3日目

 やっぱり連れ添うなんて言わなきゃよかった。

 三日目にして後悔は最高潮に達していた。過去に戻れるならあの時の発言を全力で止めることだろう。そうすれば、こうして真夏に山登りをすることになど絶対になかったはずだ。もしくは昨日の屋上の時、山頂ならもっと高いはずだ、などと言わなければよかった。口は災いの元とはよく言ったものだ。

 学校の行事で小学生でも登る山だけあって、傾斜は緩やかだが、ほとんど獣道に近くなっている。記憶とツタ覆われた転落防止の柵を頼りに登山道を進む。

 人の手の入らなくなって生い茂った自然からは、虫と野鳥の大合唱――を通り越して騒音が響いている。

 水筒の入ったリュックサックが背中に密着して熱が籠って滝のように汗が吹きでているのが嫌でもわかる。

「もう疲れた~。きぃくん、おぶって~!」

 自然の大合唱に混じって、後ろからは事の発起人の泣き言が聞こえてくる。

「きついのは一緒なんだ。自分で歩いてくれ」

「きぃくんの鬼ぃ、悪魔ぁ。男の子なんだから体力あるんでしょ~。レディファーストしないとモテないんだぞぉ」

 ファーストなら前を行っているので言われる筋合いがないぞ、とわざわざ反論する気力も湧かない。

 それでも何度も休憩を挟みながら、少しずつではあるが登っていく。

 六合目から続きぱなっしだった坂を登りきり、七合目に到着すると視界が一気に広がる。なんとか第一の目的地に辿り着くことができた。

 ここは広い台地になっており、風通しがいいのもあって休憩には適している。

「や、やっと着いた~!」

 息を切らながらも続いて登ってきた。一緒に遊びまわっていた時はもっと体力があったはずなので、引っ越してからの普段の暮らしが伺える。

「小学低学年でも登れる山だぞ? 疲れすぎじゃないか?」

「そ、それは春の話だからでしょ~。今は夏なことも考慮してよ~」

「はいはい、そうだな。とりあえずあっちの木陰で休もうぜ」

 ちょうど木陰になっているベンチを見つける。そこで昼食と休憩。終えると台地の奥に移動する。

 日に焼けて文字の掠れた看板が立っている。正しく読めれば「ようこそ ひまわりの園へ」と読めるはずだ。

 台地からは少し低い位置に名前の通りに無数のひまわりが群生していて、黄色のカーペットを敷いている。

「よーし、描くぞ~!」

 二もなく画材を取り出して、スケッチに取り掛かる。登るよりも描く方がよっぽど楽しいらしい。

 横に立ってひまわり畑を一望する。時折、風で揺らぐのが歓迎されているような気がした。


「できた! 完成!」

「終わったか。じゃあ次は頂上だな」

 この山での目標はひまわり畑と頂上からの風景。また登山が始まるが、描いている時間で十分な休憩にもなっていたはずだ。

「その前にさ、せっかくだから下に降りてひまわりもっと近くで見てみない?」

「? まあいいが」

 階段で台地から下りて、建っているアーチから周遊ルートに入る。道のところどころがひび割れているのが、最後の舗装から年月が経っているのを感じさせる。

 大人よりも背が高く伸びたひまわりに左右を囲まれながら並んで歩く。

「ここもどうなっちゃうんだろうね。全部枯れちゃうのかなぁ」

「うーん、そもそもここを誰かが管理してるなんて聞いたこともなかったからなぁ。案外、何にも変わらないんじゃないか?」

「あ、確かに。じゃあずっとこのまま?」

「そういうことになるのかもな」

「そっか。それはよかった~」

「なにがいいんだ?」

「またここに戻ってこれることがあったら、このひまわり畑残ってるかもしれないんでしょ?」

「……そうだな」

 相槌は打ったがほとんど反射的なものだ。

 この土地は放棄されて、もう人が立ち入ることはなくなる。一度捨てた土地に戻って来ることなどないと断言できるのだから。物好きを除けば、か?

 入り口のアーチが見えてきて、周遊ルートも終わりに近づいてきた。

「あ、そうだ」

 くるりと周りを見渡して、手ごろなものに目星をつける。大きすぎては邪魔になるだろうし、小さいと贈り物としては微妙だ。適度な大きさのひまわりを探して茎をへし折る。

「あ~、いけないんだ。ひまわり折って」

 はやし立てるように軽い批難をされるが気にしない。

「もう見に来る人もいないんだいいだろ。それよりも、やるよ」

 手に持ったひまわりを差し出す。

「どうしたの急に? あ、さっきモテないって言われてたの気にしてたりして」

「そんなんじゃねーよ。せっかくここに来たんだし、最後くらい記念品のひとつとしてもらってもいいだろ」

「それもそうだね。ありがとう。帰ったら押し花にしようかな」

 キョロキョロと周りを見渡し始めた。そして、ひまわりに近づく。さっき自分もしたように茎を折って、手渡してくる。

「はい、私からも」

「同じもの渡しあったら意味がないんじゃないか?」

「分かってないなぁ。こういうのは気持ちだよ。受け取って欲しいな」

 そういうことなら、と悪い気はしないので受け取る。

「きぃくんはさ、ひまわりの花言葉わかってて渡してくれたの?」

「花言葉?」

 少し頭を捻るがまったく思い当たらない。図鑑なんて昆虫図鑑程度しか見たことがなかった。。

「いや、知らないな。なんなんだ?」

「……憧れだよ」

「憧れ、か。偶然だけどぴったりだな。お前がここから引っ越したの羨ましく思ってたしな」

 いつからだろうか。いつからか、この町から出たいと思うようになっていた。

「私もきぃくんが羨ましかったんだよ? ずーっとここにいられるなんてさ」

「なんだよそれ」

 去ることになった者と残っていた者が互いが互いを羨ましがるとは変な話だ。

 手に持ったひまわりの茎を指を擦り合わせるようにしてくるりと回す。

 いつか来るのだろうか。この寂れた土地が羨ましくなる日が。




「う~ん、絶景かな」

 頂上に辿り着いた。七合目の台地よりも高い場所にあって、より強い風が吹いていた。風を一身に受けるかのように大きく伸びをしている。

「急に顔色よくなったな。さっきまで登っている時に何度もおぶってとか言ってたのにな。疲れてたのは嘘だったのか?」

「あ、蒸し返さないでよ。本当に下りでおぶってもらうよ?」

「何度せがまれてもやらないからな」

 ちぇ、と不満そうに言う。楽がしたいのかしたくないのか。

 頂上は円形になっており、中心にはぽつりと小さな祠が建っている。なんのために建てられているのかは知らない。それでも、せっかくなので参っておこうということになった。

 祠の前でしゃがみ、手を合わせる。

「私たちが最後の参拝者なのかなぁ」

「そうだろうな。この山に登ろうとする物好きはもういないだろうし」

「それちょっと馬鹿にしてない?」

「してないしてない」

 その後は町の方向を見てスケッチの開始。学校の屋上よりも、麓の町の遠くが一望できる。

「昨日の学校の屋上と比べてどうだ?」

「う~ん。どっちも絶景で甲乙つけがたいかな」

「そうか? こっちのほうが高い分、綺麗な景色な気がするけどな」

「そうなんだけどね。小さく見え過ぎちゃうのが、少し残念かな」

 何やらこだわりがあるらしい。

「実際に小さいんだけどな。過疎が進んで、人もいなくなったから退去地区に選ばれたんだし」

「そうなんだけど、そうじゃないの」

 首を振って強く否定される。

「もっとこう、手の届く地元! って感じが薄れちゃってるんだよね。……もっと大きいと思ってた」

「広く見えたとしても、中身はスカスカだけどな」

「ふふっ、それはそうだね。昔から遊び場には困ってたもんね」

「そうだな。お前と二人で遊んで遊んで、遊び尽くした」

「何にもなかったけど、楽しかったね」

 整備された公園もないし、映画館もない。それなのに、二人で色々なところで遊んでいた情景が想起される。

「終わったら、昔みたいに虫取りでもするか?」

「私が虫嫌いなの知ってて言ってるな~?」

 描き終えるまで思い出話に花を咲かせる。なんにもない土地だったけど、思い出だけはあるんだと再確認する。




「きぃくん、下りも辛い~。おぶってよ~」

「なんと言われようとおぶらないからな」

「鬼ぃ。悪魔ぁ……」

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