「なんで捨てたのよ。しかも破いて。なんて書いてあったの?」


 メイは私を冷ややかな目で見た。最低ね、とでも言いたげな様子に私はため息混じりに弁明した。


「なんで奏ちゃんが避けられるようになったのか、その理由だよ。まぁ、奏ちゃんになんの非もなかったし、やっぱ女ってめんどくせぇなって思うよ。ちょっと傲慢なくらいが、女の子は生きやすいのかな。行き過ぎた傲慢もトラブルの種だけどね」

「めんどくさいのよ。女ってのは。結局自分一本で生きていけるのが一番楽で幸せなんじゃないかしら。で?そんないい子があなたみたいな人間を信頼して頑張って書いた手紙を破いて捨てた理由は何よ」

「――私は女の子に優しくするけど、その見返りは求めないようにしてる」

「……へぇ」


 微妙な反応。構わず続けた。


「今は奏ちゃんは私を信じて頼ってくれてる。私はそれが嬉しくって仕方ないの。そのまま私に沼ってくれればいいのにって思う。けど見返りは求めないから、私から彼女を縛り付ける気はない。向こうが縛られてくれるってんなら話は別だけどさ」

「……」

「今の私の話聞いて、どう思う?」

「……残念だけど、アタシにはあなたの思考回路が終わってるってことしか分からなかったわ」

「そう。私頭おかしいんだ。外面だけいいから頼りやすいってだけで、蓋を開ければクズ野郎だ。あの子はそんな奴を一度信頼して、自分の弱点を手紙で晒した。……私達みたいな思春期の女の子って今回みたいな経緯で仲良くなっても、そもそものコミュニティが違うとそれから卒業までずっ友、なんてことあんまないだろ?そりゃキッパリ関係が切れるわけじゃないけど、大体、数ヶ月もすればもっと自分に合う人とくっついて一緒にインスタ上げてるのが主流じゃんね。学生時代は気の合う人と一緒にいたいじゃん。奏ちゃんだって、絶対そうなる。そうなった時に私があの手紙を持ったままだったら、私は何をしでかすか自分じゃ分からない」

「なるほどね。つまりあなたは、あの子があなたのそばを離れた時、あの手紙を自分が悪用しないように保険をかけた。ってこと」

「……まぁ、大体そんな感じ」


 メイは少し考え込むように私の周りを一周してから口を開いた。


「確かに、そう考えればいい判断なのかもね。スマホが普及してる今、陰口はあえて対面で言うんでしょう?メールだとか手紙だとかは、証拠が簡単に残るから」

「うん。……けど対面だからって証拠が残らないって訳じゃないけどね」


 冷たい視線が注がれる。


「そんな目すんなよ。『生きる証拠』って立場は最高の鎧だよ。証拠を握られてる以上私に変なことはできないし、気性の荒い犯人に消されかけても証拠がいなくなったら困る人のが多いから守られる。守られなくても証拠を盾に脅せるよね。私の気分で罪人を決めつけられるんだ。しかも第三者の目から見たら私はただの部外者に映るから、余計な疑いをかけられることなく、安全で最前の特等席で事の顛末を見届けられるんだよ」

「思想が強いクズね、あなた」

「ありがとう。でもね、虐めのド真ん中にいるとさ、結構面白いことが起きるんだよ」

「……聞いてやるわ」


「――いじめられっ子から相談されてる一方で、いじめっ子は私に共感を求めて陰口言ってくる。私はそういう時適当に相槌打って流すんだけど、いじめっ子の私を仲間にしたいって必死さが面白くってさ。んで、その後いじめっ子の前でいじめられっ子と仲良しするんだ」

「いいの?それ。あなたがターゲットにならない?」

「何、心配してんの?なんないよ。私には最強の『鎧』があるし、そもそも私は仲良くしたい子と仲良くしてるだけだし。万が一私がターゲットになってもいじめっ子は私をいじめても何も楽しくないと思うしね」

「なんでそう言い切れるのよ」

「私はいじめっ子が求める反応をしないしできないからだよ。避けられたら逆に距離を詰めに行くし、物を盗られたら盗った子の物使う。あぁ、ちゃんと一声かけてからね。私はいじめられてることに気付かないふりをしていじめっ子を振り回すのが大好きなんだ。いじめっ子の撃退法は、天然を演じることなんだよ」

「――なるほど。けどそう言っていても実際その立場になったらできない子がほとんどじゃないかしら」


 その言葉に、私は微笑した。


「怒らないで聞いてほしんだけど、いじめられる側にも問題があるって、言い得て妙な気もするんだよね。もちろん全部が全部そうって言うんじゃないけど、メンタル弱い子は頭が正常過ぎるんだよ。せめて自己肯定感は高く生きてないと、いざとなった時簡単に自滅する。味方になってくれる人が、ずっと傍にいるとは限らないんだから」

「ひとつ聞きたいわ。あなたはどっちの味方なの?」

「何そのめんどくさい女みたいな質問。今は答える気分じゃないな」



 ■+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+■



 油と絵具が混ざりあったツンとした匂い。どこが遠い昔に嗅いだことがあるような、カビっぽくて粘土のような重ったるい匂い。ざらついた空気を肺いっぱいに吸い込んで、その刺激臭に噎せこんだ。


「そんな臭い?俺この匂いけっこー好きだけど」

「そりゃ、妖怪にはいい匂いなのかもしれないけど、人間にはキツイんだよ」

「今しれっと俺の事妖怪っつった?」

「気のせいじゃない?」


 いつもより早めにショートが終わり、私は祐希と美術室へ上がった。まだショート中の後輩クラスの横を静かに通り過ぎ、職員室から持ち出した鍵を指で弄んで。


 画材の色彩をごちゃごちゃに閉じ込めた上で、どこか殺風景な部屋。人の形を模した石膏像の、その内の空虚さがこの空間の圧迫感を演出しているのだろうか。角に佇むヴィーナスへ向けた裸体への興奮も、今となっては冷めきっている。一年前はこの部屋の虚無感が好きだったが、今はただ息苦しく、虚ろな雰囲気が酷く痒い。


 掃除でもしてようぜと、先に似合わない提案をしたのはどちらだったか。暇つぶしのゲームも一段落し、することもなく暇を持て余した私たちは、普段なら逃げ出す掃除を始めた。


 いつの日か先輩が謎の声を聞いたいわく付きのロッカーから箒を取り出し、床を汚す乾燥した粘土のカスをまとめる。幽霊は存在するのかしないのか、生産性のないディベート。空虚に二人分のパッションが注がれた。


「うるせぇなお前ら、俺の情緒をごちゃごちゃさせんな」

「あ、ブロッコリーいたんだ」

「掃除してあげてたんだから大目に見てよ」

「だから言ってんだよ。それに海瑠お前いい加減にしろ」


 私はわざとらしく丁寧に床を掃除してそれを受け流す。ブロッコリー。私がつけた顧問のあだ名だ。髪がくるくるの癖毛だから、ブロッコリー。安直なネーミングセンス。本名は大畑一緑おおはたいちろく。名は体を表すの名は、苗字も入れていいのだろうか。だとしたら最高のネーミングセンスだろう。今では後輩までそのあだ名で彼を呼ぶのだ。美術部員全員が共犯者。だからこいつのお叱りは怖くない。


 掃除用具をロッカーに戻していると、ぞろぞろと残りの部員も部屋に入ってくる。彼女らもまた「よお、ブロッコリー」と 口を揃える。部員の中で数少ない清楚枠の後輩は「お疲れ様です、ブロッコリー先生」と無駄に丁寧な挨拶とともに会釈。敬語な所為で煽りバフが追加されたそれに顧問は狼狽えて。私は隠れて吹き出した。


 全員が揃って、形だけの号令で活動が始まる。と言っても、誰もが真面目に取り組むということはなく、私と祐希は顔を突き合せてスマホゲームに没頭していた。顧問は既に諦め小言は飛んでこない。部長の梨沙も手を動かしているフリで目線は手元の液晶画面に縫い付けられている。


 今は思考期間。文化祭で出展する作品のイメージを思考する。なんだかんだ制作期間は多忙なためこの期間は一番自由だ。


「浅間さ、描くの決まった?」

「うーん、また花でも描こうかな。海瑠は?」

「まだだな。描きたいのがないってわけじゃないんだけど、気分がノんない」

「わかる。――あ、いいのきた」

「はあ?――クソ強ぇじゃんかよ」

「こりゃあスコアが期待できますなあ」


 ふひふひとわざとらしくキモすぎる笑いを笑う祐希を尻目に、画面に表示されたパッとしない報酬をスキップし、流れるように再戦をタップした。傷付いた画面の中の推しに回復料理を満腹になるまで雑に詰め込み、敵の元へ全力疾走させる。実際の人間に置き換えたら腹痛と嘔吐に襲われるような鬼操作にも、スピーカーからは疲れを感じさせない「行くよ!」という健気な良い声が届いた。


「おい、お前らキャンバス張りだけでも終わらせろよ?」


 呆れた口調で顧問が叱る。そろそろやっとくか、と目だけで会話を済ませ、「はいよー」と祐希と声を揃えた。


 キャンバス張りは嫌いじゃない。何も考えずただ力任せに布を引っ張り固定すればいいだけ。脳にまで筋肉が詰まっている私にぴったりな仕事だ。色の配置やら調合やら、細部まで頭を使う活動はやはり私には合っていなかったのかもしれない。そもそも、私が好きな絵は、書きたいと思う絵はイラストの方だ。ゴッホだとか、フェルメールだとか、ナントカ派だとか。見るのは好きだが描くとなると解釈違い。


 あっという間に一辺が終わり、向かいの辺に取りかかる。順番さえ間違えなければ、あとはただの作業だ。今日はこれを終わらせて、あとはゲームの続きでもしながら次の作品のイメージを考えよう。祐希に倣って花でも描こうか。正直創作活動自体乗り気じゃない。このまま時間を浪費して、完成させずに締切を迎えるのもアリな気さえする。顧問の叱責も評価も、もうどうだっていい。こんなモチベーションで挑んだところで結果は見え透いている。ゲームを起動したまま放置していたスマホから、「時間は有限だよ」という放置ボイスが流れた。


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