第十五話 真の勇者(前編)

 晴れて冒険者ギルドの一員となった啓太は、建物の外からそっと中の様子をうかがう。

 薄闇色のカーテンがかかったような、どこか茫とした建物。その内部には、一匹の獣がいた。

 近寄るもの全て(少年限定)を喰らう恐るべき獣。

 どうにかして獣を出し抜くことができないか、考えても考えても妙案は浮かばない。

 あんなのが野放しになっている法と秩序の無力さを嘆く啓太の横を、一人の冒険者が通り過ぎていく。

 啓太とほぼ同じ年だろうか。その瞳には冒険に対する期待がまぶしく輝いていた。

 その少年の冒険者は迷うことなく受付に行き、普通に押し倒され、軽々と抱えられてそのままどこか冒険の旅へ。

 大人のアドベンチャーは苦く、切ない。


『それでも勇者ですか』


 結果的に見殺しにしてしまった啓太。妖精の声には非難の響きがあった。


「勇者の退職届はどこに出せばいいの」

『ここで頑張れないならどこに行っても通用しませんよ』

「なんでそうブラックなの」


 危険が危ない障害物はどこかへと去り、つかの間の安全地帯となった冒険者ギルド。

 啓太はいよいよ冒険者としての一歩を踏み出す。

 空白地帯となった受付、そこへおっかなびっくり歩いてきた啓太はおそるおそる声を出す。


「あの、すみません」


 声は受付の奥にある部屋へと吸い込まれ、そして――


「おや、いらっしゃい」


 声の向かった先から現れたのは、温厚そうなやや太り気味の中年男性。

 話の通じそうな相手に、啓太の期待はいやがおうにも膨らむ。


「えーと、昨日冒険者登録をしたんですが……」

「昨日? 昨日は休日だよ」

「えっ、昨日女の人の受付に……」

「ああ、あの人ね。部外者なのに勝手に受付やったりするから困っているんだ」


 衝撃、あの危険人物は受付ではなかった。


「えっ、さっきも誰か連れて行かれてましたけど」

「そうなんだ。自警団に連絡はしておくけどね、冒険者なら危険は自力で、ね」


 なんて世界だ、そう呟く啓太の声はどこにも届くことなく空気にとけて消えていく。

 そんな啓太をよそに、書類をごそごそと探っていた男は一枚の紙を取り出した。


「ふむ、ケイタくん、かい?」

「あっ、はい」

「手続きとしてはきちんとされているね。まあここは来るもの拒まず去るもの追わず、さ」


 受付の男は薄く笑う。冒険者というものを良く知る男の表情はどこか浮世離れしていた。


「えーと、冒険者って何をすれば……?」

「ああ、向こうの掲示板に依頼された仕事が貼りだされてるから、好きなのを選んでここに持ってきて」

「あ、はい」


 受付を後にした啓太と妖精は、すぐ近くにある掲示板へとやってきた。

 乱雑に貼り付けられた紙は、ギルドの隆盛をあらわすかのように所狭しと並んでいた。


「いろいろあるね」


 啓太は感心したような声を出す。


「ああ、ここ最近は、大規模討伐隊に人を取られていてね、人手不足で依頼がたまっているんだ」


 受付の方から男の声がする。


「討伐って?」

「そりゃあ、魔物討伐だよ」


 啓太は妖精に向き直る。


「魔物いるんだ」

『そりゃあいますよ』

「見なかったけど」

『これまでの場所は、あの知恵ある竜のテリトリーですので魔物は少ないのです』

「ああ、アレあんなのだけどすごいんだ」


 呟いた啓太の目に映ったのは、竜討伐を依頼する紙。


「依頼がでてるね」


 その紙には、あいつをどうにかしろと言う、あいまいながら希望がはっきりと分かる内容が書かれていた。


『うざいので倒して、ですか……気持ちはわかりますが』

「わかるけどねえ」


 二人はしみじみと頷きあう。それは経験者にしか分からない機微。


「ああ、あの竜はここいら一帯で迷惑かけられてない人はいないっていう位だからね」


 経験者は大量、機微はもはや常識となっていた。


「まあいいや。どれにしようかな」

『このグレーターデーモン討伐なんてどうですか』

「却下だね。こっちの溝掃除にしよう」

『勇者が溝掃除なんて……私は認めません!』

「ブラックの次は姑?」


 二人が仲良く今後の事を話し合っていると、ギルドの玄関から物音がした。

 啓太が顔をそちらに向けると、一人の青年が入ってきたところだった。

 迷いの無い足取り、腰に下げた剣は無骨ながら使い込んでいるような雰囲気、身体に纏うのはおそらく革製の鎧、自信にあふれた顔はまっすぐ前を見据える。


「あっちの方が勇者っぽいね」

『認めませんッ!』


 妖精は息子が連れてきた婚約者にケチをつける姑のような感じで言った。

 一方受け付けの男は慣れた様子で話しかける。


「おや、お帰りジョージ。首尾はどうだった?」

「ジョージではない……勇者と呼べ!」


 青年は言い放った。妖精の放つ姑オーラが強さを増した。


「ははは、じゃあ勇者、仕事は終わったかい」

「仕事ではない使命だ! もちろん華麗に終わらせてやった」


 勇者の使命を終わらせたジョージは、鼻息荒く胸を張ってふんぞり返る。


『勝手に勇者を名乗るなど……私、許せませんッ!』

「なんだかライバルお嬢様風になってきた」


 妖精はふわふわと受付に移動すると、ジョージに向かって声を上げた。


『そこの者! 勝手に勇者を名乗るとはどういうつもりです!』

「ほう、この僕を知らない者がまだいるとはな……いいだろう! よく憶えておけ! この僕こそが」


 勢いのいい台詞と共にジョージがかっこよくポーズを決める。


「真の、勇者なの痛ああああああああ!」


 かっこいいポーズと共に振り回されるジョージの右腕が、受付の台にぶつかって鈍い音をたてた。


『何を言っているのです。勇者とはアレです!』


 妖精が指差した先には、アレ呼ばわりされた啓太が嫌そうな顔をして立っていた。


「巻き込むのやめてくれないかな」

『今すぐに勇者の名前を返上するのです!』

「ねえ聞いて人の話」


 腕を押さえてうめき声を上げていたジョージが、涙でうっすらと濡れた目を上げて啓太を見た。


「ふっ、そんな奴が勇者? 僕は認めないったあああああ!」


 ダメージを受けた手で指差そうとして叫び声をあげるジョージ。おそらく骨になんらかの異常があるのだろう。


『いいでしょう。でしたらどちらが本当の勇者か、料理勝負です!』

「なんでだよ」


 力ない啓太の声。そこへジョージの意思が、声となって襲い掛かる。


「いいだろう、受けて立つ!」

「なんでだよ」


 啓太を置き去りにして、妖精とジョージの間に見えない火花が散る。


「よし、おじいちゃんに頼んで勝負の場を設定してもらう! 逃げるなよ!」

『そっちこそ一昨日きやがれです!』

「たまには人の話を聞いてみようよ」


 当事者の一方を無視して勝負は決定した。

 料理、それは人の生に深くかかわるもの。

 生きている限り、食事からは逃れられない。

 人の根源を問う戦いが始まろうとしている。


 次回「女将を呼べ」

 ご期待ください。

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