「……まあ、いいから早く帰ろうぜ」

「うん、迎えに来てくれてありがとう」

 傘の中に入れようとして気付く。顔色は真っ蒼になっており、体が小刻みに震えている。長時間雨に晒されていたせいで体調が悪そうだ。

「傘持てるか? おぶってやるから、帰るぞ」

「昨日は言ってもしてくれなかったのに?」

「冗談言ってる場合か。ほら」

 返しづらいように、少しつっけんどんに傘を差し出す。

「でも、私ずぶ濡れだよ。おぶったらきぃくんまで濡れちゃう」

「そんなこと言ってる場合か。見るからに体調悪いだろーが」

 おずおずと傘を受け取ったのを確認してから、背を向けてしゃがむ。間もなく遠慮がちに体重がかけられる。足をしっかりと掴んで持ち上げて、腰を上げる。比較的濡れていなかった背中にじんわりと水がしみ込んでくる。

「町長の家でいいんだよな?」

「うん、お願い」

 再び雨中に出る。来る時と違うのは、おぶっていては走ることができないということだ。だが、来る時よりも気持ちはさらに逸っている。

「大きくなったよねきぃくんも」

「そりゃ、通れてた小窓で引っかかるくらいにはな」

「ふふっ、あの時は私も思ったよ。見間違いなんかじゃなくて、大きくなったんだなぁ、って。こうしておぶってもらってると、今も」

 持ち上げた足は今でも震えている。見た目よりも細くて、簡単に折れてしまいそうだ。

 重さも思ったより――というより昔よりも軽くなっていると錯覚するほどだ。遊んでいる途中に膝をすりむいて泣きじゃくっているのをおんぶして帰った時よりも軽く感じる。

「私なんか軽々と持ち上げられちゃってさぁ。ほんとに同じ時間を過ごしたのかってくらい。……ほんとに大きくなったんだねぇ」

「お前だって大きくなってるだろ」

「あ、なにそれやらし~」

「バ、バカ! そんな意味じゃねぇよ!」

 じゃれ合いながら雨の中を往く。きっと心配をこれ以上かけさせないために無理をしているのだろう。

 心配させちゃったね、と言った気がしたが、雨音で聞き取れなかったことにして何も返さなかった。

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