11
昨日決意したように、その日も桜の家に行く。彼女には恩を返さなければいけない。自分をそう成長させてくれたように、僕も彼女を救いたいという気持ちが昨日にもまして感情を高ぶらせていく。
桜の家のチャイムを鳴らす。昨日と同じように桜の母が出るけれど。
「桜、まだ帰ってきてないんだよね」
そう返してくるので、途方に暮れる。桜が家に帰っていることを前提に行動していたから、その前提が崩れるとどう行動をすればいいのかわからない。
時間帯についてはもう夕闇時だ。冬も近づいてきているから、部活の終了などとうに過ぎている。その時間帯を超えて家に帰ってきていないとなれば、彼女はどこにいるというのだろうか。
「僕、ちょっと探してきます」
彼女の母にそれだけ伝えて、僕は走り出した。どこにいるかなんて想像することもできないから、適当に商店街をふらついてみたり、公園を見てみたり。でも、そのどこにも彼女がいる影を見ることができない。
桜の母は、まだ帰ってきてない、と伝えた。ならば、学校から変えることもしていないということだ。学生鞄を持ち歩いているのだから、まだ学校にいるという可能性もあるかもしれない。
──ふと、頭に過る嫌なこと。
中学校の屋上のカギは、鍵穴にガムを詰め込まれていて、誰であれ開閉できることを周知されている。教師から直接の声かけはないものの、独り身でもある僕でも知っている事実なのだから、桜だけが知らないということもないかもしれない。
……もし、彼女がそこにいたのなら、どうすればいい。その先の行動は安易に推測することができるけれど、その推測が現実になることはどうしても避けたい。彼女に救ってもらった人生だからこそ、彼女の人生を投げ捨てる目の前の推測を許したくはない。
一抹の不安を抱えて、僕は学校に行く。その嫌な予感が現実にならなければいい。
「……来たんだね」
嫌な予感は的中した。
まだ閉め切っていないから下駄箱から土足の勢いで階段を昇る。その先にある屋上の扉を開ければ、そこに彼女は、桜が待っていたと言わんばかりに扉の方を見ていた。
だから、視線が合う。
夕闇の赤い空が彼女の死を肯定するようにグラデーションが鮮やかに桜の身体を包んでいる。
──これはいけない。
「──なにしてるの、桜」
そこに彼女はいる。桜がいる。フェンスの向こうで、フェンスを体重の支えにするように軋ませながら、もうすぐに飛び降りる準備ができているように。
「見てわからないわけじゃないでしょ」
「わかるから言ってるんだよ。そこからすぐに離れようよ」
命を投げ出す選択を前にしている彼女に対して、僕はどのように言葉を吐けばいいんだろう。それがわかれば苦労することはない。でも、わからないなりでも言葉を伝えなければいけない。
「──一番の自由ってなんだと思う?」
「……何を言っているんだよ。そんなことより、早くこっちに来てよ」
「生きていく上での一番の自由はね、自分で死ぬことを決めることなんだよ」
「物騒なこと言わないで、早くこっちに」
「私、ようやく自由になれる気がするんだ」
「それが自殺なら今すぐやめるべきだよ。桜はそんなことしないじゃないか」
「──私って何?」
その言葉を聞いて、地雷が爆発したように彼女は言葉を紡いだ。
「正義を振りかざしているのが私なの?嘘をつかないのが私なの?どこまでも強いのが私?さっきから君は私に対して何を求めてるの?」
「──」
言葉は出てこない。でも、言葉を紡がなければいけない。たとえそれが上辺だけの言葉であっても。嘘でも本当でも関係なく、彼女を引き留めるためならなんでも──。
「今は耐えるんだよ。ここまで辛い状況でも耐えていれば希望はあるよ。幸せなんてすぐに見つかるよ。生きていればそれこそ明るいことなんていっぱい見つかるはずじゃないか。死にたいと思う自分の弱い心に立ち向かうんだよ。人生は一度しかないんだよ。さいごまで、最後まで生きて、楽しく生きようよ」
上辺だけの言葉を吐く。嘘でも本当でもなく、上辺だけの言葉を吐く。
桜は、そんな言葉を聞いて、笑う。
「最低だね、君って」
そんな言葉で思い出す、彼女の言葉。
『ゆっくりと考えていいから、正直に話そうよ』
──ここで言うべき言葉は、そんな上辺だけの、上っ面だけの言葉ではなく、彼女に対してきちんと向き合うならば、僕の言葉をきちんと吐かなければいけなかったのに、呟かなければいけないのに。
「──じゃあ、またね」
今までに見たことのない笑顔で、彼女は、目の前から消える。
──その時、僕は桜が落ちる音を聞いた。
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