2日目

 何を言っているんだろうか、とすぐに我に返る。そして、しどろもどろになりながらも理由を取り繕った。色々変わってる場所があるから案内があったほうがいい、一人だと熱中症なんかになった時に危険だから、とか。

 こっちの気持ちも知ってか知らずか、きょとんとしていた顔はすぐに微笑みに変わった。

「うん、よろしくね――」




 その後は今からはもう遅いので、明日からと別れた。夏の日中は長いといっても、もう少しすれば日が沈む時間だった。

 そして翌日の朝。もはや白線が残っている珍しいアスファルトを歩いて、待ち合わせ場所に向かっていた。朝方だというのにすでに気温は昼同然に高まっている。

 あんなことを口にしなかったら今は冷房の効いた部屋でゆったりとしていただろう。引っ越しの荷造りは終わっている。特に予定もなく、退去猶予の最終日まで過ごすだけ――のはずだった。

 約束なんて取り付けなければ、外を歩いて汗だくになることもなかったのに。あるいは断られていれば、とあれこれ考えてしまう。

 いや違う。理由は自分でもわかっていないが、付き添いたいというのは本心ではあった。考えてしまうのは自分でも理解できていない心の底だった。

 今日の待ち合わせ場所は通っていた学校。

 学童の減少に伴い、自分が通い始める数年前には小中校が統合された。今年の夏休み前――もとい廃校前まで通っていた木造の校舎だ。

 あいつにとっては二年半年前まで通っていた学校だ。特に変わった部分もない校舎を見てどういう感想を持つのだろう。

 学校前の最後の坂を上る。大した傾斜の坂ではないはずなのだが、温まった体の熱と日差しのせいで大粒の汗が頬を伝って顎に集まる。疲れるのだから丘の下に建ててくれればよかったのに、とは何度も思ったことか。

 上りきると木造の校舎ともう閉める必要もないのだろうか、開けてある校門が見えた。

 その校門の脇にあいつはいた。日陰になっている部分にちょこんと座っている。

 女性を待たせていたのは男として恥だろうか? 今更そんなことを気にする仲でもないことを思い出した。昔はさんざ遊んで待って待たされてをしたのだ。それは数年ぶりでも変わらないだろう。それに、待ち合わせ時間よりも早く来てはいるのだ。向こうがさらに早く来ていただけで、責められる謂れはない。

 向こうもこちらに気付いて、駆け寄って来る。

「きいくんどうしよ~! 玄関開いてない~!」

 ……計画性がないのも昔から変わっていなかった。


「閉まり切ってるな」

「校舎の中の風景も描きたかったのに~。なんとかして~」

 どの出入口が閉められているのを自分でも確認し終わった後に泣きつかれる。

 当たり前のことだった。廃校になるから、この地域から人がいなくなるからと解放したままなわけはない。戸締りはしっかりとされていた。

「窓でも割って入るか?」

 冗談半分の提案だったが、全力で首をブンブンと横に振られる。

「それはダメ! 犯罪になっちゃう!」

 どっちにしても不法侵入だとは思うんだけどな。喉まで出かかっていたツッコミを飲み込む。

「と、なるとあそこからだな。こっちに付いて来てくれ」

「入れるの⁉」

「多分だけどな」

 校舎から離れて、体育館の方に向かう。

 体育館の外と繋がっている格子のような扉に手をかけて開けようとしてみるが、閉まっていた。

「……きぃくんの考えってこれで終わり?」

「あー違う違う。一応、確かめただけ。本命はこっち」

 脛の高さに備えられている小窓を指さす。

「記憶が正しければここの鍵だけ壊れてるんだよ。ほら」

「お~」

 しゃがみこんで縁を指をかけて横に滑らすと何の抵抗もなく動いた。何の役にも立たない知識だと思っていたが活きる日がくるとは思ってもみなかった。

「じゃあ先に入るぞ」

 体勢を低くして、腕を先に入れて次は頭。そして肩――で引っかかった。身をよじらせてもまったく入りそうにない。

「きぃくんも大きくなったんだねぇ。うんうん」

 なぜか感心される。外から眺めればきっと絵面は滑稽そのものだろう。恥ずかしさもあって、諦めて体を引き抜く。

「小学生の頃はできてたんだけどな」

「あはは、意味もなくそんなこともしたねぇ。私なら今でも入れるだろうから、きぃくんは玄関で待っててね。中から鍵開けるよ。あ、これ持ってて」

 画材の入った手提げカバンを渡されると、体勢を低くして先ほどの自分と同じように手から入る。同じ年月成長しているはずなのに、昔と変わらずに体は華奢だ。顔、自分は引かっかった肩、腰、足と蛇のようにするりと入っていった。

 見惚れている場合ではないと、急いで玄関に向かう。


 玄関で着くと間もなくカチャリカチャリと二か所の鍵が解錠され、玄関が開かれる。

「卒業したのに入るのは変感じだな」

「卒業? まだ中学生でしょ?」

「廃校になるからな。記念に、ってことでな」

 最終日に行われた卒業式。学年を問わず、全学年に卒業証書が送られた。半年程度早まったが、九年間通い続けた学び舎からの卒業。

「それでどこを見たいんだ? 案内するぞ」

「あ、お客様扱いしないでよ~。私だって通ってたんだよ」

「そうだったな」

 言うだけ言ってみたが、断られてしまった。さっきの小窓は別としても、変わっているところもないのだ。元からここに通っていた相手なら案内する必要もない。

「とりあえず一通り見て回ろうかな。まずは一階から!」

 自分にとっては新鮮味のない校舎を巡回する。

 廊下を歩いていると、ところどころで床が音を立てて軋む。小中の統合の際に状態の良い校舎を選ばれたはずなのだが、どちらにも限界は近いことに変わりなかったようだ。台風でに屋根が一部剥げたこともあった。

 懸念していた戸締りもしっかりしていたのは外との扉だけで、内側はどこも鍵が掛かっていなかった。そのおかげでどの部屋にも自由に入ることができる。

 教室はもちろん、普段なら入らなかった職員室、校長室、宿直室。中庭を中心にしてぐるりと回っていく。

 一階を回り終えて、階段で二階へ。

 二階は特殊教室と中学生の教室。音楽室、理科室、多目的ホール。一階と同じように回っていく。

「ここにしようかな」

 教室の引き違い戸を片方に寄せて中に入る。追いかけて入ると熱された空間に一段と噴き出す汗が増える。

 あいつは熱気に怯まずに教室の後ろに重なって置かれていた椅子と机を教室の真ん中に持ってきた。どちらも変色していて、経過した年月を思わせる。

 椅子を下ろして座ると、机に画材を広げた。

「きぃくん、授業頼める?」

「授業? なんでだ?」

「授業風景を描きたいんだ。だから、想像しやすいようにとしてお願い」

「まあ、そういうことなら」

 どうせ待っている間は手持無沙汰になるのだ。丁度いい役だった。

 机と椅子と同じく、これまた年季の入った教壇に立つと、手を広げて置く。

「えー、出席を取る」

「お、そこからとは、ノリノリだねぇ」

「せっかくだからな。雰囲気作りも大事だろ?」

 スケッチがどの程度で終わるかは分からないが、やるだけやってみることにした。


「~であるからして、ここは公式を当てはめて~」

 二人だけの教室に、教える気もない授業が開催されていた。

 時折、残されていたチョークをカッカッと黒板に押し当てては文字や図形を描いていく。

 対して、ノート……ではなくスケッチブックに必死に鉛筆を運ぶ音が鳴る。授業内容を記録しているのならば教師冥利に尽きるが、残念ながら用があるのは授業内容ではなく、風景のほうだ。少し残念に思う。居眠りしてしまった時も先生も同じことを思っていたのだろうか。

「一緒に通いたかったなぁ」

 ぽつり、と独り言のような言葉が発される。

「なに言ってんだよ。病気が治った後は学校には通えてたんだろ?」

「うん通えてたよ。でも、きぃくんとここに通いたかったって意味でね」

 動いていた手が止まり、顔を上げる。

「引っ越す前までは一緒に通ってただろーに」

「そうなんだけど、卒業までいたかったなぁ。なんて」

 何をそんなにこだわっているのか理解できなかった。進級して教室移動があっても同じ校舎だ。内装は何も変わり映えしない。いや、学校だろうが、家周りの風景だろうと。そんなことはここに住んでいたなら分かり切っているはずなのに。

「ねぇ、きぃくん。先生役は終わって、生徒として隣にきてくれない?」

「いいのか? 先生がいなくなったら授業じゃなくなるぞ?」

「うん。生徒が一人じゃ、ちょっと寂しくなってきちゃった」

 言葉に促されるまま、黒板から離れて、教室の後ろから机と椅子を持ってくる。そして横に机を合わせる。

 役を変わったのはいいが、特にすることもないので背もたれに寄りかかって椅子を傾ける。

「態度悪いよ。まさか、授業中でもそんなことしていたの?」

「さすがにしてない。今は手持ち無沙汰だからな」

「なら、次からはきぃくんの分も持ってこようか? 明日からも付き添ってくれるなら暇は続くよ?」

「いいよ、面倒だし」

 実のところは絵には自信がないだけだ。昔遊んでいたから、そんなこと分かり切っているはずなのに。……忘れてしまっているのだろうか。もう会うこともなかったはず旧友のことなど、覚えている必要などないと。

 スケッチが再開されると会話は途切れる。教室内の音は互いの呼吸音と鉛筆の走る音だけになった。

 それから、どれだけの時間が経ったろうか。数時間でも、数分のようにも感じられた。

「できた!」

「よし、なら早く次にいこうぜ」

 席から立って、立ち去ろうと急かす。

「えー、普通はまず『見せて』とか言うんじゃないの?」

「暑いんだよ、ここ。早く出たい」

 日差しが差し込んでいるが、開けた窓からは思ったように風は入って来ずに、熱は籠る一方。一刻も早く出てしまいたかった。

「後で見せてって言っても見せないからね」

 少し不服そうではあったが、暑いとは思っていたようで画材を片付ける。机と椅子も元の位置に戻すと、教室から出る。

「まだ描きたいところはあるのか?」

「うーんとね、屋上!」


 いつも固く閉ざされていた屋上への扉。教室などはまだしもこちらも施錠されているかは運だったが、奇跡的に開いていた。

 扉を開けると待ち構えていたかのように強風が吹きつけてきた。かいていた汗がすぅと引いていく。どうも、教室の窓から風が入ってこなかったのは、窓の方向とは反対の方向から吹いていたからだったようだ。

 屋上は年に一回の避難訓練くらいでしか時しか出たことがない。だから通い慣れていた学校でも新鮮な風景だった。

「わっ」

 思っていたよりも強い風吹いていたことに面食らったのだろうか、小さな悲鳴が上がる。

 伸ばしているであろう長髪と服が風に吹きつけられてたなびく。それでも前に進んで縁から景色を眺めた。

「綺麗な風景だね」

「……そうか?」

 広がる景色は、ぽつんぽつんと点在して孤立した人がいるかわからない民家と放棄された廃畑があるだけだった。

「綺麗だと思うけどなぁ。地元が一望できてるんだよ?」

「そうだけどさ。山に登ったほうがもっと高いところから見れるだろ? そっちのほうが奇麗じゃないか?」

「確かに山からのほうが高いね。でも、やっぱり学校から見ることに意味があるんだよ」

 そういうものなのだろうか。自分には目に入る廃畑と同じく、捨てられることになった土地にしか見えなかった。

 でも、こいつは言葉通りに何か感じ取っているのだろう。画材を取り出して教室の時と同じく、スケッチを始めた。

 今回は何も頼まれなかったので、横で同じ風景を眺める。時々、別の方向を見に行ったりもするが、すぐに飽きて戻る。

「きぃくんはさ、この土地は嫌いだった?」

 唐突に質問が飛んできた。風景を眺めたまま答える。

「嫌いなわけじゃないんだけどさ。思い出はあっても、思い入れはないって感じかな」

 生まれただけの土地。生家があって、他に少ないながらも人がいて、大きな買い物には隣町まで行かなくちゃいけない不便な町。

「そう思ってても、きっと離れてから恋しくなるよ」

「そうなるもんか?」

「そうだよ。私がそうだったもん」

 風でふわりと持ち上げられた髪に阻まれて表情は伺えない。

「だから、恋しくなったら私に言ってね。いつでも見せてあげるよ」

「絵を?」

「うん。きっと懐かしむよ」

 その時に一層強い風が吹く。髪を後ろに流れて顔が見えた。日差しのせいだろうか、目を細めていた直視することができなかった。

 なぜ、笑っているのだろう。

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