05


 「やけどしたんだよ。さっきもいったけれど、料理した時に油が引っかかって」


 彼はそういいながら、あからさまに私に腕を見せる動作を取る。だが、その発言はいつも違って饒舌に紡がれるから気づいてしまう。


 彼と関わったのは、ここ最近のことでしかない。一応、それ以外の会話もしたことがあるけれど、だからこそわかることがある。


 彼が饒舌に話すからこそ、彼が嘘をついているのだと、気づいてしまうのだ。


 彼が話すとき、よく考えてから喋るようで、沈黙を置いてから言葉を紡ぐ。それは普段の所作から現れていて、本当にこの言葉を吐くべきなのかを頭の中で吟味しながら話しているようにも見えた。だから、彼が話をするときにはいつも、必ず間が生まれていた。


 だからこその違和感。


 彼は、本当のことを言うときは、それをきちんと相手に明確に伝えるために言葉をゆっくりと紡ぐ。だが、それ以外の時にはあらかじめ決めていた台詞文句を吐くように、さらさらと言葉を吐くのだ。


 今だってそうだ。


 やけどの話を最初に聞いた時にも、そして今屋上でやけどのことを聞いた時にも、彼の言葉に間はなく紡がれている。


 『やけどしちゃったんだよ』


 『やけどしたんだって、さっきもいったけれど、料理した時に油が引っかかって』


 そんな時にだけ饒舌に話す彼の言葉は、正直に言って違和感しか覚えない。いつもどもるように言葉を吐くのをためらう彼が、そうして言葉をすらすらと吐く姿は、違和感の塊でしかなく、不和でしかない。


 だからこそ、彼の言葉には嘘が絡んでいるような雰囲気を感じずにはいられなかった。


 ──私は、人の嘘には敏感な性格だ。


 世の中には優しい嘘というものがあるらしい。そんなことは昔から知っている。


 でも、私はどんな形であっても嘘というものが好きにはなれない。


 嘘をというものは、それが悪意のあるものであっても、それが善意からくるものであって、人をだましているという側面はゆるぎない。だからこそ私は、嘘という時点で悪意を含んでいるとそう感じてしまって、嘘が嫌いで仕方がない。


 「君さ、嘘つくときに癖があるんだよ」


 ──苦笑しながら話す様子。


 まるで本当にあった苦しみを話すように、さらさらとついた嘘。


 ──本当みたいに話す様子。


 経験したことを証明するように言葉の上塗りを繰り返して。


 ──饒舌に話す様子。


 饒舌に話そうと意識をしているからこそ、説得力を持たせようとする。


 それが、そのすべてが、──彼が嘘をつくときの癖なのだ。


 例え、関わる期間が短かったとしても関係がない。それでも悟らせてくるように嘘をつく彼が悪い。


 「私、嘘って嫌いなんだ」


 そうして、私が嘘を嫌いなのには、もうひとつ理由がある。


 嘘をつくからには、嘘をつくだけの理由がある。隠し事がある。隠し事があるからこそ、人は嘘をつきとおす。ただ騙すことだけを目的に嘘を通すことは、そこまで存在しない。


 そんな隠し事を、私はどうしても暴きたくなるのだ。


 どんな秘密が隠されているのか、確かめたくなる野次馬みたいな根性が自分に見えてしまうからこそ──、私は嘘を好きにはなれない。


 「その腕の包帯、本当はなんなの」





 「もう無理だね、私たち」


 彼女の言葉に答えることができないままでいると、呆れからか、それとも諦めからか、彼女は大きなため息を吐いた後、そんな言葉を僕に吐いた。


 つまりは、別れるってこと。端的に関係を解消するということ。


 そうだ。そっちのほうが都合がいいだろう。もともと僕はそれを望んでいたのだから、それ以上の結末はないだろう。


 知られたくない事実を知られるくらいなら、それでいい。


 ──大丈夫、と心配そうに顔を覗き込む彼女の表情を瞼に再現する。


 彼女はこんな僕のことでも心配をしてくれた。でも、そんな心配を裏切るようなことを、確かに僕は嘘という形でしているのかもしれない。


 だが、本当の僕を彼女にさらけ出したところで、彼女が僕という存在を受け止めてくれるはずもない。


 受容、容認という概念は、その言葉以上に重く、人の心の中では均衡を保てずに砕けていくものだろう。


 仮ではあったとしても、きっと今朝までの彼女は僕という存在を容認してくれていたように思う。でも、それは仮での話でしかない。真に僕を見せていない環境の中で、何も晒せていない僕のことを、彼女は容認してくれるだろうか。


 ──桜に呪われている僕の存在を、彼女は容認してくれるだろうか。


 恐怖感が付きまとう。


 これでいい。これが都合のいい結末だとわかっているはずなのに、それでも恐怖感が心をむしばんで消えてくれない。どうしようもない焦燥感が僕の身体を渦巻いていく。


 きっと、彼女はここで本当のことを言えば容認してくれるかもしれない。受容してくれるかもしれない。僕という存在を受け入れてくるかもしれない。


 でも、その勇気が僕にはない。


 『私たち、もう終わりだね』


 数瞬で何度も反芻した言葉を改めて咀嚼をして、返事をしようとする。


 「……──」


 ──桜が落ちる音がする。どこまでも、桜が落ちる音が耳の中で、心の中で反響を繰り返してくる。忘れるな、忘れるなと、罪の意識を逆なでしてやってくる。


 ──駄目だ。こんなときに聞こえてはいけない。こんな時に取る行動は、こんな音が聞こえてくるときに取る行動は、あらゆる行動はろくでもない結末をたどる。今以上にろくでもない行動に決まっている。


 ──冴えない頭の中で聞こえてくる桜が落ちる音が、どうしてもすべての感情を罪悪感に塗り替えて、行動しなければいけないと身体を動かそうとする。世界がそう強いてくる。


 行動しなければいけない。行動しなければいけない。行動しなければいけない。。


 そうしなければ、いつまでたっても世界は救われない。


 でも。


 僕はどんな行動をとればいい?


 彼女に本当のことを話すのか。それをしてどうなるんだ。復縁を迫ったとしてどうなるんだ。別れを肯定すればいいのだろうか。肯定したとして何になるんだ。この場での行動に何の意味があるのだろうか。


 ──彼女に、これ以上、どんな行動をとればいいって言うんだ?


 悪態を心の中でつく。それは誰に向けたものでもない。自分自身でもない。よくわからない。


 僕は世界に呪われている。桜に呪われている。だからこそ、行動しなければいけない。


 ──鞄を探る。延命処置のナイフの在り処を探す。探している間にどんな行動を選択するべきなのかを考えなければいけない。一瞬でも数瞬でもいい、ただ思考を──。


 (暇を持て余して鞄の中を漁る。どこかの本屋で買った小説と、筆記用具、そして携帯の充電器。そして、いつも持ち歩いているはずの延命処置のナイフがないことに気づいてしまう。昨日鞄取り出して使ってしまったからだだろう)


 ─────。


 「───っあぐぁ!!」


 思い切り何かを噛みしめた。口の中には何も入っていない。だからこそ、おのずと舌を噛むことしか僕にはできない。


 従いたくて、思わず声を上げずにはいられない。どうしようもない衝動が罪悪感を晴らすことだけを考えて、どうしようもない行動を選択した。


 「──なに?!大丈夫?!」


 「──」


 返事は、できそうにない。


 うかつだった。ナイフをきちんと持ってきていれば、もっと行動の選択を決める時間は、猶予は生まれていたはずなのに。それを認識してしまったから、その猶予は殺された。


 口に血がたまっていく感覚。意識が遠のいて、心配そうに見つめる彼女の表情が、また視界のよそに見えてしまう。


 ごめん、ごめんなさい。


 彼女にそう伝えたかったけれど、遠のく意識ではもう伝えられない。終わった気持ちだけが心に反芻して。


 すべては暗闇に溶け込んだ。

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