第29話 ありがとう。

 ラズウルスさんの《バックアップメモリー》を自分のコアに使う。



 この考えに至った時に、まず、私はこれを「無理だ」と結論づけました。


 理由は2つ。


 1つは、《バックアップメモリー》が私に適用されるかが不透明な点。

 私の身体の中に本当にコアがあるかどうかはいったん置いておくとします。私とラズウルスさんとだと、食事の必要性の有無や流血の有無などの違いもいくつかあったので、もしかしたらコアもないのかもしれませんが……それなら、そもそもこのアイデアは破綻ですので、考えないことにします。


 それを置いておいても、本来、《バックアップメモリー》とは支配下のマギドールに対して使用することが想定されているはずです。たまたま私の種族がマギドールであったから思いついただけで、支配下以外のマギドールに使用できるかどうかはわかりません。


 もう1つは、私のコアに《バックアップメモリー》をインストールする方法がない、という点。

 マギドールのコアを操作するには、いったんコアを休止状態にする必要があります。この際、当然、マギドール自身は意識がなくなります。これはラズウルスさんのコアを新しい身体ボディに移植した時に確認済です。


 つまり。私のコアに《バックアップメモリー》をインストールするには、私自身のコアを休止状態にする必要があり、そうすると私の意識がなくなってしまうため、インストール作業ができなくなります。



 では、代わりに現状を打破できるアイデアを思い付いたかというと。


 別にそんなことはないわけで。


 私は《エーテルブレード》を構えたまま、壁を背に立っている状況は変わりません。

 グレーターオルカはじりじりと私に迫ってきましたが、今は一定の距離を置いた状態で私の様子をうかがっています。結果として、睨み合いが続いています。


「こいつ……」


 襲い掛かってこないのか、と思いました。

 ただ、よく考えれば。動きが鈍い状態で襲い掛かろうとしたら私でもそのタイミングで横に逃げて距離を取ることができるんですよね。というか、それをやろうと狙ってたんですけどね。

 今の状態で待たれると、横に逃げようとしてもそのタイミングで襲い掛かられてしまうので、私も動けません。


「……意外と、いや、意外でもなかったですね……頭いいですね……」


 思えば、慎重に準備して不意打ちを狙ってきたり。

 ラズウルスさんとやりあった後も、結構長い時間、潜んだままこちらの様子をうかがって慎重に襲い掛かるタイミングをはかっていました。

 そして、今は圧倒的格下の私に対しても、自分の状況を理解しながら、自分がどうやっても有利になるように大勢をを整えてきています。


 もしかしなくても、こいつ、ラズウルスさんと同じ高性能なAIを積んでるな?


 元ネタゆえかもしれませんが、それなら妙に慎重すぎたりするところも納得がいきますね。今の状態からは、表情と言うか顔と呼べるのかも怪しい状況ですから、どんなことを考えて、どんな感情を抱いているかはさっぱり見えませんが。


「……それに」


 そして、よく見れば、体に入っていた亀裂が治ってきています。

 体から漏れ出る黒い靄が減ってるのは中身が無くなっていて、そのまま死んでくれないかとも思いましたが、やっぱりそんなに甘くはないようです。


 そして亀裂が治っているということは、負傷が回復しているということです。

 つまり、このまま時間が経てば、グレーターオルカは瀕死の重傷から回復して自由に動き回ることができるようになる、ということです。



 ダメだ。


 このまま見合ってても、私が負ける。


 横に逃げる……逃げたところを襲われる、ダメ。


 斬りかかる……私の技量じゃ斬りかかった所でカウンターを受ける、ダメ。


 何もしない……相手の負傷が回復して、復活してなすすべなく殺される、ダメ。


 何しても、ダメ。



 なら。


 結局。1度無理、と断じてアイデアに戻るしか、なかった。

 1つ目の理由は、できると信じるしかないとして。

 もう1つの理由は、クリアできる方法は、あります。



「……やるしか、ない」


 私はプレイヤーズブックを取り出し、装備管理のページを開きました。

 ボタンを操作し、今、装備しているメイド服を解除します。


 身に着けているのは靴だけ、という状態ですが裸にはなりません。

 最初にログインした時と同じ、大きめのシャツに紺のハーフパンツという恰好です。


 今からやることに対して、メイド服は邪魔なので脱ぎました。


「……いいですか。これは全年齢対応のゲームです」


 自分に言い聞かせるように、あのグレーターオルカに聞かせるように、声を張り上げました。何を言い出したんだ、と思ってるでしょうね、あいつ。


 正直やりたくはありません。


 でも、私にはこれしか。

 今の状況を打破するにはこれに賭けるしか思いつきませんでした。


 ああ、誰でもいいから。他にいい方法を思いつくなら、私に教えてください。


「全年齢対応のゲームだから、痛くありません!」


 インベントリから取り出すのは、ミスリル出刃包丁。


「全年齢対応のゲームだから、怖くありません!!」


 邪魔になる《エーテルブレード》はいったん足元に置いておきます。


「ラズウルスさんだって、命をかけたんです」


 ミスリル出刃包丁を逆手に握り直します。


「私だって、同じことくらい……できらぁぁああああぁぁぁっ!!!」


 そのまま勢いよく、でも刺しすぎないように。

 私の左胸に、突き立てました。



 本当に、本当に残念でした。



 私にはそれしか思いつきませんでした。



 自分が意識を保ったまま、自分のコアに《バックアップメモリー》をインストールするためにはどうすればいいか。

 コアを休止せずに、私が意識を保ったままコアを操作するためにはどうすればいいか。




 以外は……!




   ◇◆◇◆◇◆◇◆




 思ったより、痛くはありませんでした。


 一応、痛みについてはピラニアに噛みつかれて死にかけたこともありますし、致命傷でもそれほど痛くはない、のは、わかっていましたけどね。


 いや、わかってないとできません、て。


 ただ、これで「状態異常:負傷」が入って、動けなくなったら、本末転倒です。

 慎重に、切りすぎないように、でも、手を突っ込めるくらいには、左胸を切り開いて行きます。


 片手が通るくらいの大きさに傷が広がったら、包丁を投げ捨てて《バックアップメモリー》のカードに持ち替えて、胸の中に突っ込みます。


 生々しい感触……は、ありません。よかった。

 本当はまず手を突っ込んでみて、コアがあるか、コアの位置がどこかを確認すべきだったんでしょうか、そんな余裕はありません。


 とにかく、奥へ。

 奥へ差し込んで見て、カードが挿入できればいいな、というヤケクソです。




 カチッ。




 何かがハマるような音がしました。



 『あなたのコアに《バックアップメモリー》が挿入されました。

  データをインストールします……10%……26%……45%……』



 目の前にウィンドウが表示され、%表示がものすごい勢いで増えて行きます。


 やった。



 『インストールが完了しました』



 足元に置いていた《エーテルブレード》を拾い上げます。

 魔力で刃を出しながら、無造作にグレーターオルカの方へと歩み寄っていきます。


 待ってました、とばかりグレーターオルカが嚙みついてきました。


 私の体が、、グレーターオルカの攻撃を紙一重でかわしました。私が今までできなくて、それゆえに斬りかかることができなかった、動き。



 「Dawn of a New Era」には「流派技能」と呼ばれる技能があります。


 端的に言ってしまえば「Dawn of a New Era」の世界における武術です。武器系の技能や戦闘に関する技能への補正効果を持ち、専用のアーツを取得できます。


 しかし、この技能。プレイヤーには大変、不人気です。


 なぜなら、行動への強制力が強すぎるから、です。


 全ての武器系の技能には行動をサポートする効果が含まれます。ほとんどのプレイヤーが現実リアルで武器なんて振るったことはないのですから、それをある程度支援するシステムがなければ、リアリティあふれる仮想世界で実際に戦闘するなんてできないでしょう。

 一方で「流派技能」というのはアバターに「流派で定められた動き」を強制します。体が自分の意志に関わらず、勝手に動かされるわけです。

 その動きは「流派技能」レベルが上がると実に理にかなったものになるそうですが、自分の体が勝手に動く気持ち悪さの方が勝るのでしょう。



 私には関係ありませんけどね。



 ラズウルスさんは「流派技能」を持っていました。しかもレベル表記がEXとかいう、カンストしてるのかどうかもよくわからないけど何だか凄い表記で、です。


 私の体が、動く。


 ずっと見てきた、記憶の中の、ラズウルスさんと全く同じように。


 それは不快どころか、むしろ私にとっては心地よく。



 流れるように《エーテルブレード》を両手持ちにした私は、剝き出しになっているグレーターオルカの頭部だった場所、本体を。


 上下に計5回。しっかりと切り裂きました。







「……勝った」


 グレーターオルカが動かなくなったのを確認して、私は大きく息を吐きました。


 けれど、まだ安心はできません。


 じんわりと傷む左胸を押えます。

 この負傷は結構重いはずです。急いで先に進んで、セーフゾーンを確保しないと。

 途中で死んでしまうと、また、前のセーフゾーンからやり直し、です。


「……ラズウルスさん」


 これでよかったんでしょうか?

 仕方ないとはいえ、《バックアップメモリー》を使ってしまいました。


 本当はこれは、新しく造るマギドールのために使うべきものだったはずです。

 そもそも【古式人形術】では私のコアに対して〈バックアップメモリー〉のスペルは使えませんから、私がもらった技能を取り出して別のコアに継承したりはできなくなってしまいました。




「じゃあ、私を強くしてくれますか?」

『おう。任せな、姫さん』




 ふと、なぜか。

 出会った頃のやり取りが、頭の中に浮かびました。



 ああ、そうか。

 そうなんですね。


 ラズウルスさんは、最期まで私との約束を守ってくれたんですね。

 だから、これでいいんですね。



「……ありがとう、ラズウルスさん」




 ありがとう。


 本当に、本当に……ありがとう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る