第10話 まってりさん➂

 四條の声が壁越しに聞こえた後、ドアが開いた。


「苦情が入っているのだが……は?」


 入り口から顔を覗かせた四條の動きが止まる。バツが悪そうに朔が四條に歩み寄り、言い訳を始めた。


「えっとその、とある噂があって、試したらこうなっ――あぶっ⁉」


 朔の頭に四條の手刀が振り下ろされる。そのまま結斗と晴輝も四條からの拳骨を一発ずつ食らった。そこまで強くはないものの、少年たちは涙目で弁解しようとする。


「言い訳は結構だ。君たちはまってりさんを召喚した。違うかい?」


 正直に話せばいいのか分からず結斗と晴輝が黙りこくった。朔は小さく息を吐いて恐る恐るといった様子で打ち明ける。


「そうです。何で分かったのですか?」

「とある噂。部屋の荒れ様。魔力の軌跡。私から隠せると思うな」


 四條は細い目を少し開け、部屋をじっくり観察する。


「でも四條先生、魔力の軌跡ってことは……?」


 晴輝も朔の言葉を聞いてハッと顔を上げる。結斗は頭の上に「?」マークを浮かべて首を傾げている。


「まってりさんは妖怪ではなく魔神……?」


 朔がそう言うと、四條は小さく鼻で笑った。


「全く、君たちは妖怪が実在するとでも思ったのか? 彼女は人を襲わないタイプの魔神だ。私たちの世代にも知られている」

「確かに。俺たち殺されなかったし」


 結斗は部屋を滅茶苦茶にされたことばかりに頭が行っていたが、言われてみればまってりさんは結斗たち自身は襲わなかった。


「四條先生……もしかして召喚したことがあるのですか」


 朔の目は、四條の中まで見透かそうとするような冷徹なものになっていた。朔のそんな姿を見たことがない結斗は小さく身震いをする。


「なぜそう思った?」


 四條が朔に身体を向け、挑戦的な笑みを浮かべる。


「先生が部屋に入った瞬間から何者かがいたのに気付くのは理解できます。でも部屋を見渡すときに懐かしむような顔でした。それに、魔力で魔神を特定するには一度そいつと出会ってないと分かりません。先生の代にも流行っていたということは、まってりさんを召喚したことがあるからなのでは?」


 晴輝も静聴しながら途中で手をポンと打っていた。結斗は四條の会話について深く考えていなかったので、そういう考え方もあるのか、と朔に感心している。


「そうだな、三十点」

「はい?」


 四條が突然出した低い点数に、朔が素っ頓狂な声を出す。口先を尖らせて異議を唱えるが、四條は聞く耳を持たない。


「点数は上げない。まず、私の表情は君の解釈だから論理的な考察をする時に使うのはやめなさい。無論、人間に共通する無意識的な反応、例えば瞳孔の収縮ならいい。あとその人の癖を知っている時も、場合によっては使える」

「ほう」


 四條の話に朔が真剣に聞き入っている。


「それと、もう一つの問題点は君が私の能力を見くびっていたことだ」

「え? 見くびってないのですが……」


 四條は口の端を上げ、人差し指で自分のこめかみを叩いた。


「私はたくさんの有名な魔神の特徴を暗記している。魔力の軌跡でまってりさんを特定したと一言も言っていないから、持っている知識で分かった、とも言えるだろう?」

「あ……」


 朔はがっくりと肩を落とし、耳を赤くして両手で顔を覆った。四條はもう一度ぐるっと部屋を見回し朔に向き直る。


「でも、君は間違っていない。確かに私はまってりさんを呼んだことがある」


 どこか遠い目で四條が語り出す。


「無理やり佐神先生とさせられて、同じく失敗に終わった。私は乗り気でなかったのに佐神先生は好奇心旺盛だったからな」


 四條がここの学生だった頃、彼は佐神と同じ寮だった。それだけを理由に佐神が強制的に四條を巻き込み、まってりさんを召喚したのだとか。

 三人が何か言う前に、四條は二回手を叩いた。


「はい、じゃあ片付けを頑張りなさい。そしてもう二度と呼ばないこと。良いな?」

「「「はい……」」」

「でもこんなことになるだろうと思って、これを持ってきた」


 四條がコートのポケットから数珠が四つついたブレスレットを取り出した。数珠の色はそれぞれ青、緑、青緑、赤であり、ほんのりと光を放っている。


「これはお守りだ。肌身離さず持ち歩くように」


 結斗はお守りのブレスレットを受け取り、左手首に装着した。


「じいちゃんから貰った魔除けは効かなかったのかなぁ」


 結斗がここに来る前、祖父から魔除けを貰った。今は彼の部屋に置いてあるが、魔神であるまってりさんは結斗たちの元に来られた。


「この学校には結界が張られてある。呼び寄せない限り来ない。それより枳殻くん、魔除けを持っていると言ったが、君の家族は魔術師ではなかったのでは?」


 四條が結斗に感情のない目を向ける。異様に冷たい雰囲気のせいで結斗は内心びくびくしながら答える。


「はい、俺以外誰も魔力すら使えないはずです」


 今日の授業で習ったことだが、誰でも魔力は持っている。でもそれを使用する能力がないのがほとんどだ。家族が使えなかったとしても結斗だけが使えるというのは起こり得る、と佐神が言っていた。


「君の父親は何の仕事をしていたか教えてくれるかい?」

「公務員だったはずです」


 四條は何秒か黙ったまま結斗を見つめていたが、笑顔に切り替えて踵を返した。


「気を付けなさい」


 何に、とは言わずに四條は寮を後にした。三人は片付けに取り掛かる。

 幸いなことにガラスものは壊れなかったが、ソファはひっくり返り、本棚の本は床に散りばめられ、テレビも倒れていた。

 片付け開始から一時間ほどして、ようやく部屋が元通りになったのである。

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