反骨
「――全く、あんなにいい子、あなたには勿体ないわ」
「そうだろ?恵まれてるんだ、私は」
メイを見上げて、私は苦笑する。あの後、何事もなかったかのように再びメイが現れた。冷たい虚空と共に、その巨体に塵を纏って泳いでいた。
「で?もう分かったのよね?」
メイが試すような目で私を見下ろす。「当然」と私は得意気に見返した。
「全部分かったよ。私の本当の思いってやつも、私にしかできないことってのも、この虚空の正体もね」
「へぇ、じゃあ、答え合わせの時間ね?」
「……うん」
立ち上がって伸びをする。目の前まで、メイが迫ってきた。
「本当の思いは……最後にしよう。まずは私にしかできないことをするべきだ」
「――そうね。待ちくたびれたわよ」
「悪かったって」
ふぅ、とひとつ息をつく。虚空の冷たさは、今では心地よい。
「私は、強い。けど、元から強かったんじゃない。私の高いプライドの所為で、自前の強さだって錯覚してただけだ。本当は、強者に虐げられる弱者になりたくなくて強者を演じた道化師だ。それで強者を演じ続けて、自分は強くないとダメって錯覚して、勝手にプレッシャー感じて壊れた愚か者が私」
「──私ね、蛙って、本当は嫌だった」
「けろ」。私のあだ名。海瑠という名が蛙と似た響きだったから、小学生男子から始まった揶揄いの産物。今では可愛い響きになっているが、本当の始めは「けろ」なんて可愛いもんじゃなかった。「ガマガエル」、「ドブガエル」。そんな拙い悪意のイジり。今では笑い話だが、当時小学生の私のか弱い心には痛すぎる屈辱だった。言い返すことも苦しくて、両親がくれた名前を侮辱されるのも悔しくて、だから笑い話になるように強者になった。生き物なんて触れなかったのに、蛙を好きになる努力をした。全部、自分を認めたかったための虚勢だ。
手に入れた強さで、弱い子を助けるのは気分が良かった。過去の自分が肯定される気分になれたからだ。だから女の子に優しくしている。私に縛られてくれる子は縛り付け、自由を求める子は追わずに放す。そうやって助けた子は、私が困った時に助けを求めることが出来た。私の、『鎧』にできた。
「そうね。けど、アタシはけろって響き、好きよ。可愛いじゃない。あなたの努力の賜物ね」
「うん。ありがとう」
「感謝される筋合いはないわ。それに、そういえば蛙は生命の誕生だとか、再生の象徴らしいわ。かっこよくないかしら」
「うん……だよね。良いよ。かえる」
「そうよ。無い胸張んなさい?さらにぺたんこよ!」
私は吹き出した。このムカつく鯨が、どうしようもなく愛おしく感じた。
「――私は、私はいつだって自分の心が思うまま生きてきた。他人のことなんて、何も気にせず生きてきた。けど、それも多分思い込みだ。後者は特に。他人のことなんて何も気にしてないって言っておいて、成績だとか、結局他人からの評価を一番に気にしてた」
ここまで言ってやっと思い出した。保健室で、担任との別れ際に交わした言葉。
『部活辞めたら、成績になんて書かれるんですか?』
『えっと……まぁ、退部扱いにはなるよね』
『………そうですよね。じゃあ、止めときます』
笑ってしまう。辞めたいなんて口先だけで、結局は他人の評価一つで実行できなくなるほどの臆病者が、私の正体だ。
「私……中学の時も部活辞めようとした。バレー部だった」
「そうね。でも結局、あなたは誰よりもバレーに打ち込んだ。チームの足でまといになるのが嫌で」
メイの言う通りだ。
私はバレーが大っ嫌いだ。熱血教師が嫌いなのも、同じ理由だ。バレーなんてやったことがなかった。そもそもスポーツが嫌いなのだ。でも、理想の文化部のないドがつく田舎の中学に、厄介な全員入部制。逃げ場はなかった。バレー部を選んだのも消去法だ。一クラスしかないような田舎の学校。元から部活の数も少ない。人間関係、センス、大会時のクソダサユニフォーム。どこも同じように最悪だった。だから結局は廃部を恐れたバレー部志望の友人からの誘いを受けた。
でも私は、身体の不調で同学年の子よりも半年分のハンデを背負ってしまった。バレーはチーム戦。一人のミスが全体へ影響する。普通だったら、下手クソでやる気のない私はスタメンから真っ先に外されたであろう。しかし私の所属していたのは、顧問の熱血さが空回りするような弱小の廃部ギリギリチーム。私と交代できる程の潤いはなかった。そして私は熱血顧問に目をつけられ、私は死ぬほどしごかれた。やる気のない私を、彼はエースに仕立てあげようとした。
馬鹿なんじゃないのかと思った。けど、バレーはチーム戦。私は、チームメイトの迷惑にだけはなりたくなくて結果的にはバレーに人一倍打ち込んだ。とはいえ、大事な一年時の部活期間を半年休んだ私は、まともに戦えるようなサーブが入るようになったのも引退間近の二年後半。ど素人無気力野郎がどんなに頑張っても、元々やる気のあるチームメイトに追いつくのには時間が不十分。
練習試合なんて、私にとっては公開処刑だった。顧問のタイムがかかり、彼の周りに集められる。タイムの原因はもちろん私だった。顧問は容赦なく吠えた。怒鳴り声をあげられるだけなら、まだ良かった。ただ、状況。相手チームからの目線、一緒に集められたチームメイト、応援に来た友人の親。それと、たまたま居合わせた他の部活の生徒。ある程度の人数がいるはずなのに、体育館に響くのは顧問の罵声ただ一つ。説教が終わり戻る時にかけられる、チームメイトからの慰めすら、殴って止めたくなった。
惨めにも顧問の罵声に萎縮した私は、思うように身体を動かせず。失敗しないように、としか考えられなくなり、身体が固まってミスをするという負の連鎖。顧問の目線を気にしながらのプレーなど、集中できるはずもない。また、顧問のタイムが試合を止める。その繰り返し。何度そいつに怒鳴られたか、分からない。何度辞めてやろうと思ったか。けど結局、実行はできなかった。
そいつは、最後の引退試合で、私に懐く後輩の前で、私を褒めた。私は、どんなに怒られても、めげずに立ち向かう強いやつだ。と。半年のハンデももろともせず、必死に努力してこんなにも強く、上手くなった。と。
吐きそうだった。何を美談のようにしようとしているんだ。私はそう振る舞わないといけなかったからそうしたのだ。全部あんたの、チームメイトの機嫌を損ねないようにやったのだと言うのが分からないのか。強く振る舞わないと立っていられない私の気持ちが分からないのか。
何が教師だ。だから大人を信用なんてできないんだ。奴らのような教師は、自分の善意を生徒へ押し付け、あたかもその善意のおかげで生徒が成長できたのだと言って回る。そして奴らは、その善意を生徒が無視すると、その生徒を悪人へ仕立て上げる。
「メイ。私は、きっと変わらない。怒鳴る大人は嫌いで、作り上げた虚勢の強さでこれからもクズのままであり続ける。改心なんてする気は無い。私は愚かだ。どうしようもない臆病者だ。プライドが高いだけのクズだ。自分を偽る嘘吐きだ。――認めるよ。これが、私にしかできないことだろう?」
刹那。メイの身体が淡く、力強く光った。メイにまとわりついていた鉄屑が、ボロボロと剥がれ落ちていく。淡い光の中で、美しい白鯨が微笑んだ。
「正解よ。あなたはそれでこそあなたね」
私は初めてメイに触れた。しっとりと冷たく、思ったよりもすべすべだ。まるで、袋越しの片栗粉だ。と言ったらメイはどんな顔をするんだろう。
「ここは、私のイメージ、だね?」
「えぇ、その通り。じゃあ、根拠は何?」
「──アンタだよ、メイ。ここは私の脳でもある。私はアンタを汚れた鯨に設定した。アンタに私の醜さを反映させたんだ。私がそれを忘れてたのは、一年前、あの時点で情熱を捨てたからだ」
私はあの時、プライドのために好きを貶した。「落選」という言葉がプライドを深く傷つけ、そして他の入選した部員の目から逃れたかった。人の目を、誰よりも気にしていた。
それに、それよりもっと前、既にその予兆はあった。展覧会よりも前、部内での小さな個人制作。油絵を選んだ私はコピー用紙に下描きを描いていた。
イラストタッチだった私の絵。骨格が猫に寄ったアニメ調の少女の横顔。私なりの自信作だった。しかし部活で扱う油絵の定番は現実的なモチーフだ。顧問は私の下描きに修正を加えた。
――が、その修正は、修正と言うよりも改変だった。骨格は人間らしく縦に伸ばされ、目は細く、鼻は低く角ばった。私のイメージは金髪碧眼の少女。だがそこに居たのは平安美人であった。これでは、まるで整形だ。結局その下描きはロッカーにしまい、個人制作はカメラフォルダから適当な風景を掘り出して模写をした。私は既に、その頃には美術に情熱を注ぐことができなくなっていたのだろう。
「最後の質問よ。……あなたの、本当の思いは?」
私を見つめるメイの目は、穏やかだった。私は笑みを浮かべながらメイのもち肌に鼻を擦り付ける。
「見せたげるよ。きっと最高の景色だ」
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