第28話 死についての思索(28)---その、あなた、のそばに蔓延っている有害者

今日も私は正直に語らねばならぬ。

「私は、どうやって、いつ、どこで、だれと、死ぬのだろうか?」

 ということは、私にとって一番重要な問題である。

 私は、それを昔の文章を引用しながら、加筆的に思索する。

 いわば、過去の自分を否定的に批評しながら、更なる思索の深みへと向かって、その、在っている、を導いていく。

(『』で書かれた箇所は過去の文章である。その文章の一つ一つに加筆を加えていったものを⇨の後に示すことにする。過去の思索については『小説家になろう』で「死についての思索(そこのあなたは、いつ、どこで、どうやって、誰と、死にますか?)」というタイトルで公開されている)

本日の加筆箇所は「死についての思索(55)」に書かれたものである。


①『その、時代とは、とぎれとぎれで、自由自在で、つかみどころのない動的なものであるが、その興奮しすぎる敏感の、唯一の緩和剤となるのは自殺である』


⇨思索の疲労の限界としての自殺というものに私は興味がある。思索というものに終末があるとするなら、それを追求してみたいと思う。だが、その追求の証明が自殺であるとすれば、限界の自殺ではなく、証明のための自殺となってしまう。私は思索の疲労に絶望したいのである。


②『自分自身を、執拗に暗殺する論理は、人生を忠実に擬える人間には、ぜったいに理解できまいが、あらゆる偽の人生に、徹底的に刃向かう人間には、無二の親友のように、論理なしに、沈黙のうちに理解できてしまうようである』


⇨偽の人生とは、訓練のない人生である。その己の人生に訓練の毎日を持たぬものは、あらゆる人格の柱を持たぬ者である。人格の柱を持たぬとは常に自己嫌悪に陥り、他人を軽く見積り、自己の安住に気づかぬ者である。私はこのような人間をおそろしく軽蔑する。その人間はいつもあなたのそばを彷徨いているであろう。実にくだらぬ人格が、その、あなた、を腐敗させている。


③『いかに自殺に触れるかということを、たえず人生の目的とし、自殺に恋し、深く魅入った者は幸福である。前代未聞の、清らかな竜巻に感動した人間は、あちらからこちらへ、竜巻の通った奇跡のあとを旅する。正統な自殺者とは、実相と仮象の逕庭に存するのであり、自殺者はその二つの世界の唯一の媒介者である。故に早くこちら側を終わらせて、あちら側に行かねばならぬ。そのような命の消失を急がねばならぬ性急な命が命の本来性である』


⇨すべての死は自殺的であるといえる。病死もまた自殺的である。事故もまた自殺的である。ただそのような軽い自殺性は素質のない死である。素質のない人間は必ず鍛錬を持たぬ人生を歩んでいる。


④『とにかく語らねばならぬという小説家は、このような言にたどり着くであろう。創作とは本来性に還ることであり、暗黙の共同存在を孤独のうちに実践することである。創作がなければ人間は、その、存在、の積極的な漕ぎ手とならぬであろう。存在にはもともと他者性が備わっている。私は私であると同時に他者である。私は私にとって他者であるというところに存在の矛盾があるのである』


⇨その己の人格にいくつもの他者を発見することこそ、偽物の人生への道である。偽物は複数という概念のうちに内包されている。己を複数持つとは自己説得の根拠を正しく据えるということである。もう、すでに、つねに、擬声として在っている、者である。それは、その、あなた、をそばに常に蔓延っている。それは、蔓延りとしての、その、存在、の在り方として実に、鍛錬する者にとっては有害な存在である。それは必ず鍛錬を軽視する者として、その、あなたの眼前に、立ちあらわれる。それは、その、あなたの、その、在っている、を殺害する者である。覚悟されよ。

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