第19話 催眠術
上林は眠い目をこすりながら横河とともに新幹線に乗り込んだ。向かう先は催眠術研究所の所長の山本小五郎のもとである。彼は日本で屈指の催眠術師であり、その研究者であり、また東堂正信の師匠でもあった。彼は今、横浜にいる。人に催眠術をかけて転落させられるかどうかの可能性を聞きに行くのだ。
「上林さん。僕はまだ半信半疑です。」
「ああ。しかし調べて見ると無意識状態では本能的に拒絶すると言われているようだ。だがハーバード大で催眠術で人が殺せるかの実験が行われたことがある。180名の男女から非常に催眠にかかりやすい1人の男性が選ばれた。彼は偽の拳銃だったが、それをターゲットに向けて撃ったのだ。」
「それじゃあ・・・」
「ああ、暗示をかけて自殺させることは理論的には可能だと思う。だが催眠術にかかりやすいとか厳しい条件がありそうだ。」
上林と横河は新幹線でそんな話をしていた。
やがて横浜に着き、2人は催眠術研究所にタクシーで向かった。そこは静かな山の中のロッジ風の一軒家だった。気をつけなければ見逃すような小さな看板が出ていた。
「ごめんください。」
上林が外から声をかけると一人の男が出て来た。かなりの高齢であったが背筋はしゃんと伸び、足腰はしっかりしていた。
「お忙しいところすいません。山本小五郎さんですね。昨日、電話を差し上げた滋賀県警の上林と横河です。」
2人は警察バッジを見せた。
「ああ、儂が山本小五郎だ。催眠術のことが知りたいということでしたな。中にどうぞ。」
山本は2人を家に招き入れてくれた。室内は壁もなくオープンになっていて明るく、頭上のロフトに昇る階段が真ん中に会った。研究所ではあるが特に変わったものもなく、ただ山小屋の家という感じだった。
テーブルに座って早速、上林は山本に聞いてみた。
「いきなりですが、催眠術で他人を自殺させることはできますか?」
その質問に山本は一瞬、答えに詰まったようだが、唇をぐっと結んでからすぐに話し出した。
「催眠術は絶対にかかるというものではない。もしかかったとしてもそれを拒絶するはずだ。それに催眠術をそんなことに使う者はいない。」
山本はきっぱりと言った。しかし上林は、否定する山本の言葉にかえってその可能性があるのではないかと疑った。
「ある条件がそろえば可能ということはないのでしょうか? 仮にです。ある者が殺したい人に『ここにいると危険だ。窓を壊して逃げろ。』というような暗示をかける。ある合図があるとそれが発動するように仕掛けて。それが高いビルの部屋だったらどうでしょう? その合図があればそこから飛び降りてしまうのではないですか?」
上林は具体的な話をした。これが事件の核心なのだ。山本は眉をひそめて上林を見た。
「あなたは催眠術が犯罪に関わったということを儂に言わせたいのかな?」
それに対して上林はゆっくりうなずいた。一般論を聞きに来たわけではないのだ。事件を解決するためにあらゆる可能性を探るために・・・。山本は「ふうっ」とため息をつくとまた話し始めた。
「できないことはない。優秀な催眠術師がうまく誘導して暗示をかければ・・・。だが催眠術師の名誉のためにも言うが、そんなことをした者は今までない。」
「あなたの弟子だった東堂はどうです? そんなことが彼にできますか?」
上林はさらに聞いた。山本は言うか、言うまいか迷っていたが、やっとのことで口を開いた。
「東堂君なら可能だ。彼は優秀だったが、催眠術を金儲けの道具としか見ていなかった。だから破門した。彼も未練がなかったようで催眠術の仕事をやめたのだが・・・」
山本は苦しげだった。破門したとはいえ、かつての弟子を売った形になってしまったのだから・・・。だが山本はこうも言った。
「ただし催眠術をかけられた人間ときちんと暗示を与える必要がある。」
「それは電話でも可能ですか?」
「場合にもよるが、可能性はある。だが録音テープなどでは無理だろう。」
それだけ聞いて上林と横河は戻ってきた。帰りの新幹線で横河は上林に言った。
「それなら東堂をすぐに引っ張れますね。」
「いや、まだだ。」
「どうしてです? 東堂ならできると聞いたばかりじゃないですか?」
「彼が本当にそんなことをした証拠もない。自白させようとしても無理だろう。」
上林はそう言って考え込んだ。証拠を固めるのは難しいと改めて思い知らされた。だがそれ以上に上林を悩ますものがあった。寝不足でふと車内でうとうとするのだが、その時にもあの雑音が頭の中に鳴って、あの女の恐ろしい目が浮かんでくるのだ。
(疲れているせいか・・・)
上林はため息をついて外の風景を見ていた。
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