第10話 不倫
香織は仕事が終わってアパートに戻った。そこは一人きりのさびしい場所だった。一昨年、実家を出てしばらくは寂しかったが、それを埋めてくれたのは大山大吾だった。その出会いはあるパーティーだった。
1年前、何気なく地元紙で目にした自己啓発セミナーに参加した。そこで親友の美香に再会した。彼女もセミナーに参加していたのだ。結婚して半年。忙しい夫と毎日の家事に嫌気が差して気晴らしに来ていた。
香織はそこで会員だけのパーティーにも誘われたのだ。そのパーティーは男女の出会いの場としても利用されていたようだ。美香も「香織が心配だからついていく」という理由をつけてそのパーティーに参加した。
そこには若い男もいれば、少し年上の男もいた。慣れない香織はそれらの男性と積極的に話せず、隅の方で眺めていた。それに引きかえ、美香は楽しそうに多くの男性と話しをしていた。
(場違いだったかな・・・)
香織は思った。恋人がほしかったわけではない、ただ何となく寂しかったから・・・それがこのパーティーに参加した理由だった。それにこの話を持ってきたのは美香だった。
「恋人ができないの? それなら任して。いいところがあるの。」
その誘いに香織は乗った。この状況から抜け出せるのではないかと・・・。しかしパーティーにしては地味な服装の香織の前には誰も集まらなかった。
(つまらないし、もう帰ろうか・・・)
香織がそう思った時だった。
「少し、お話してもいいですか?」
それが大山大吾だった。30半ば過ぎであったが、服装は若々しくして派手で目立っていた。その様子からは遊び慣れた大人という感じだった。
「ええ、・・・」
香織はそう答えた。大山は話し上手でいかにも女性の扱いに慣れているという感じだった。パーティーの間、香織を退屈させなかった。
「あなたに会えてよかったです。また会ってくれますか?」
「ええ。私も。」
そうしてお互いに連絡先を交換して別れた。それを遠くから見ていた美香がそばに寄って来た。
「香織、やるわね。あの男、年は取っているけど相当、お金持ちよ。」
「そ、そんな・・・」
「あの手の男は楽しく遊ばせてくれるわ。よかったわね。」
美香にそう言われながらも香織は大山と知り合えてうれしかった。これで寂しさはなくなるだろうと・・・。
それは確かにそうだった。週末になると香織はデートに誘われた。大山は不動産会社の社長でお金持ちだった。贅沢な品物を贈られて、高級レストランで食事して、そしてびわこ展望ホテルに泊まって・・・それは香織にとって夢のような世界だった。それが週末になると訪れるのだ。そうなると平日の侘しさがより一層、身に染みるようになった。
そうなると大山と結婚したいという願望が香織に芽生えてきた。そこでそれとなく大山に言ってみた。だが大山はそれについてはいつも言葉を濁した。結婚してくれる気がないようだったが、香織はいつか、大山と結婚できると信じていた。そんな時、あの事故が起こった。大山の妻の啓子が溺死したのだ。
その日はいつものように大山と2人で朝から出かけて、びわこ展望ホテルのいつもの部屋を取っていた。2人きりの部屋で大山はFMびわこの放送をバックミュージック代わりに流していた。日が暮れてからそこに電話が入ったのだ。
「・・・なんだって!・・・そうか、何かわかったら連絡してください。」
大山は電話では驚いた声を出していたが、電話を切ると冷静に香織に言った。
「ちょっとトラブルが起きた。もうすぐ電話で呼び出しを受けるかもしれない。そうなったらすぐに行くことになる。すまないが一人で帰ってくれないか? それまではここにいてくれ。」
「でも・・・忙しいみたいだからもう帰ります。」
「いや、いいんだ。このままの方がいい。誰かに聞かれたら昼からずっと2人でいたと言ってくれたらいい。」
大山は訳の分からないことを言った。だがその意味は次の日にはわかった。刑事が来てその日の大山の行動を聞いていったのだ。
「・・・はい。ずっと昼から一緒でこのホテルにいました。」
「間違いありませんね。」
「はい。昼と夜の食事もここで取っていますし、この敷地を散歩して過ごしていました。それよりどうかしたんですか?」
「大山さんの奥さんが溺死したのです。その日の昼ぐらいに。」
「えっ! 奥さん!」
「はい。それで念のため調べているのです。」
刑事はそう言って、その後もいろいろ質問して帰って行った。香織は知らないこととは言いながら、自分が不倫をしていたことを深く後悔して落ち込んでいた。しかも不倫していた時に奥さんが亡くなっていたことを聞いて罪悪感に打ちのめされていた。彼女はすぐに大山に電話した。
「・・・大吾さん。奥さんが亡くなってお気の毒とは思うけど・・・私をだましていたのね。独身だと言って。」
「だましてなんかいない。独身だと言った覚えはない。香織だって楽しかっただろう。俺と付き合って。」
「なに言ってるの! 私を弄んでいたのね!」
「そんなことはない。俺はずっと香織が好きだ。それに妻は事故で死んだんだ。これからも今まで通りの関係でいよう。」
「いやよ! もうこんなこと。別れるわ! さようなら」
「おい! そんなこと言うなよ! 今まで通り・・・」
大山は未練がましく言っていたが香織は電話を切った。
(私はだまされていたんだ! もう大吾とは会わない!)
香織は強く決心した。だから送られてくるメールはことごとく無視し、電話もブロックした。それでも大山は香織に復縁を迫ろうと連絡を寄越してきていた。それが香織にはうっとうしくなっていた。
(今度、電話がかかってきたらはっきり言ってやる! 私のことはもう構わないでと。)
そう心に決めているところに発信者不明で電話がスマホにかかってきた。これは大山だと直感した香織は電話に出た。
「おれだ。大吾だ。頼むから切らないでくれ・・・」
それは確かに大山だった。うまく言い繕って復縁を迫るかと思いきや、彼は意外なことを口走った。
「俺の周りがおかしんだ。誰かに見られているような。頼むからそばにいてくれ。」
「いやよ。そんなこと言って、元の関係に戻そうっていうのでしょう。」
「頼む! あの女が夢に出て来るんだ。俺を睨めつけて!」
「もう、電話して来ないで!」
「助けてくれ。俺は呪われているんだ!」
わざと不気味なことを言って自分の気を引こうとしていると香織は思った。そこで電話を切った。しかし大山の言葉は芝居にしては真に迫っている気がした。親友の美香にも電話で相談したが、「ほっとけば」と言われただけだった。気にはなっていたが、忘れようと思っていた。そんな時、刑事が来て大山の死を知らせたのだ。
聞いて見ると何か不気味な死に方だった。いつも週末に泊まっていた703号室から転落なんて・・・。しかもその刑事の雰囲気から自分が疑われているようだった。
「美香の御主人が担当の刑事なんて・・・巡り合わせか・・・」
気が付くと香織は美香に電話をかけていた。相談するのは彼女以外いなかった。
「香織よ。美香。いつもごめんね。電話で聞いてもらって・・・」
「私でよければ聞くわ。主人も遅いみたいだしゆっくり聞けるわ。」
香織は美香に今日あったことを話した。上林が事情を聞きに来たと・・・。
「許せないわ! 親友の香織を疑うって! とっちめてやる!」
電話の向こうで美香は怒っていた。だがそれは美香が別のことを心配しているからだった。香織が大山と付き合うきっかけになったのは出会い系のパーティーだが、そこに既婚者の美香も出席していた。そればかりではない。結婚してからもその手のパーティーにちょくちょく参加していたのだ。これを上林が知ったらいい顔をするはずはない。
「ありがとう。やっぱり親友ね。私もあのことを絶対に秘密にするから。」
香織は美香と話して少し気が楽になった。
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