第20話 2人の過去
上林が家に帰ると、美香がソファに暗い顔をして座っていた。リビングは広がったまま、夕食の用意どころかキッチンを使った後もなかった。今日丸一日何もしていなかったようだ。
「どうしたんだ?」
「私、こわいの・・・」
美香がぼそっと答えた。上林は彼女がそんなことになったのが理解できた。彼女もあの夢を見たのだ。ずっと忘れかけていた2年前のあの記憶を。立ち直るまでに2,3か月はかかった。その間、上林が彼女を支えたのだ。それで仲が深まって結婚することになったのだが・・・。
「大丈夫だ。また忘れられる。」
上林は美香の肩をそっと抱いて言った。彼女は静かに震えていた
上林は美香を2階の寝室のベッドまで運んで、彼女が寝付くのを待った。そしてリビングに下りて、ソファに座った。彼は美香と会った頃のことを思い出していた。
前妻の裕子は学生時代からの付き合いで、警察官になってしばらくして結婚した。だが価値観の違いか、性格の不一致か、それははっきりわからないがいつの頃からか、けんかが絶えなくなった。それも上林が刑事になって仕事が忙しくなり、家にいる時間が極端に少なくなるとすれ違いも多くなった。そしてケンカした挙句、裕子は家を飛び出して実家に帰ってしまった。
別居して頭を冷やせば元に戻るかも・・・それは上林も裕子もお互いに思っていた。だが時間が過ぎるにつれ、2人の溝は大きくなっていた。修復不能なほどに。
そしてあれはもう2年前のことだった。上林は若い女性の通り魔殺人事件の捜査チームに加わっていた。何人かの容疑者は捜査上に上がったが、確証がなくて逮捕まではいたらなかった。そんな時、地道に犯人の足取りを追っていた上林は偶然、その現場に居合わせたのだ。
犯人は暗闇で若い女性に襲い掛かった。「きゃあ!」と悲鳴が上がり、それを近くで警戒していた上林ともう一人の刑事が聞いてすぐに駆け付けた。そして格闘して犯人を取り押さえたのだった。その犯人は若い男だった。明確な動機があるわけでもなく、ただむしゃくしゃしての犯行だった。手錠をかけてもその男は暴れていた。まだ足りないという風に・・・。それを震えながら見ていた被害者が美香だった。当時大学生だった彼女は帰りが遅くなったところを狙われたのだった。
「大丈夫でしたか。もう大丈夫ですよ。」
上林は恐怖で震える美香に優しく声をかけて、家まで送っていった。そして後日、美香が上林にお礼を言うために県警本部まで来たのだ。最初は事務的に美香に接していた上林ではあったが、事件について何度も話を聞いているうちに親しく話すようになった。そこで上林は美香からいろんな相談をされるようになった。就職のこと、将来のこと・・・上林は彼女に押し付けることもなく、世間的な大人の意見を聞かせた。
いつの頃からか、美香は年上で包容力のある上林に惹かれるようになった。また上林の方も元気な笑顔を見せる美香が気になってはいた。だがそれだけだった。2人の距離はまだ遠いままだった。
そんな時、あんなことが起こった。それがあったから今があるのかもしれないが、あの時のショックは2人にとって相当なものだった。乗り越えるまでにかなりの時間がかかった。それがまた美香に、いや2人にのしかかって押し潰そうとしている。
「俺は負けない!」
上林はそう言って大きく息を吐いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます