友情

「あなたって、案外正義感の強いタイプ?」


 真っ白の虚空の世界に、汚い巨鯨が悠々と泳ぐ。私はひんやりと無機質な冷たさを感じる床を撫でながらメイを睨め上げた。


「失礼だな。私は悩んでる友達を放置するほど冷酷じゃない。そもそも、私のことなら何でも知ってるんじゃねえのかよ」

「あら、何でも知ってるからこそそう聞いたのよ。だってあなたは自分のプライドのためなら好きな物すら貶せるくらいの薄情者でしょう?」

「……それは意味が違うじゃん」

「ふぅん」


 メイの嫌な含み笑いに居心地悪く目を逸らす。私の態度にも構わず、メイは私の周りを旋回した。この沈黙が嫌に痒くて、私は無意識に指のささくれを剥いた。


「その癖やめた方がいいわ。ただでさえ丸い爪してるんだから」


 ピン、とつまんだ皮を引っ張ると、小さくえぐれた痕から血が滲む。隣で鯨がため息をついたのが聞こえた。



 ■+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+■



 授業開始五分前の鐘が鳴る。私は読んでいた本を机に入れ席を立つ。


「奏ちゃん」


 背後から近づいたためかその華奢な背中が震える。次いで可憐な女性の怯えたような困り顔が覗く。艶のいい髪が揺れ、甘い女の香りが微かに鼻を撫でた。


「海瑠ちゃん?びっくりしたぁ、どうしたの?」

「驚かせちゃってごめんね。理乃りのが係で先行っちゃってさ、今一人なんだよね。奏ちゃん、一緒の選択だったよね?一緒に教室行かない?」


 そう言うと、奏の顔から私に対する警戒は消え去り、みるみるうちに花が咲いた。「もちろん!」その笑顔は、そこらの女優なんかよりも断然可愛かった。


「海瑠ちゃん、この人好きなの?」


 奏が、私の筆箱にぶら下がる推しのラバストを指さして言った。マイナーだったが最近人気が出てきたアニメのキャラクターだ。よし、と心の中で呟き、笑顔で頷く。


「そう!奏ちゃんも知ってる?」


 私はそう問う。ただ、私は答えを知っている。答えはYESだ。ついでに、奏の好きなキャラクターも知っている。祐希にリサーチしたのだ。こういう推しの会話は、なんの違和感もなく進められてかつ広げやすく、誰にもストレスがかからない。(ただ、同担拒否には注意が必要だ)奏はやはり笑顔で嬉しそうに頷いてくれた。とても、愛おしい。


「へぇ、でもビックリ。奏ちゃんもアニメ見たりするんだね。めっちゃ嬉しい」

「見る見る!奏マンガとかも超好きだよ!」

「マンガも?じゃあさじゃあさ、今布教したいやつあんだけど読まない?」

「いいの!?読みたいです!」

「うん。明日持ってくるよ。マッジで面白いから!」


 私は順調に次の約束まで取り付けた。奏の連絡先も手に入った。これは祐希に感謝しなければ。


 その晩、私はバッグに約束を詰めたのを確認してから眠りについた。



 ■+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+■



 目の前に、メイがいた。


「なぁメイ、見てたんだろ?今日、浅間のおかげで友達が増えたよ」


 私はうずくまってボソボソと呟く。


「あいつ、優しいよな。私には無理だよ。大事な人のために、人に助けを求めるなんて」

「……そうね。それだけ、相手を思ってる。滅多にできることじゃないわ」


 メイが細く息を吐いた。


「で?あなたはその優しさを利用してるって考えちゃってるワケ」


 小さく頷く。


「だってそうだろ。純粋な気持ちで友達になれてるって思っても、どうしても〝これは人助けだ〟って気持ちが邪魔してくる。でも私はきっと、浅間の助けてやってくれって言葉がなけりゃ関わろうともしなかったはずなんだよ」

「……結局人間なんてそんなものじゃないかしら。どうせみんな自分の事しか考えられないのよ」

「それは分かってる。けど、こんな偽善じみた救済は、ホントに人を救うかな」


 私の歪んだ顔を嘲笑うかのように、メイは目を細めて言った。


「いいじゃない、偽善でも。やらないよりはマシだわ。そもそも、善か偽善かなんて、やる当人が決めることよ。私は、あなたはそんなちっぽけな事で悩むほど弱い子じゃないと思っているけどね」


 その言葉に顔を上げ、じっとメイを見つめる。


「私は弱くないよ。問題は私じゃなくて相手。私は女の子を悲しませたくないんだ。……女の子って、思っているより脆いから」



 ■+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+■



 天は二物を与えずなんて嘘だ。この世から虐めが無くならない理由が分かった気さえする。与えずを貫かなかった天の気まぐれで、二物も三物も与えた人間を生み出したから、この世に劣等感なんて単語ができたんだ。虐めの理由なんて、くだらない劣等感が大半だ。暴論、皆に二物を与えていればこの世から無意味な痛みは消えるだろう。


 目の前に差し出された漫画と上に重なるお菓子を見て、私はそんなことを考えた。


「本、ありがとう!とっても面白かった!これ、お礼です!」


 朝一番、奏は嬉しそうに貸していた漫画を返し、どこが面白かったとか感動したとか、読んだ感想を述べた。予想外に受け取った体制のまま感想を受ける私を、「続きが凄い楽しみ!」という無邪気な奏の声が突き動かす。


「気に入ってくれたみたいで良かったよ!また明日、続き持ってくるから。ていうか、いいの?お菓子まで……」

「いいの!貰ってください!」


 押された私は、ありがたくお菓子を頂戴した。最近一番気に入っているお菓子だ。祐希にでもリサーチしたのだろうか。


 次の日も、次の日も、漫画を一巻貸してはお礼のお菓子を貰う日々が続いた。さすがに申し訳なくなり一度に貸す量を増やそうかと提案したが、奏に却下されてはどうしようもなかった。


 そして最終巻を返された日、お菓子とともに一枚の小さな封筒が渡された。女の子らしい、可愛いデザインの封筒だ。最終日のお菓子はいつもと違い、『ありがとう』のデザインが綴られたクッキーだった。いつものように感想を聞かせてもらい、奏が加わった私の日常は少し女の子の色が強くなった気がする。


 家に帰ってから思い出したように奏から貰った封筒を取り出し封を切った。中には紙が二枚入っていた。一つはメモ帳サイズのキャラクターものの紙に書かれた『まんがありがとう そうより』の文字と、二つは便箋一枚に詰め込まれた奏の本音。


 要約すればこうだ。


『相手に見ていられない性質がある。けど自分の注意で関係が崩れるのが怖かった。だから相手の気に入らないところも我慢して、接し方が分からなくなって。それでも今まで通り付き合おうと努力しても相手はそれが気に食わなかった』


「……だから、虐められたってわけ」


 独り言は散らかった部屋に溶け込んでいく。どうしても奏が虐められなければならない理由が分からなかった。女の妬みだろうという線は大体間違いなかったが、こんな根っからの純粋ないい子を虐めて、逆に虚しくならないのか。


 そこまで考えて、逆か、と思い直した。虐める側の頭で考えれば、虚しさなんてどうでもよくなる。奏はいい子すぎるのだ。私は少し考えてからメモ帳の方を机に貼り、便箋はもう一度熟読してから破いて捨てた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る