第4話 トランプ

 食べ終わって三人が談笑していると、玄関が何度かノックされた。


「入りまーす」


 ドアを少し開け、部屋の中を覗き見るのはこの学校の教師だ。


「初めまして結斗くん。俺の名は佐神涼真。佐神先生って呼んでくれ」


 がっしりした体格。深海のように深い青の瞳は一変した部屋を見渡している。水色の髪は黒いスーツとマッチしている。とにかく強そうだ。


「初めまして」


 突然ずこずこと入ってくる佐神に驚きつつ、結斗はとりあえず挨拶をした。


「それにこの部屋。いやー助かったよ。部屋を掃除してくれたおかげで四條先生に祓われずに済んだ」


 この先生が汚い部屋を黙認していたのか、と結斗が思いながら他人事のように話す佐神を睨んだ。


「何であんな汚い部屋を放置してたんですか」

「いつか掃除するっしょ、って思ってた」


 どうやら佐神は大雑把な人みたいである。普通の寮の先生だったら注意するほど散らかった部屋を「いつか掃除する」という考えで貫いたのはある意味凄い。


「四條先生に部屋を確認するように言われて来たのもあるんだけど、結斗くんに話があるんだ」


 佐神は何のためらいもなく空いた椅子に座ると、結斗を向いた。


「君について教えてくれないかい、結斗くん?」


 突然の質問に、結斗は腕を組んでうーんと言って首を傾げる。


「急に教えてって言われてもなぁ……」

「あ、悪い。じゃあ結斗くんは頭を使うのが好き?」

「いえ全く」


 考えなくても答えが出る質問に結斗が即答した。


「じゃあ、晴輝くんのように負の感情を殺して生活、戦闘するスタイルはどう思う?」


 結斗は、静かにニコニコしながら座っている晴輝に視線を移す。確かに晴輝は穏やかな雰囲気を持っているので、そう言われたら納得いく。


「うーん、俺には難しいかもしれないです」

「じゃあ君は消去法で紅雨こうう流だね」


 佐神は紫のジャケットのポケットから小さな手帳とペンを取り出し、「ゆいと→俺と一緒!」と素早く書き込んだ。


「紅雨流?」

「そう、魔術界には四つの流派がある。それぞれの詳しい説明は授業でするよ。皆考え方が違うことだけ頭に入れとけばいい。結斗くんが向いているのは紅雨流。頭脳派の氷雨ひさめ流の逆の『肉体派』で『力』をメインに戦闘力を上げる」


 ぽかんとしている結斗を見て、佐神は腕時計に視線を落としてから軽い説明を始める。


「まず魔術界で言う戦闘力は、自分にとって一番強い『考察力』と『力』のバランスだ。主な三つの流派はこの二つの要素をどれぐらいの割合で戦闘するかで意見が割れている。さっき言ったように、紅雨流、俺の流派は力を重視している」


 結斗が天井を仰いで新しい情報を整理していると「魔術界は深いよ」と佐神が付け加えた。何度か佐神の言った大まかな内容をボソボソと復唱した後、結斗は佐神に向き直った。


「要するに俺は頭を使って戦うより、力でぶん殴ることに特化した流派に入るってことですよね?」

「まあ、そんなとこだね。他の流派のことは今は覚えなくていいよ」


 佐神は結斗の様子を確認してから続けた。


「結斗くんはおじいちゃんおばあちゃんに送られてここに来たって聞いたのだけど、本当?」

「はい」


 佐神は真剣な瞳で結斗を眺める。


「目標はある?」

「特にないです。今まで人生の目標とかあんまり立てたことないですし」


 彼の答えに、最初に反応したのは朔だ。


「目標なしで魔術界にいるのは後から辛くなるぞ。怠けない方が良い」

「その通り。魔術界は危険だ。生半可な気持ちで居続けてもロクな事が無い」


 佐神の重い口調に、結斗はごくりと唾を飲み込んだ。晴輝は目を瞑って静かに頷いている。


「今すぐには決めなくていいと思う。でも、いずれは明確な目的を持つように」


 佐神が結斗にそう指示すると、最後の説明に入った。


「一日の授業はその日によって変わるから校舎前の掲示板を見てね。晴輝くんと朔くんが詳しく教えてくれるよ。彼らに任せちゃうけど俺はここで失礼する。用事があるんだ」

「任せてください」


 晴輝がぽん、と胸を叩いた。朔も賛同して頷く。結斗は小さく頭を下げてお礼の言葉を言う。


「ありがとうございます」


 佐神が椅子から立ち上がりドアに向かう途中、


「いたっ」


 棚の角に足の小指をぶつけてしまった。高身長で下が見えていないのか、それともただの不注意なのか。


「大丈夫ですか……?」

「いや、俺は大丈夫だ。また会おう」


 心配する結斗から顔を逸らして早口でそう言い残し、佐神は速足で寮を後にした。

 だんだん魔術師の学校にいる実感がしてきた結斗は、しばらく物思いにふけっていた。


 将来の夢が特になく、適当に受験し適当に高校に入学した結斗。その世界が全てのように昔は見えていたが、今は違う。世界はもっと広いのだ。


「これから何が起きるのかな……」


 現在の結斗はゼロからのスタートである。高校一年生、最低ランク、知らない人に囲まれる新しい学校生活。


「なあトランプしないか?」


 結斗を現実に引き戻してきたのは朔だ。いつの間にかトランプを持っており、慣れた手つきで素早くシャッフルしている。


「良いの? したい!」


 結斗が元気よく返事をすると、三人はリビングの床に円になって座った。シャッフルが終わった朔は、カードを裏面の状態で三つに分けて一つずつ二人に配る。


 はば抜きをするようである。今ジョーカーを持っているのは晴輝。いつもと変わらない笑みを浮かべているため、彼がジョーカーを持っているとは誰も予想できないだろう。


「俺が先で時計回りにしていいか?」


 順番は朔→晴輝→結斗になる。


 まず朔が晴輝のカードから一枚抜く。カードの上で手を動かしながら晴輝の顔色を窺うが、全く表情に出ないので適当に一枚抜いた。


 ジョーカーではない。朔は思い切り安堵の表情を浮かべたが、結斗と目が合って慌てて真顔に戻った。


 そんな調子でばば抜きをしていたが、張りつめた空気を壊すように結斗が突然話題を振った。


「朔と晴輝って趣味あったりする? 俺は知っての通り掃除と料理だけど」


 結斗は現在ジョーカーを持っている朔のカードの裏面を真剣に眺めている。そんな彼をちらちら見ながら朔が答える。


「俺は数学をすることかな」

「何それ真面目ぶるのはよくな――」

「うるさい枳殻」


 結斗が大袈裟に早口で朔に突っ込みを入れると、青筋を立てた朔が彼の言葉を遮った。


「俺はストレスが溜まったら簡単な算数の問題を解いて発散してる。そこまでおかしくないじゃないか」


 納得のいかない表情で結斗が黙ったままカードを引く。ジョーカーである。


 わずかに顔を顰めるが、後に結斗のカードを選ぶ晴輝と視線がぶつかり反射的に笑みを作る結斗。何かを悟ったのか、頷きながら晴輝は朔にカードを差し出した。結斗は遠い目をしながら話に戻る。


「うーん、数学嫌いだったからなー。俺には数学が楽しいと思う人の心理が分からない。魔術師って流石に数学しないよね?」

「「するよ」」


 朔と晴輝が、数学をしなくていいと思い込んで浮かれた気分の結斗に厳しい現実を突きつける。


「え……」


 定期考査の総合順位はそれなりに良い方だったが、数学だけはいつも後ろから順位を数えたほうが早かった。結斗はか細い声で「数学は呪いだ」と呟いた。


「っていうか何で数学なんかしないといけないの⁉ カッコよく魔術の練習とかしないの⁉」

「一流の魔術師になると『魔術式』っていう大技を勉強するから、その時に数学が役に立つんだ。そもそも魔術って数学と似てるからな」


 晴輝のカードを引きながら、朔が説明する。


「どこがだよ……」


 数学が含まれる魔術の勉強のことを考えて絶望的になっていたが、取りあえず結斗はゲームに戻った。


 今まで通っていた公立学校の数学の教師が言っていたように、数学から逃げられないみたいである。

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