第6話 保険金殺人

 上林と横河は湖上署に向かった。湖上署は文字通り、びわ湖に浮かぶ『湖国』という船の中にある。日中は琵琶湖を巡回しており、その帰港時間に合わせねばならない。2人が夕方から大津港で待っているとようやく湖国が入港してきた。この夏の時期は水の事故が多いから湖上署は忙しいはずだった。

 やがて接岸されて上林と横河は湖国に乗り込んだ。事前に連絡しておいたので捜査課の佐川が出迎えてくれた。彼が大山啓子の事故を担当したのである。

 

「すまんな。佐川。」

「いや。構わないよ。部屋に資料を用意しておいた。」


 佐川は2人を資料室に案内してくれた。そこのテーブルに資料が置かれてあった。


「大山啓子は水難事故だと聞いたが・・・」


 上林は資料をめくって目を通しながら佐川に聞いた。


「一応、そうなっているが・・・。実はまだ捜査中だ。」


 佐川は声を潜めて言った。どうも不審なことがあって水面下で捜査が行われているらしい。このことは秘密にしなければならないようだ。


「すまないが教えてくれ。ちょっとこっちで調べていることと関係することがあって。」

「わかった。実はな・・・」


 佐川は話し出した。


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事件はこうだった。6月27日早朝に女性の水死体が発見された。それは捜索願が出ていた大山啓子だと断定された。彼女は6月26日の日曜日、クルーザーに乗って湖に出た。趣味である釣りをするつもりだったのかもしれない。だが夜になっても帰ってこないため、クルーザーの管理会社から捜索願が出されたのだ。湖上署が捜索した結果、彼女のクルーザーが発見された。だがそこには誰も乗っていなかった。そして辺りを捜索したところ、遺体が上がったのだ。法医学解剖でも水死と断定されたが・・・。


        ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「死亡推定時刻から琵琶湖で昼頃におぼれたとされた。クルーザーから転落したらしいということだが・・・」


 佐川は言葉を濁した。それに上林の目が光った。


「何かあるのだな?」

「ああ、そうだ。啓子には多額の生命保険がかけられていた。受取人は夫の大吾だ。周囲の話では夫婦仲は最悪だったらしい。離婚寸前だと。会社は啓子名義になっていて離婚したら大吾には何も残らない。」


 上林は大きくうなずいた。そばで聞いていた横河が尋ねた。


「大吾に愛人がいたそうですが。」

「ああ、それも調べがついている。川口香織24歳。『風水』という喫茶店の店員だ。大吾とは半年前に知り合ったらしい。」


 横河はこれで決まりだという風に大きくうなずいた。だが佐川の様子を見て上林はまだ捜査の最終段階まで行っていないことを感じた。


「2人にアリバイがあるのだな。」

「ああ、そうだ。2人は前日からびわこ展望ホテルに泊まっていた。2人が昼にレストランで食事をしているには目撃されている。不倫という奴だな。その割には毎週のように来て堂々とふるまっていたらしい。いつも703号室だそうだ。」

「そうだったのですか・・・」


 横河は自分の当てが外れたので少しがっかりしたようだった。だが上林はかえって確信を強くした。


「誰かに依頼した可能性があるな。」

「ああ、多分な。アリバイとしては出来過ぎている。」


 佐川は意味ありげにニヤリと笑った。そこが捜査の肝なのだろう。


「容疑者として挙がっているのは海野渉だ。興信所をしているということだが、陰で何をしているかわかったものではない。」

「海野が何か理由をつけて啓子に近づいたのか?」


 上林の言葉に佐川は大きく首を振った。


「いや、どうも啓子が大山大吾の浮気調査を海野に依頼したらしい。だが海野は大吾とつながっているようだ。」

「なるほど。そういうことか。それじゃあ、海野が怪しいな。」

「だが海野にもアリバイがある。その昼の時間、東堂正信という男と湖に接した貸別荘で酒を飲んでいたというのだ。それを別荘の管理人が見ている。だから海野のアリバイをまだ崩せてはいない。」


 捜査は行き詰まっているようだ。上林はため息をついた。


「そうか。ところでその東堂正信というのは?」

「自己啓発セミナーを主催しているらしい。参加した者の話によれば、うまく彼の調子に引き込まれてしまうらしい。密かに人気になっているようだ。確かセミナーの後にパーティーを開いているらしい。なかなかのやり手だ。それに・・・」

「それに?」

「東堂のセミナーに海野も啓子も参加していたようだ。そこで顔見知りになって調査を依頼したのかもしれない。」

「そうだとするとかなり綿密に練られた計画になるな。」


 上林は現場写真をじっと見ていた。そこには啓子の遺体も写っていた。長い髪が濡れて水で膨れ上がった顔があった。その目は大きく開いて虚空を睨んでいた。それはあの夢の女の目と同じだった。

 上林は慌てて次の写真を見た。それは啓子のクルーザーの写真だった。その運転席にポツンとラジオが置かれている。上林は惹きつけられるかのようにそこを見ていた。それに気付いた佐川が言った。


「ああ。啓子のクルーザーにラジオが残されていた。つけっぱなしの状態でな。FMびわこを聞いていたようだ。」

「えっ!」


 佐川が「FMびわこ」と言ったので、上林はそれに少し反応したのだ。


「どうした? 『FMびわこ』がどうしたのか?」


 佐川が尋ねた。そこで上林は大山大吾がびわこ展望ホテル転落死したことについて佐川に説明した。その部屋にFMびわこを流していたラジカセがあって雑音が流れたことも。


「おかしなところに目をつけたな? 何か捜査に関係あるのか?」

「いや、それはわからない。なんとなく気になってな。」


 上林はそう言うしかなかった。彼自身もどうして自分がその雑音に気が取られているのかわからないのだ。

 佐川の話からでは大山大吾の転落の謎は解けなかった。だがとにかく上林はなにかしら事件の全貌がつかめてきたような気がしていた。横河は海野が怪しいと思ったようだ。今回の大山大吾の転落も絡んでいると・・・。


「それで海野はどこにいるのですか? 重要参考人として引っ張りましょう。吐かせることができるかもしれません。」

「それはそうだが・・・。だが大山啓子の事件ではまだ証拠を固められないでいる。それに海野はアリバイ工作をしている。だがそれは崩せるだろう。逃がさないように海野は24時間監視下に置かれている。」


 佐川は言った。もう少しで海野を追い詰められそうだった。


「わかった。こちらは別の角度から捜査してみる。」


 上林はそう言って、横河とともに湖上署を後にした。


「これで決まりですね。湖上署が海野を逮捕するでしょう。そうすれば取り調べで今回の事件もわかるかもしれません。」


 横河はそう言ったが上林には何か引っかかる気がした。確かに大山大吾の転落死には背景がある。だがそれは自分たちが思っているほど単純ではない気がしていた。

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