人助け、死後の異世界
人工照明が所狭しと輝くビルの一角で、二人の男が会話をしている。
「今日も遅くなりそうか」
「すまない、あと少しで終わるよ」
同僚の言葉を笑ってはぐらかす男。三十歳の会社員で、名は
今日「も」良太は仕事に追われていた。会社はいつも激務で定時退社が出来る望みはなく、また座りっぱなしもあってか、彼は猫背になっていた。
「僕を待たなくていいんだぞ。
「いや、待つぜ。家に帰っても一人だからよ」
「そうかい」
同僚の名は
「しかし、嫌になってくるよな。年がら年中仕事尽くめでさ。
祐樹の愚痴に良太は返事をしない。無視したのではない。少しでも早く仕事を終わらせようと必死になっていたのだ。祐樹は静かに見守る。
(こう集中されたら、何も耳に入らないんだよな。手伝おうとすれば「自分でやる」って言ってくるだろうしな)
同じ大学を卒業し、同じ会社に入社して八年。祐樹は良太の性格を知り尽くしていた。彼は努力家で、他者を
「終わった。待たせてすまない」
「いいってことよ。気にすんなって。ほら、時計を見ろよ」
壁掛け時計に目をやる良太。針は午後10時を指していた。
「日付が変わってないだろ。万々歳じゃないか」
「……そうだな」
良太はぎこちない笑顔をしつつ帰る準備に取り掛かる。間もなく、二人は退勤したがすぐには帰宅せず、冷たい夜空の下で屋外のベンチに腰かけて語り合った。
「未来の俺たちはどうなってるんだろうな」
「分からない」
問いかけに良太は淡々と返した。彼は将来のことを深く考えていない。今のことで精一杯だったから。
「一か月後のことすら見通せなよ」
「俺も同じだ」
祐樹も同意する。狭苦しい会社という組織の中で、使いつぶされそうな気がしてならなかったのだ。
「家庭を持ちたいなあ」
「俺も同じだぜ。だから、良太」
「うん?」
祐樹は良太の方に顔を向け、重苦しい空気をぶち壊すように言った。
「いい人が見つかったら俺に伝えろよ。祝ってやるから」
良太の暗い顔は吹っ飛び、負けじとこう切り返した。
「お前もな。その時は連絡くれよ」
「もちろんだぜ……はは」
二人はちびちびと飲んでいた缶ビールをぐいっと飲み干すと、帰宅することにした。祐樹はひどく酔っぱらっている様子だった。
「俺なんざ、何を目的に生きりゃいいんだか」
「え?」
「いや、なんでもねえ。じゃあな」
良太は、祐樹の態度に何か妙なものを感じた。しかし、アルコールが回っていることもあり、考えるのを止めた。
◇
「あともう少し」
祐樹と別れて数十分。良太は自宅アパートの近くまで来た。後は二階の自室に戻れば、明日以降も何一つ変わらぬ日常を、彼は送ることができただろう。
だが、運命は彼に別の道を用意していた。
「ん? 焦げ臭いぞ」
良太の鼻が異常を告げる。何かが焦げる時に放つ臭気が、風に乗ってきたらしい。
「火事よ!」
「誰か、消防車を呼んでくれ!」
予感は的中した。大人たちの悲鳴が、良太の耳に入る。燃えている家屋の場所もすぐに分かった。良太は現場へと駆ける。
「怪我人は?」
「ここにはいない。だが――」
近隣住民と話していると、幼い子どもの声が良太の耳に入ってくる。燃えている一軒家からだった。
「女の子がまだ家の中に……。何とかしないと」
それは誰もが理解していた。出来るならば助けてあげたい。だが火の手は強く、とても助け出せそうになかった。
(ああもう、消防車なんて待っていられない!)
良太は覚悟を決めると、猛火に包まれた一軒家に突入した。
「おい、やめろ!」
警告が届くことはなかった。良太は屋内に入ると、声がする方に走った。ちょっとの遅れすらも許されない状況だった。
(どこにいる?)
火の粉を振り払うこと数十秒。良太は遂に五~六歳と思われる女の子を発見する。
「大丈夫? 助けに来たよ」
良太はハンカチを取り出すと、彼女の口と鼻にあてがった。その後、煙による被害を抑えるため、彼女を姿勢を低くしながら屋外へと誘導した。
「もうすぐお外だよ」
良太は少女を励ましながら、壁伝いに外へとつながる窓までたどり着くことが出来た。安堵する瞬間だった。
「さあ、行くんだ」
「ありがとう」
少女は聞き取れないほどの小さな声で住民のいるところへ走っていく。良太もここを脱出しなければならなかったが……手遅れだった。
「け、煙が」
少女のためにハンカチを使ったため、良太は煙から自身を守ることが出来なかった。段々と息苦しくなり、意識が遠のいていく。
(熱い!)
燃えた家具が彼のもとに倒れてくる。肉体が焼かれているのを感じた。
(死ぬんだな、僕は)
良太は死を受け入れることにした。
(彼女が助かったのなら、それでいいじゃないか)
この日、茅ヶ崎良太は生涯を閉じた。享年30歳だった。
◇
(あれ? ここは……)
良太は真っ暗闇の空間に浮いていた。何者かが近づいてくる。
「かき集められたのはこのだけか」
(誰だろう?)
死んだはずの自分の耳に、誰かの呟きが聞こえてきた。
「まあ仕方ない。これでどうにかしよう」
(?)
「お主を生き返らせてやる」
良太の目には一瞬、この世のものとは思えない生物が目に映った。赤熱した
(ドラゴン?)
そう思ったのも束の間。良太は激しいめまいに襲われる。やがて彼はプツリと気を失ってしまった。
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