第14話 花吹雪の喝采
「クラリス!」
「神父さま、シスタークラリスですわ」
煮込まれたじゃがいもを割ろうとするスプーンを止めて、シンシアがまず顔を上げた。
隣の席でパンを噛んでいたクラリスは、頬を膨らませたまま赤い目をぱちくりさせた。すぐにはっとして、慌てて飲みこんだあとで、シスターたちの並ぶ卓から立ち上がる。
「おはようございます、クロウ神父」
「まさか……その黒い花の刺繍は……」
「はい。オズクレイドさまから賜りました」
「な…………」
クロウは整えられた髭の下であんぐり口を開けると、直後には鋭い目を狐のように吊り上げた。
身につけている黒衣が、彼の気迫にぶるぶるとわななく。
「この異端者め! 貴様が悪魔と契約したことはわかっているのだぞ! オズクレイドさまは騙せたかもしれないが、この私は」
「主はすべてをご存知でした。悪魔と共に、黒夢病を絶やそうとする私の旅路に祝福を——みずから選んだ道に胸を張るようにと、こうして黒の花を贈ってくださったのです」
クラリスは頭巾を飾る漆黒の花を心から誇らしく思いながら、堂々とそう告げた。
すると同じテーブルについていたシスターたちが、食事を止めて手を叩きはじめた。礼拝堂で助けられ、夢添いの儀を手伝った彼女たちがそろっていた。だが拍手はそこだけに留まらない。宣誓のように響いたクラリスの声は他の修道女、巡礼者たちにも届いていたようで、食堂ににわかに喝采が起こる。
クロウは黄色い肌を青くしたり赤くしたりして、しまいには真っ白になった。
非常に敬虔な——というよりもオズクレイドに熱烈に執心している彼にとって、
「貴様の悪事はわかっている。恐ろしい悪魔の力を使って、荷馬車の車輪を焼いたな」
「バレてしまいましたか」
「悪びれもせず!」
シンシアが不安そうにクラリスのスカートをつまんだ。
その手に、安心させるように触れる。
「夜に彼らを目覚めさせるから待ってほしいと、神父さま方や御者の方にお願いしたのですが、聞き入れてもらえなかったもので」
「当たり前だろう! そうやって黒夢病をさらに広めようとしているんだな」
「まさか! オズクレイドさまに誓って」
彼女がそう告げたときである。
食堂に満開の光の花びらが舞い上がった。
外から入ったものではない。オズクレイドによるものだと、この場の誰もが理解した。
「ななな……」
クロウは脂汗にまみれて後ずさりをした。
「っ、クラリス! 貴様は必ず裁かれる!」
つばを飛ばして吐き捨てると、彼はそのまま逃げるような早足で食堂を出ていった。
「わたくし、あの方は嫌いですわ」
シンシアの感想はにべもなかった。
朝食の時間を逃した彼女は、クラリス付き添いのもと今度こそ食堂を訪れたのだった。
秘密の共有があったことで打ち解けられたのか、シンシアは年齢より幼ささえ感じる微笑みでクラリスを見上げた。
「シスター、かばってくださってありがとうございます。……私を魔女だと告発したのがあのひとなんです。本当は少しでもオズクレイドさまから離したがっているのを、両親の口添えでなんとかここに残らせていただいているので、バレたら追い出されてしまうところでした」
「……『魔女』というものについて、私ははじめて知ったのですが、いったいどういうものなんですか」
シンシアは言葉を探すように眉を寄せる。
「……生まれながらに普通でない力を持っている者、でしょうか」
『なら俺も魔女だな』
「夢守りさまも魔女ですね」
「シスタークラリス……シスターとなってから、ええと、大胆になりましたね……?」
たしかに、クロウが聞いていたら怒りを通り越して卒倒していたかもしれないとクラリスは反省した。オズクレイドの人柄を知ったいま、うっかりすると『神』としてではなく一人の『人間』として彼を扱いそうになる。
(オズさま……きっといま、こちらにおられるのですよね。さきほどは素敵な花吹雪をありがとうございました)
声は聞こえず、姿も見えないが、シンシアそっくりの顔が誇らしげに笑ったような気がした。
中断された食事に向き合うため、二人はそこで会話をやめた。
赤葡萄の果実酒をふくみながら、クラリスは気まぐれにペンダントをノックする。
『んだよ』
(身を寄せ合いながら、ひそめた声で話をするのって、なんだか好きです)
『あっそ』
(コクヨウと話しているみたいで)
返事はない。
気にせず、クラリスは続ける。
(まだ朝になったばかりなのに、もう夜が待ち遠しいんです。はやくあなたと、身を寄せ合ってなにか内緒話がしてみたいです)
『…………き、気味の悪いこと言ってんじゃねーよバーカ。さっさと食っちまえ!』
会話は終わりとばかりに、彼がそっぽを向く気配があった。
(このようすですと、やはり彼の言う『ケッコン』は契約と同じ意味なのでしょうね。私の知る『夫婦』というかんじはしないもの)
よく煮込まれたにんじんを口に運びながら、ぼんやりとそんなことを考えていると、ふと外から覚えのある歌声が聴こえてきた。
声変わり前の、美しいソプラノ。
『幼き花の夢守りに捧ぐ子守唄』。
クラリスはスプーンを持ったまま、はっと扉のほうをふり返った。歌声の主はすでに食堂の前を通過してしまったようで、旋律は右のほうへしだいに遠くなっていく。
『おい、いまの歌のヤツ』
(ええ、あの子です……昨晩、なぜだか礼拝堂の前にいた)
『ナゼダカ、じゃねーよ。ありゃ思いっきりあんたをおびき寄せてたんだ。悪魔の宿主かもしんねぇ、さっさと追いかけるぞ!』
(いいえ……私だってそうしたいのはやまやまですが、いまはできません……)
もぐもぐと頬を動かしながら、クラリスはうつむいた。
(食事中です)
『俺、マジであんたらのそういうとこどうかと思う』
辟易とされるが、クラリスにしてみれば物心ついたころから身体に刻みこまれている絶対の掟だ。食べかけの食事を放り出してどこかへ行くなど、オズクレイドの肖像を踏みつけるのと同じくらいの暴挙である。
朝食を終えたあとで、念のため少年を探してみたが、案の定見つかることはなかった。
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