第3話 ホテルの部屋
「ギィー」と軋む音がして部屋が開け放たれた。まず汚れた水槽のような水臭いにおいがかすかに漂ってきた。中は湿気でじめじめしているようだ。正面の窓の一部が大きく割れて風が吹き込んでいる。がらんとした部屋にはベッドが二つ、それに机などが置かれている。荷物は小型のスーツケースが1つだけ、それも窓のそばに転がっていた。それで窓を割ったのだろう。部屋が荒らされた形跡はない。
上林はその部屋から何か異様な感じを受け取っていた。割れた窓から風が吹き込んで空気が循環しているはずだが、それにもかかわらず部屋の中は言い知れないどんよりとした重い空気が漂っていた。そしてなによりそぐわないと感じだったのはラジオから流れる軽快なメロディーだった。
「あの窓から落ちたようですね。」
横河が言った。確かに人ひとりがそこをぶち破ったような形跡があった。
「それなら下の鑑識がこの窓のガラス片を採取しているだろう。」
上林はそう言いながら窓を調べた。7階でもあり、一部の窓がわずかに開くだけである。割れた窓には赤い三角マークがついている。非常時に消防隊がそこを割って中に入れるようにしたものだ。
(割れやすい窓だから、そこをスーツケースで穴を開け、勢いよくぶち破って落ちた・・ということは自殺か?)
だが断定するのはまだ早かった。ざっと見たところ遺書も何もない。現場の様子から見てとっさに飛び降りたとしか見えないのだ。上林は部屋を調べたがドア以外、どこにも部屋の外に出られるところはなかった。割れた窓の他には・・・。もし他に人がいてそこから外に出たとしても、やはり真っ逆さまに地上に落ちる。
(密室ということか・・・)
上林はため息をついた。彼の刑事としての勘は他殺だと言っていた。こんな荒っぽい自殺をするはずはないと・・・。だが他殺とすればこの密室の条件を覆すトリックがあるはず・・・それが全く見当たらないのだ。
真剣に考える上林にとってラジオから流れる軽快な音楽は耳障りになっていた。彼はそれに目をやった。すると横河が、
「あっ、これFMびわこですね。」
とうれしそうに言った。上林は聞き返した
「FMびわこ?」
「ええ、今人気なんですよ。僕も暇な時に聞いています。ファンが多いから。」
上林はそんなことには興味がなかった。それよりもそのラジオの機械本体に興味をそそられた。それはかなり古いラジカセだった。カセットテープで録音ができるものだ。
(なつかしい。子供の頃、これと似たようなお古のラジカセを使っていたことがある)
上林はそのラジカセをのぞいてみた。すると急に「カチャ」と音がした。
「あっ!」
上林は少し驚いたが、それは中のカセットテープが止まった音だった。まるでその存在を示すかのように・・・。
「録音していたのか?」
中のカセットテープは長時間用で両面録音の設定になっていた。上林は再生を押した。もしかしたら室内の音を録音していなかったかと・・・・。すると、
「FMびわこ、深夜のミュージックアワー・・・」
と音が流れた。ラジオの深夜番組を録音していたようだ。室内の音は取れていない。
「ラジオを録音していたようだ」
「その機械でそんなことができるんですか? じゃあ、かなりのファンだったのですね」
確かに聞き逃したくない放送があったのだろう。ちゃんとテープにとって後で・・・・だとするとそんなことをする人が自殺するだろうか・・・上林はやはり他殺だと思った。そのラジカセからはまた場違いな軽快な音楽が流れている。
「自殺にしては不自然な点が多いな・・・」
「でも突発的に思いつくこともあるんじゃないですか?」
横河はユニットバスを調べながらそう言った。上林はまた部屋をぐるりと見渡してみた。
(ただそれにしても不可解だ。それにこの部屋の重苦しい空気はどうだ・・・。)
上林はそこに異様な気配を感じていた。だがそれがどういうものか、はっきりとはわからなかった。その時、ラジカセからの音楽に雑音が入った。いや全く別の音が聞こえた。
「ゴボッ。ゴボッ。ゴボッ。ザー。ザー。ゴボッ」
上林はその音に驚いたが、その一瞬、彼の頭の中にあるイメージが浮かんだ。そこは湖の中だった。少し離れたところに髪の毛を濡らして垂らした女性の顔があり、水の中に少しずつ沈んでいた。その目はまるで怨念を込めた様に冷たく、じっと彼を見ていた・・・。
「どうかしたんですか? その機械」
横河がユニットバスから顔を出して言った、彼も音楽が急に雑音に変わったのに気付いたのだ。その声に上林ははっと我を取り戻した。
「そうだな。ちょっと見てみる・・・」
上林はそのラジカセをのぞいてみた。別に誤作動を起こしている様子もない。
「いや、何ともないようだが・・・。壊れたのか?」
ラジカセは相変わらず変な音を流している。どこかで聞いたような音だが思い出せない。ただ何か不気味な音だ・・・上林はそう感じていた。あまり気持ちのいいものではないのでラジカセを止めようと「止」のボタンを押そうとした。するとその前にその雑音は収まり、また軽快な音楽を流し始めた。
「テープの不具合か?」
とにかくこのカセットテープは謎を解くのに役に立ちそうにないと上林は「止」を押した。横河は一通り部屋を調べ終わった。床までしっかり見たが、特に変わったものを発見できなかった。
「自殺や他殺を思わせるようなものはないですね」
「そうだな。後は鑑識に任せようか」
上林はそう言ってさっさと引き上げようとした。彼はこの部屋にいると何か押し潰されそうな気分になり、背筋に冷たい感じを覚えていた。それに締め付けるような頭痛もしていた。確かにこの部屋には何か得体の知れないものの気配が残っていたのだ。
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